恋人デュエル

たつおか

恋人デュエル

 なんとか王様ゲームにかこつけた。


 目の前で楽しそうにゲームの準備をしているハルは、この夏前から付き合い始めているエチカの彼氏だ。

 とはいえその関係はどこまでもプラトニックで、キスはおろか手をつなぐことだって稀であった。


 当初はそんなハルの優しさに感動や感謝を感じていたエチカではあったが、いざ夏休みを迎えて共に過ごす時間が増えると、途端にそれはフラストレーションに変わった。


 ハルと一線を越えたい……そんな想いの中で思い付いたのが、いま目の前で行われようとしている『王様ゲーム』なのである。


 通常は多人数のくじ引きによって『王様』を決め、その無理難題に応えるというのがルールではあるのだが、今回二人でこれを興じるにあたりエチカは特殊なルールをそこに設定していた。


 互いにそれぞれ2枚の手札に命令を記入し、ドローしたそれを達成できるかどうかで勝敗を競うというものである。

 思いのほかハルが勝負事に熱中する性格であることを知ったエチカは、『対戦形式』の体をとることで、ハルとの『ひと夏の思い出作り』を達成させようと目論んだのである。


──ゴメンね、ハル君。でもね……もう我慢できないの!


 自分の手札を無邪気に考えているハルを前に、心の中で謝罪を一つ……しかしながら反面、それを見守るエチカの貌にはこれ以上に無い思惑じみた笑みが浮かんでいた。


 かくして持ち札を裏返し己の前に並べると、二人のゲームは始められた。


 先行はハルだ。エチカの前に並べられた2枚のカードから1枚を選ぶと、ハルはそれを表示した。

 カードには──『キス』とだけ一語。

 それを依然として無邪気に見つめるハルを前に、


──よし! いきなり王手!


 エチカは内心でガッツポーズを一つ。

 もはや回りくどい真似をするつもりは、無い。決められる時に決めるのが身上である。

この時の為、既にここに至るまで3回の歯磨きと一箱のエチケットガムを完食している。舌を入れられるのも……否、いっそ自分から入れてしまうのも辞さない覚悟だ。


──さあ、どう出るのかしら……?


 半ば勝利を確信し、嬉々と目の前のハルを見守るエチカであったが……ハルは実にあっさりと動いた。

 視線を合わせ微笑むや、その笑顔に毒気を抜かれるエチカの左手を取り──その指先に小鳥のよう唇を接地させた。


「──はい。これでクリアね♪」


 そうして今度は大きく笑うハルに……一方で何が起きたのか分からずに呆然とするエチカ。

 そして気付く。


──しまった……『どこに』とは書いていなかった!


 キスは唇にするもの──そうした処女ゆえの詰めの甘さを露呈してしまった。

 要は『解釈』である。

 唇であろうが指先であろうが、キスは『キス』だ。あくまでルールを順守しつつもハルは、この一手を切り抜けてみせたのだった。


 ゲームとしてもハルの機転による発想の逆転にしても、内実共にエチカは一敗目を喫した。

 しかしながら、


──……そう来るのね? ならばこっちも、同じ手で行かせてもらうからね、ハル君!


 エチカの心は折れていない。むしろこの一敗が彼女の勝負魂に火をつけた。


 そしてエチカの第一ターン。

 迷うことなく右のカードを取る。

 開いたそこに掛かれていた命令は──『猫のマネ』。

 それを確認するやハルは花が咲いたように笑う。しかしエチカは違った。


 即座に四つん這いになると、背をしならせて尻を持ち上げる。

 Tシャツに短パンという夏の装いも相成って、シャツの裾が背にずれては尻へと流れる素肌が露わとなる。

 そんなエチカの豹変ぶりに驚いた様子のハルへと依然四つん這いのままに近づくと、


「ンニャン♡」


 エチカはハルの膝の上に寝そべり、伸びをする猫のよう前面を反らせて腹部を晒すと、縦に引き絞られたヘソの窪みを見せつける。


──さぁ……このセクシーボディに悩殺されなさい!


 来るべき最終目的の為、エチカは今日に合わせてダイエットを成功させている。加えて今日はもう朝から3回の入浴を済ませ、ブラも下着も着けていない。

 この家に辿り着くまでの道中はちょっとした羞恥プレイではあったが、それもハルの誘惑に繋がるというのならば甲斐があるというもの。


 そんな幼くとも『女』の体を前にハルがどう対処するのかと反応を待ったエチカではあったが、またしてもハルの斜め上を行く解釈に翻弄されることとなる。

 ハルは……


「うわ♪ よーしよしよしよし♪」

「にゃ? うひゃひゃひゃひゃッ!」


 目の前に晒された素肌に臆することなく、そこに手を触れるや大きく撫でまわし始めたのであった。

 思わぬハルの愛撫に耐えきれず、身を翻して腹ばいになるや、今度はその手がTシャツの中に潜り込んでは背を撫でる。


 恋人同士のペッティングとは程遠い、まさに猫がされるが如くの愛撫に翻弄されてエチカのターンは終わった。

 ようやく解放されて息を荒げるエチカに対しても、


「うちの猫に似てたから嬉しくなっちゃった♪」


 一向にハルは平常運転のままだ。婦女子の肌に触れたという照れや深刻さは微塵として見られない。

 かくして勝負は後半の最終ターンへと投入する。


──最後の勝負よ……!


