約束があるから、また会えるんだよ。

大創 淳

序章 前作を引き継いだ物語は、意外性のあるホラーへ。

第一話 また旧校舎で、瑞希ちゃんに会えた。



北川きたがわさん、ゴミ捨てお願いね」

 クラスメイトの女の子が、そう言った。


「うん」


「じゃあ、北川に任せて俺たちは帰るか」

 今度はクラスメイトの男の子。そそくさと帰り支度をしている。


 教室に何人か残っているけど、誰一人だれひとりこっちを向いてくれない。


 ……悲しくなった。

 でも、元気を出さなきゃ。


「じゃあ、行って来るね!」

 と、大きな声を出して、廊下へ飛び出した。



 担いでいる半透明の袋の中には、紙屑かみくずや、蜂起ほうきで床を履いて塵取ちりとりで取ったものなどが詰め込まれている。それから向かっている場所は、裏門付近のゴミ捨て場だ。


瑞希みずきさん」

 その途中、名字ではなく名前で呼ばれた。


「あっ、智美ともみ先生」

 正確には呼び止められた。ということだ。


 ここはまだ、三階の教室から階段を下りてきて二階の踊り場。白のジャージで『活発なショートカットのお姉さん』と、それは見た目で、結婚して、もう一児のママだ。いつもは笑顔なのだけど、何か悪いことしたのかな? 少し怖い感じがした。



「瑞希さん、今週ずっと一人でゴミ捨て行ってない?」


「そうだよ」


「他の掃除当番の子は、どうしてるの?」


「みんな塾で帰っちゃうの」

 と、少しうつむいた。


「そんなの駄目だめよ」

 と、智美先生が、わたしの両肩に手を乗せて少し揺すった。


 静かなる圧迫感。

 言葉そのものを見失って、


「……瑞希だけなの。塾に行ってないの」

 と、答えることになった。


「だからって、瑞希さん一人だけでゴミ捨てすることないでしょ」


「でもね、瑞希ね、先々週ね、水疱瘡みずぼうそうで掃除当番を休んだから、代わりの子に迷惑かけたの。その子はね、瑞希の代わりに一週間ゴミ捨て行ってたんだよ」


 ふと浮かぶ、大好きな『魔法少女』のアニメでよくある『勇気』というフレーズ。そのキャラクターのワンシーンに乗せて顔を上げた。ただし、少し潤んだと思われる瞳、それに子猫のようなイメージの上目遣うわめづかいだけど、智美先生はね、


「……そうだったの。瑞希さん、優しいのね」

 と、ニッコリ笑顔で褒めてくれた。


「えへへ……」

 嬉しかった。……とても温かいの。


「でもね、何か困ったことがあったら、必ず言うのよ」


「うん!」


 今ここで鏡を見ることはできないけど、わたしもきっと笑顔だ。もう元気に階段だって駆け下りられる。でも、また声が聞こえる。智美先生は何かを言っている。



 ……あっ、階段も廊下と同じで、走っちゃいけなかった。


 ごめんね……と、唱えながらも構わず一階まで駆け抜けた。トンネルから抜けて光を求めるように校舎を出ると、黒色を帯びた門が見える。それが裏門。


 で、その向かって右横に、ゴミ捨て場があるのだ。


 よく見たら、裏門と正門は正確なほど真逆の位置。ゴミ捨て場は、マンションの廃品回収とかでよく見かけるコンクリートの囲いだ。……そして、遠回りしたくなった。



 この場所から、正門に向かって歩いてみた。左側を見ると玄関。その奥には高学年の児童たちが利用する下駄箱が一室を占めている。さらに正門の方へと足を運んだら、連なる花壇に咲く秋桜コスモスさんを見ることができた。……でも、目を閉じ溜息ためいき一つ。わたしは玄関へと歩み寄った。下駄箱が並ぶ。ちゃんと黒色で黄色ラインの、自分の靴があった。


