第10話 人が分かりあえない理由

 かつて日本では、「話せば分かる」と言って殺された人がいました。


 今や話は通じないものとなってきました^^;

 一体何のために文字というモノがあり、言葉というモノがあるのか?


 という思いに駆れる人も少なくないのではないでしょうか?


 それは、人間が機械になってしまったからなのです。人間は、耳で言葉を受け止めるのではなく心を使って言葉を受け止めるのです。どういうことかと言えば、言葉を発する感情というモノを察知して言葉を理解する。


 だから、「あんたなんか大っ嫌い」と発せられても、「好きなのは分かっているから」って聞き流せるのです^^;


 しかし、人間が機械になると、言葉に感情は乗らなくなる。冷たい電気信号と同じように、コンピュータを動かすプログラミング言語と同じように。発せられた言葉は、その額面通りの意味しか持たないのです。

 

 それは、ある意味冷たい言葉の世界と言えるでしょう。


 従って、言葉の使い方をちょっとでも間違えると、コンピュータが誤操作をしていまう。間違った言葉に対して修正の嵐となるわけです^^;


 今日、日本語は機械語かしており、職業言語とか専門用語となっているために、ちょっとでも違う職場だと翻訳機が必要になるのです。仕事場と家庭という別の世界には当然、違う言葉が必要となり、同じように話しても通じないわけです。


 しばらく地方に転勤するとその地方の言葉になるように、環境が変われば言葉も変わるという事なのです。特に、仕事をする為に働く機械になっているわけで、そこには人間の言語は到底通じない環境になっていると察するべきでしょう。


 こうして、同じ民族でありながら多民族国家のような諍いが絶えないわけです。


 こうした状況を招く根幹は言うまでもなく「学校で勉強するからバカになる」という全国民がバカになっていることが原因です。朱に交われば紅くなるという言葉の通り、学校という場所はバカばかりなので、みんながバカになるという恐ろしい状況になるのです。


 バカとは、機械のことです。勉強だけする人間は勉強バカ、部活だけする人間は部活バカなど、学校にはバカが溢れている。当然、バカ同士の会話は成り立たないでしょう。


 それが就職して細分化される。そうなると宇宙人並みに通じなくなるのです。これが人が分かりあえない理由です。従って、学校へ行かなければそれは防げます。

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