 自分の前に置かれた残りの一枚を手にするハルを見守りながら、エチカはそれでも己の勝利を確認していた。


 これよりハルが引く命令……それを達成できなければ、エチカは勝利にかこつけてハルへ望みを叶えさせるべくに迫る。しかしハルがこの『命令』を実行したのならば、それこそは実質的なエチカの望みが達成される瞬間でもあるのだ。

 どう転んでもエチカに負けの目は無い。

 そしてその『命令』こそは──


「…………」

「どうしたの、ハル君? さあ、読み上げてみせて。なんて書いてあるの?」


 依然としてカードに視線を落としていたハルは、カードを両手にしたまま語り掛けてくるエチカを上目で見つめ返す。


 カードを床に置き、答える代わりにエチカの目の前へ開示されたカードにはただ一文字──『H』と書かれていた。


 言わずもがな『性交渉』の暗喩として書いたことは疑いようもない。エチカとてそのつもりだ。

 しかしながら同じ響きでありながらも『エッチ』と書かなかったのは、彼女の乙女心と恥じらいがまだ働いたからに他ならない。

 それでもしかし、ハルはこの命令に従わなければならない。


「……本当にこれが欲しいの?」


 もう一度床のカードに目を落としながらハルが尋ねる。


「うん……欲しい。今日はこの為にここに来たんだもん」


 尋ねてくるハルに対し、エチカもどこか素直に答えていた。

 誰よりもハルのことが好きだ。きっと実の親以上に彼への愛情は深くて強い自信がある。

 けっして性欲だけの問題ではない。否、愛しているからこそ求めるのだ。

 そんな強い気持ちを込めた視線をハルは一時(いっとき)受け止めた。


 そしてそれを振り切るや立ち上がり、背を向けては背後の自室机へと向き直る。

 しばし引き出しやらを物色し、やがて望みの物を見つけるや再びエチカの前へと戻る。

 そうして差し出されたものを前にして──


「はい、どうぞ」


 エチカは目を見開く。同時に強い脱力感もひとつ。

 またしてもハルは、ルールの別解釈にてエチカの命令を切り抜けた。

 エチカの手にあったものは六角形の鉛筆が一本──その意味合いを分かりつつ柄尻を回せば、エチカはそこに一文字の刻印を見つけ出す。


『H』──硬度Hの鉛筆をエチカは握っていた。


 完全にやられた──そう思った。

 単なるこじつけではない。


 これを渡す直前、ハルは確かに『これが欲しいのか?』と尋ねた。当然の如くにエチカは『欲しい』と即答した。

 ゆえにハルは『物質(エンピツ)』を渡してきたのだ。

 この場合エチカが答えるべきは『欲しい』ではなく、『してほしい』だった。

形容詞である『欲しい』に対して、『してほしい』は補助形容詞──ただ『欲しい』とだけ答えたエチカの要求は、具体的な物質を欲する行為となる。


 もし性行為を意味する『H』を求める場合には、『Hをする』という動詞に対し『してほしい』という補助形容詞が付いてこそエチカの求める意味合いとなるのだ。

 だからこそ誘導尋問をハルは短い問いかけの中に仕込んだ──全ては巧妙に仕組まれた罠であったのだった。


「あぁ……ッ」


 嘆息しては思わず伏してしまうエチカ。


 意気込んでいただけに、敗北を受け入れた時の脱力感たるや生半ではない。それこそは世界の終わりを告げられたが如くの気分だ。

 そんなエチカを前に、


「エチカ……まだ、僕の番が残ってるよ?」


 そう語りかけてくるハルの言葉に、エチカものそりと起き上がる。

 もはや勝敗はついているのだ。すっかり敗戦処理をさせられる投手の気持ちでエチカはハルの前のカードを引き寄せる。


──もう、なんだってやるわよ……犬のマネでもなんでもやらせなさいって。


 そう思いながら半ば捨て鉢に、返したカードの命令を確認したエチカではあったが──そこに書かれた命令を確認した瞬間、エチカは目を見開いた。

 その一瞬、思考が止まった。


 そこに書かれていたものはローマ字3文字からなる単語──そしてその意味合いは、先ほどエチカが求めていたものと同じ内容であったからだ。


「…………」

 先のハル同様の仕草でエチカは上目にハルを窺う。

「欲しかったのは、エチカだけじゃないんだよ?」


 得意げに、そしてこれ以上に無く無邪気に微笑むハル。

 一方で呆けたよう見上げていたエチカの表情にも徐々に笑顔と、そして目尻に小さな涙の珠が浮かぶ。


「……本当にこれが欲しいの?」


 そしてハルと同じように尋ねる。


「いや、『してほしい』……かな?」


 同じ轍は踏まぬとばかりに返すハル。


 そして気付く。この勝負に、『勝敗』などは存在しなかったことを──。

しいて言うならばハルは勝つべくにして負け、そしてエチカは、負けるべくして勝ったのだ。


 次の瞬間、エチカはハルの胸に飛び込んでいた。


「ハル、好き! 大好きだよ!」

「次回はもっとストレートに言ってよね、エチカ」


二人による、ルール無用の新たなゲームが始まろうとしていた。


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