 それに合わせてプロ野球チームのユニホームみたいな大きなTシャツを、ワンピースのように着ているのが、今の自分のスタイルだ。


 靴は少しお預けで、そのまま階段を上る。教室に戻ってランドセル、帰り支度をするためだ。ここは新校舎。でもこの階段は、三階に教室のある旧校舎へつながっている。



 お兄ちゃんとよく『青空戦隊あおぞらせんたい』と名乗って旧校舎の探検をしていたけど、もう懐かしき思い出。今の学校ではしなくなった。


 わたしたちは引っ越した。お家は駅近くのマンションだったけど、二学期に合わせて千里せんりの公営住宅。四棟の三階。ママはね、「生活苦しい」と言っていた。


 でもね、お兄ちゃんはようやく、念願の『山越座やまごえざ』という演劇教室に通い始めたの。お兄ちゃんの名前は、みつる。わたしより二つ上で小学六年生だ。


 来年、お兄ちゃんは、もう中学生。



 ……グスッ。


 大丈夫。もう瑞希のことは心配いらないよ。


 察しの通り、転校生。わたしはもう四年二組の女子児童。

 でも同じクラスなのに、もう一か月もつのに、まだ知らない子がほとんど。話しかけてくれても一言二言で、それ以上はない。担任の先生にいたっては授業中だけだ。平田ひらた孝行たかゆきという男の先生で、青のジャージ。いつも竹刀を持っている。


 ……それでもね、勇気を出した。

 ゴミ捨ての場所を訊こうとした。


「何じゃい!」

 と、ふっくらした白い顔とは裏腹に、細い目でにらまれた。



 教室を出た。

 あの日も、今日のように階段を下りていた。


 学年を超えたら。先生だけども。……一人いた。ゴミ捨ての場所を教えてくれた人。前の学校では一年生二年生と担任の先生だった人なの。氏名は星野ほしの智美。今年の六月、一児のママになったことを機に、『藤岡ふじおか』という名字の人と結婚した。そしてまた、縁深えにしふかき故に、この学校で、実にまれなケースで会うことができた。わたしには今も、前の学校にいた頃と同じく『智美先生』だ。何も変わることなく、おしゃべりをしている。


 だからね、悲しくなんかない。

 寂しくなんてないはずだもの。



 それでもね、お友達ほしいの。


「……グスッ」


 あれ?

 わたし、泣いてなんかないよ。


 でもね、


「……グスッ」


 ほら、また泣き声が聞こえた。


 わたしの小型探知機のような聴覚。お兄ちゃんは「地獄耳」と言っていたけど、聞こえる方へ歩く。ここは、階段を上ってすでに三階。もう四年二組の教室を通り越した。そのまま一組の教室も通り越す。もう児童の姿は見えなくて女子トイレの前まで来た。


 ここで足を止める。……ここから、聞こえるのだ。


 泣き声。どう考えても女の子。

 水の滴り落ちる音の二種類だ。


 ……やめてよ。と思えるほど、この状況は苦手で、何でこんな時に? と、ある金曜日のホラー映画が、サーッと鮮やかに頭の中を過った。お家でそれを見た時みたいに、床をらさないか心配で、女子トイレの入室が、わたしの中で避けて通れないものになった。



 でも、今は暗くない。

 窓からの日差しも、まだ夕方ではないし、きっと大丈夫……。


 そう心の中で唱えながら、女子トイレに入る。すると早速の悲鳴。自分の声にびっくりした。ショートボブで顔の丸い、ぽっちゃりした女の子が、じっとわたしを見ている。あと野球のユニホームみたいな……って、それは、鏡に映っているわたしだった。


 ぽっちゃりしているけど、少しだけなの。


 まあ、気を取り直してだね、並んでいる五つの個室を眺めてみる。それだけではなくてドアも押してみる。するとね、一室だけ中からロックされていた。


 ここから水の滴り落ちる音が聞こえている。……こればかりは、押し殺すことができない。かすかになったけど、泣き声もハッキリ聞こえている。


 それに、床がれている。催したけど、わたしではない。どうもその個室の中から、すでに水が流れていたようだ。……また泣き声が大きくなってきた。


「あの、大丈夫?」

 と、思わずドアをノックしていた。


 迅速な反応で、中からガチャッ……と音が聞こえた。



 ……何が飛び出すというの?


 そう思った。この展開は駄目。やっぱり怖い!


 ごめんなさい、ごめんなさい。

 と、あくまで心の中で唱えつつ、コッソリと。この場から立ち去ろうとした。


 その時だ!

 開いちゃった。ドアが勢いよく。


「ひぐっ」


 その悲鳴にならない声とともに、ガバッと、右腕をつかまれた。

 髪まで水浸し。丸い眼鏡からのぞおびえた瞳が、わたしを見る。


「き、北川……さん?」


 小さな声……だったと思う。確かに、わたしの名字を呼んだ。

 だからなの。


 この展開は駄目だって。


 お家で見た、あのホラー映画を見事に再現しているからなの。

 とうとう泣いちゃった。


 さっきまで催していたものが、

 このドアが開いたことを引き金とし、ダムのように決壊した。


 涙は上だけでは留まらずに、

 下も一緒に泣いちゃったの。


 足元を濡らしながら、新たな水溜みずたまりを、排水口まで広げてしまった。



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