6.人助けの理由

 どうしてそこまで献身的になってくれるのかなと。

 病棟を歩いている間じゅう、私の頭の中で永川の言葉が反響した。

 私が犯罪捜査をする理由? そんなのひとつしかない。それが仕事だからだ。警察官としての私の仕事。

 だけどそんな答えを弄すると、すぐさま頭の中で自分の声が突っ込みを入れてくる。聞かれているのはそんなことじゃないって、わかってるくせに。


 なんでだろう。私は何で、この事件に首を突っ込んだんだろう。

 ぐるぐると渦巻く疑問に目を回しながら、私は小児病棟へ戻ってきた。さっきまで元気に騒いでいた子供たちも、夕食前の時間となると疲れたのか落ち着きだしていた。あるいは、食後に飲まされる薬が憂鬱でもう落ち込み始めているのか。

 病棟を真っすぐ貫く廊下の先で、看護師が親らしい女性と言葉を交わしているのが見えた。看護師の女性は化粧っ気のない顔に穏やかな笑みをたたえ、時折相手の肩へ手を置きながら優しく話をしていた。話し終わると、相手が深々と頭を下げて去っていく。看護師が私の方へ歩いてきた。

 名札に「中城沙織」と書いてある。この人か。

「あの」

「……はい? なんでしょうか」

 咄嗟に声をかけると、中城が怪訝な顔をする。こんな人、患者の親にいたっけという疑念が渦巻いているのがはっきりと見て取れた。私はいま首から「付き添い」のネームタグを下げているが、お世辞にも子供がいるという雰囲気ではないだろう。どこの元ヤンママだ。

 そして、私はすぐに失策に気づいた。中城にいろいろと事情を聞くと紫木に安請け合いしてしまったが、どうやって尋ねればいいんだろうか。普段なら「この近くで起きた事件についてですが……」と切り出せばそれで事足りる。だけど今回は事件のことを大っぴらに話さないという約束だ。それでいきなり「あなたについて教えてください」というのは不審すぎる。

「あの、どうかされましたか?」

 中城がさらに険しい顔になって私に尋ねる。しかしあくまで声色は穏やかで、私のことを気遣っているのだろうということがありありと感じられた。

 どうしたものか。私は頭の中の手札を大急ぎで探り、ひとつのアイデアを思い付いた。それは。

「いつもご苦労様ですぅ。看護師さんのおかげでうちの息子もすっかり調子がよくなりましてぇ」

「は、はぁ……」

 お節介で話好きのおばさんを演じるというものだった。こういうとき、晶だったらもっと自然に雑談に交えて情報を引き出せるんだろうけど、私はそういうのが得意じゃないから仕方がない。多少不自然でも要は知りたいことを聞ければいいのだ。この看護師が真犯人にせよそうでないにせよ、そうそう何度も顔を合わせるわけではあるまい。

 勢いだ勢い。看護師である相手の善意につけこめ。

「いやほんとう、うちの子は一人っ子でわがままだから入院するって聞いたときにはどうなるか不安で仕方がなかったんですが、いやぁ看護師さんが親身になって面倒を見てくれたおかげで、苦手な薬も飲めるようになって」

「あぁ、それはよかったです。お元気になって」

 まくしたてると、どうやら中城もそれらしい患者の姿を勝手に思い出してくれたのかリラックスした笑みを見せてくれた。「占いがなぜ当たると思いますか? 人が頭の中で勝手に都合よく解釈してくれるからです」と、かつて紫木が教えてくれた知識が思い出される。抽象的な特徴を目いっぱい並べておけば相手が自ら該当者を見つけてくれる。そういう寸法だったがうまくいった。

 私はこのまま、お節介なおばさんのテンションを押し通すことにした。ご近所さんみたいな口調で喋る革ジャン女が誕生しているけど、事件解決のためには気にしていられない。

「そうなのよぉ。でも看護師さんって大変な職業ねぇ。あなた、どうしてこの職業を?」

「人の役に立ちたいと思っていたんです。昔から」

「そうなの。立派ねぇ。そういえば最近見るようになったけど、前はどこかで働いてたの?」

「えぇ……広島の大学病院でした。でもちょっと家の都合で関西へ引っ越す必要が出てきて、ここへ」

「あらぁ、でも中城さんみたいな看護師さんが来てくれたのは嬉しいわぁ、げほっ」

「大丈夫ですか?」

 変なところから声を出し続けていたせいでむせてしまった。年かな。でもビンゴだ! 自然な流れで前の職場を聞き出せた。自分から話してくれたから、中城も存外喋りたがりなところがあるのかもしれない。具体的な病院名にまでは踏み込めなかったけど、広島にそうたくさん大学病院があるとは思えないし、ここからは自力の捜査で絞り込めるだろう。

