コボルトの和菓子屋さん――二代目よ、チートを超えろ。

東洋 夏

序 温泉饅頭に打ちのめされる僕、旅立ちの時

 雨がざあざあ降っている。

 親父の葬式は、母方の宗派に合わせて狗人コボルト流だった。

 棺の周りで高らかに司祭の遠吠えが響くと、僕も合わせて喉を仰け反らせた。

「やっぱり狗なのねえ」

 と口さがない誰かが小声でもない小声で言い、鬼のような形相でミツコおばちゃんがぐりんと振り返る。

 ギンジのおっちゃんは、前掛けを握りしめてずっと下を見ていた。

 泣いているのだろう。

 僕はもう一度、喉を仰け反らせて吠えた。

 狗人の息子らしく、そして和菓子屋の息子らしく――。


 ◇


 ティッカ王国で至高の甘味と謳われるものがあった。

 エルフ族の月桂王冠糖シグネリンよりも、ドワーフ族の<高き岳の甘露>よりも、小人族ハーフリングの春待ちスモモのパイよりも、美味しいと。

 それは人間族の発見した甘味。

 僕の暮らす、温泉の町シャラニスの名物甘味。

 その名を<温泉饅頭>という。

 あ、待った待った、今プレビュー閉じようとしたでしょ。

 ここからが大事なところだからちゃんと聞いて。

 シャラニスといえば温泉饅頭、温泉饅頭といえば万泉堂の元祖火馳饅頭ヴルカンと相場が決まっている。

 万泉堂を興したのは僕の親父だ。

 え、話が見えない?

 せっかちな人だなあ。

 じゃあ端的に言おう。



 僕の親父は<日本>という異世界からティッカ王国にやってきた。

 お決まりの反則的能力チートを神様かなんかから付加されて。

 でも彼は持ち前の反則的能力チートを使って、英雄になるんじゃなくて、和菓子屋になった。

 格好悪、って思ったかな?

 僕も思ったよ。

 よりにもよって狗人コボルトなんてモンスター扱いされる亜人種と結婚したし。

 小さいころ、僕は親父を毎日質問攻めにした。

 隣の大陸に反則的能力者チートが現れて魔王を倒した、なんてすごい話を聞いていたからさ。

 どんな名剣を持ってたの?

 ドラゴンをまっぷたつにしたことあるってホント?

 エルフよりも魔法が上手って聞いたけど?

 きれいなお姉さんに沢山知り合いがいるの?

(最後の質問をすると、おふくろの三角耳がびしっとこちらを向くんだ)


 それらの質問に親父は笑って、冗談だよそんなこと、と言うだけだった。

 僕が、

「そんなのつまんない。地味。もっとチートして」

 と駄々をこねると親父はいつもこう答える。

「なあチャナ。父さんはな、どこぞの反則的能力者チートよりも凄いことをしてるんだよ。だって剣を振ることは誰にでも出来るし、戦争をすることだって誰にでも出来るけど、ひとつのお菓子で争いを鎮めるのは父さんだけの仕事だよ。それは血を流す平和よりも、難しい平和だ。地味で結構!」

 そして母さんと熱いキスをするのである。

 子供ながらに見ちゃいけないものだと思って、僕はキスの間、ただ、母さんの黄土色の尻尾が床にぱたぱた当たる音だけを聞いているのだ。



 さあ、ちょっと脱線したけど、一番大事なのはここから。

 もう少しだけ付き合ってほしい。

 君とお話しするにも、まず僕の事を知ってもらわなきゃ、伝わらないことがあるだろ。

 大事なことはひとつだけ。


 昨日、親父が死んだ。


 つまり僕はティッカ王国最強の和菓子屋の、二代目になったのだ。


 ◇


「ふむ、これは……」

 ギンジさんが、僕の作った温泉饅頭第一号を指先につまんでいる。

 シャラニス温泉の蒸気で蒸したこの饅頭は、火の精霊の加護を受けていることから火馳饅頭ヴルカンと呼ばれていた。

 親父と一緒に異世界から召喚されたギンジさんは、生粋の和菓子職人である。

 湿度とか温度とか、そもそも材料そのものから異世界とは違うだろうに、もう指先で持った時の感触で温泉饅頭の良しあしがわかるのだという。

「どうだろう……?」

 僕は気後れしながら聞いた。

「まだまだだな」

「まだまだ、ですか」

 しょんぼりとうなだれる。

 けれど、僕も頭のどこかでわかっていた。

 親父のレシピ通りに作ったはずなのに、何かが違う。

「ステータスアップの効果はどうだろ」

「それは、若の方がよくお判りでしょう」

 ギンジさんは和菓子職人として最高のスキルとパラメータを得た代わりに、そのほかは何も持っていない。

 例えば焼くのに便利そうな火の魔法とかも、何もかも。

 そもそもスキルとパラメータがどういう意味なのかもよくわかっていない、という。

 僕には信じられなかった。

 ギンジさんは嘘が苦手だから、本当に異世界転生者なのに冒険のひとつもしていないってことだろう。

「うん、火耐性アップとMP回復効果はしっかりついてる」

「それならまあ」

 ギンジさんは先の言葉を飲み込んだ。

 僕も一緒に飲み込んだ。

 品質に妥協をしない親父とギンジさんの方針は知っている。

 飲み込んだ先の言葉は、よくわかっていた。

「合格でしょうや、売り物としては。ただ、万泉堂うちの和菓子としちゃあ、不合格だ」

 悔しくて親父のレシピを読み直し、温泉水の配分を少し変え、隠し味の黒色精霊岩塩の量も変えて、第二弾と第三弾も蒸しあげた。

 僕としてはいい出来だと思った。

 それでもギンジさんは、渋い顔のままだった。

「どうしたらいいんだ……」

 途方に暮れる僕に、ギンジさんは言った。

「最後の三分間」

「えっ?」

「親父さんはいつも、蒸しあがる最後の三分間は誰にも任せんかった。秘密があるならそこだ」

 親父は異世界から唯一、<三分を計る砂時計>を持ち込んでいた。

 でもその使い方を僕は教わっていない。

「ギンジさんは」

「知らんなあ。一子相伝だと思っとったが……」

 僕とギンジさんは、その先の言葉をさらに飲み込んだ。


 親父、死ぬのが早すぎる。



 ◇



 庭を覗くと、まだ空は曇っていたが、雨は止んでいた。

 うちの庭には板敷きのスペースがあり、そこはお客さんから見えないのでバックヤードと呼ばれている。

 大量に蒸しあがった温泉饅頭試作品を手に、僕は庭に出て行った。

 よく見知った顔が三人、テーブルを囲んでいる。

「あらあらチャナ君、もう働いてるの?」

「うん。狗人コボルトの喪は一日だけだから。明日からお店開けないと」

 試作品なんで食べてください、と僕はテーブルに温泉饅頭を置く。

「ちゃんと休まなかんよ。ほらここ」

 大きな体をゆっさり動かしながら、ミツコおばちゃんが立ち上がった。

 おばちゃんが開けてくれた席に僕は遠慮なく座る。

 そして、おばちゃんが淹れてくれた喜寿草のお茶を、遠慮なく飲む。

 ミツコおばちゃんもまた、親父とともに異世界転生してきた組だ。

 元々は<パートのおばちゃん>だったのだという。

 だから僕も彼女の事を、おばちゃん、と呼ぶ。

 おばちゃんは転生する前はただのパートさんだったというが、ティッカ王国にやってきてからめきめきと頭角を現した。

 持ち前の世話焼き気質は、種族差別がまかり通っていたこの国に、まったく違う価値観を持ち込んだのである。

 だから親父とおふくろが異種結婚をすることにも反対しなかった。

 むしろ、子宝に恵まれそうな健康で丈夫な可愛いお嫁さんだ、と言って喜んだのだとか。

 ミツコおばちゃんに助けられて、励まされて、店にいついたひとが何人もいる。

 万泉堂うちの従業員さんは、みんなおばちゃんが連れてきたのだ。

 例えば今、同じテーブルに座っているエルフのラルフェンさんは落ちこぼれエルフで、恥ずかしさのあまり故郷にもいられず、人間族よりも魔法が下手くそで冒険者にもなれず、自暴自棄になっているところをミツコおばちゃんに拾われた。

 それで、万泉堂で働きだしたところ、必死に覚えていたエルフの薬草知識が役に立って、自信を取り戻した、とか。

 もうひとり同じテーブルを囲んでいる――と言っていいのか、鼻先だけ近くにある偉古老エンシェントドラゴンのファンガリオン爺さんの話もふるっている。

 この赤竜は、あろうことか温泉饅頭の香りにつられて地獄級深層迷宮の主の座を捨て、ある日、万泉堂の前に居座っていたという。

 反則的能力者チートを束ねても敵わないドラゴンの出現に王国全体がざわめいた。

 恥を忍んでお隣の大陸の英雄チートに依頼を出すか、という意見も出される中、王の使者の前でミツコおばちゃんは言い切った、という。

「このひとはお饅頭食べたいだけ! 口もきけるし、ボケとらんし、言って聞かせたらいいだけだわ。若者わかもんがおじいちゃんをいじめたらかん!」

 これに感じ入った赤竜ファンガリオン老は日に三度の温泉饅頭と引き換えに、万泉堂最強の用心棒、兼、遠距離配達用の最速輸送手段として雇われることになったのである。

 そのファンガリオン老が、ふむーーーーーーーーん、と鼻息を噴きながら言う。

「ちいと物足りんのう。滋味が足らんと見受ける」

 ふむーーーーーーーーん。

 僕たちは饅頭と僕たち自身が飛ばないように、しっかりと机にしがみついた。

 机は竜の鼻息にも耐えうる、果て山ドワーフの石工による特注品である。

「やっぱり、そう思いますか」

 エルフのラルフェンさんも、ううん、と首を傾げた。

「どこ、っていうのは難しいけど」

 僕はミツコおばちゃんの方を見て、言う。

「最後の三分間のこと、知ってますか」

「知っとるよ。お父さんのこだわりだもん」

「何をやってたとか」

「それは知らん。だって私たちだって三分間は中に入れてくれんで」

 うーん、と僕は椅子でのけぞった。

 呪文なのか、はたまた、ただの技法なのか。

 もしそれが親父の反則的能力チートによるものだったら、僕にはどうしようもできない。

 僕は異世界転生者じゃない、ただの人間族と狗人のハーフだから。

 ラルフェンさんがとりなすように言う。

「え、でも十分美味しいよ。パラメータアップはチャナの饅頭のがしっかり術式入ってる感じするし」

 僕はそれでも納得できなかった。

 だから、決めた。


 ◇


「いってきます。お店をよろしく」

 まだ朝早く、僕はギンジさんにだけ挨拶をして店を出た。

 基本的な火馳饅頭ヴルカンならレシピ通りにやれば作れる。

 でもそれじゃ足りないんだ。

 これから僕は世界をめぐる。

 あらゆる甘味を食べつくす。

 必要ならば迷宮ダンジョンにだって潜る。

 二代目だからなんて馬鹿にされたくない。

 僕は、僕の力で親父の饅頭チートを超えてみせたい。



 そうして僕、チャナの「最後の三分間」にまつわる冒険は始まったのだった。

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