 私が心の中でガッツポーズをしながらむせかえっていると、その小さな騒ぎを聞きつけたのか、「あら」と傍の病室から正真正銘の母親らしい女性が顔を覗かせる。

「どうしたんですか?」

「いや、看護師の中城さんにお世話になったなって話を、げほっげほっ」

「あぁそうですか。おたくも?」

 話が中城のことへ及ぶと、少し疲れた様子もあった母親の顔がぱっと明るくなる。私がなんとか咳をおさめて頷くとその母親は一方的に言葉をつづけた。

「本当に中城さんにはお世話になりっぱなしよ。この前も仕事で忙しいのに、息子と遊んでもらって。ほら、入院が長いと遊べることも限られてくるし、点滴中は動けもしないから子供がぐずるのよ。中城さんは点滴が繋がっててもできる遊びをいっぱい知ってるから、助かるわぁ」

「いえ、それほどでも」

 手を振って謙遜する中城の表情は、まんざらでもなさそうだった。

 代理性ミュンヒハウゼン症候群の患者は献身的な自分を演じる。誰かに見てもらうために。時にはほかの誰かを傷つけて病人に仕立ててまで。

 しかしこれで、図らずももうひとつの目的も達成できたことになる。看護師中城沙織の、周囲からの評価。さっきちらりと見た会話風景といい、彼女は親切で優秀な看護師で通っているようだ。

 それがもし、彼女の演出によるものだとしたら。

 しかし私の不穏な思考は、廊下へ反響する放送の音にかき消された。

「スタットコール! スタットコール! 小児病棟六階へ!」

 スタットコールという聞きなれない単語が耳に突き刺さる。今日、紫木の病室で聞いたものと同じだ。そのときは葉原が大急ぎで出て行ったが。

「すいません。行ってきます!」

 今回は中城が動いた。行ってきます、と言い切る前に語尾だけその場へ残して走り出していた。さっきの母親が彼女の背中へ「頑張って」とエールを投げかける。

「あの、あれは……」

「入院患者に急変があると流れる放送ですよ。手の空いている医師や看護師を集めるんです。でも一日に二回聞くのは初めてかも」

 私が尋ねると、不安そうな顔で教えてくれる。

 患者の急変。まさかとは思うけど、新たな被害者が?

「あっと、じゃあ私もこれで」

 私は母親へ別れを告げると、中城が走り去ったのと同じ方向へ、あくまで偶然方向が一緒だったという空気で歩き出した。もちろん偶然ではなく、中城の後を追うためだ。もしこのスタットコールが被害者にかかわっているのであれば、その様子を遠巻きにでも見ておきたかった。

 すでに中城の姿は見えなくなっていたが、幸い放送が集まるべき病室をがなり立てていたので目的地へたどり着くのは難しくなかった。同じ小児病棟の二つ上の階だ。この階はさっきまで私がいた階より年齢が高い子供が集まっている場所らしく、一気に子供っぽい雰囲気が失せて、紫木のいる一般病棟と変わりがなくなっていった。その階の、階段を上がってすぐに見える病室の前に人だかりができている。黒山の、と普段は表現するところだが、当然白衣の集団なのでいわば白山の人だかり。すでに救命は終わってしまったのか、緊迫感はなくなり安堵が支配的だった。

 後ろから階段を小走りで上がってくる足音が聞こえた。振り向くと、葉原が下からこちらへやってくるところだった。

「あら、あなたは……」

「葉原先生」

 葉原は私を見ると、すぐに得心したような顔になった。彼女は私の隣に立ち、人の山を遠巻きに眺める。彼女からも大慌てでやってきたという様子はなく、この階へ来る前に患者が大丈夫であろうということが予想できていたような雰囲気だった。

「さっき急変したのは貴島美咲さんね。彼女は可愛そうに、何度も急変を繰り返してるんです。急死が増えてからスタットコールを積極的にかけるようになったんですけど、狼少年になってもいけないし考え直すべきかしら」

 病室へ集まっていた医師や看護師たちがまばらに帰っていく。その中で一人、白衣を着ていない女性がぺこぺこと彼らに頭を下げていた。かつては綺麗に整えて伸ばしていたんだろうと思われる髪が半ば乱れた状態で結わえてあり、申し訳程度に化粧をした顔には疲労の色が滲んでいた。

「あれが、患者さんの母親の貴島加奈子さんです。元看護士らしいわ」

 医師や看護師があらかたはけて、彼女の全身が見えるようになった。そこで私はふと、違和感を覚える。何かがちぐはぐな印象。だけどすぐにはその正体がわからなかった。

 私は彼女に気づかれないように病室へ近づき、開きっぱなしの扉から中の様子を伺った。病室は個室で、ベッドの上で眠っている少女のほかに患者の姿は見当たらない。少女は中学生くらいの年齢で、素朴そうな顔が急変のためか真っ白になっていた。細い手首からチューブが伸びていて、点滴に繋がっていた。

 その傍に、中城が座っていて美咲の手を握っていた。励ますように。あるいは献身を見せつけるために? 加奈子が中城の傍にまでやってくると、彼女は立ち上がり母親と位置を変わった。加奈子は娘の手を取り、額に浮かんだ汗を拭う。それだけ見ると、仲睦まじい親子の姿だけど。

「あっ」

 私の胸には、紫木の言葉が去来していた。

「献身的な……母親。繰り返す急変」

 それは代理性ミュンヒハウゼン症候群の、もうひとつの典型例だったはずだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る