3.連続殺人事件

「連続」

「殺人事件?」

 私と紫木は低い声で繰り返した。永川はちらりと、病室にいるほかの患者の様子を窺う。一人はテレビに夢中で、もう一人はベッドの周りを覆うカーテンを閉めていた。聞かれることはないだろう。

「連続殺人事件……まだそうと決まったわけじゃないんだけど」

「まだ決まったわけじゃない? どういうこと?」

 とりとめもない言葉に、私は聞き返した。一方の紫木は怪訝そうな、でも何となく事情を察したような顔をしている。永川は少し悩むような素振りを見せてから、

「実は、去年の七月から……急変する患者さんが急増してるんです」

 と言った。

「それが人為的なものかもしれないということか。代理性ミュンヒハウゼンの看護師が病院に紛れ込んでいる?」

「かもしれない。でも、確たる証拠がないから病院も動いてくれなくて」

「その確たる証拠が欲しいと。なるほど、神園さんがいてちょうどいいというのはそういう」

「うん」

「ちょっと待って?」

 とんとん拍子に進んでいく話を、思わず私は遮った。疎外感を感じてしまう。

「ごめん二人とも、全然話が見えてこないだけど」

「あっ、すいません」

 永川が小さく頭を下げる。

「最初から説明しますね。この烏河病院では、去年の七月から病状が急変して死亡する患者さんが増加しているんです。もちろん、病院なので何名かはそういう患者さんもいますし、ゼロにはできませんが……最近は異常な数になっているんです」

「うん、そこまではわかったけど……二人とも、なんでそれが人為的なものだと思うの? 仮に誰かが何かしてるとして、患者を次々殺すなんて、そんな異常者じゃあるまいし……」

「ある意味では、異常なのかもしれませんね。少なくとも正常と呼べる精神状態からは大きく逸脱している犯人による仕業でしょう」

 私の疑問には紫木が答えた。そして「神園さん、代理性ミュンヒハウゼン症候群という病気をご存知ですか?」と逆に質問を返してくる。

「代理性ミュン……なんだって? 今日聞きなれない言葉が多すぎて……」

 「森のリスさんブッシュドノエル」とはきっと大違いだろうけど、意味不明な文字列という点では私の中では似たようなものだった。紫木が「ミュンヒハウゼンです」と繰り返し、永川が説明を引き継ぐ。

「ミュンヒハウゼン症候群というのは、精神疾患の一種です。この患者は他人の気を引くために仮病を使ったり、自分で自分を傷つけたりします。代理性というのは、傷つける相手が自分ではなく、子供や患者といった他人になるということを意味しています。代理性ミュンヒハウゼンの患者は、自ら病気に仕立て上げた人たちを甲斐甲斐しく看病する自分を演出することで他人の気を引くんです」

「そんな病気が……で、その代理性ミュンヒハウゼンの人が、患者を殺してるの? しかも看護師が?」

「えぇ。この病気は看護師や母親に多いんです。つまり、できることが限られていて、自分の仕事が患者の改善に直結していると思ったり、他人から認められにくい立場の人と言えばいいかと。人間、毎日繰り返す作業にある程度の達成感や称賛がなければ続けられませんから。その欲望が極端なかたちで出るのが代理性ミュンヒハウゼン症候群というわけです」

「そういえば母親が代理性ミュンヒハウゼンだった事件もあったな。確かあれは、子供を何人か殺害してようやく発覚したはずだ。原因不明の病が繰り返され、母親は献身的に看病するも子供を亡くす悲劇の母親に。第一子がダメになれば第二子を。それがダメになればその次をというかたちで、被害は拡大していく。こうして加害者の思惑とは裏腹に被害者が増加し、連続殺人ないしは大量殺人の様相を呈し……」

「紫木くん」

 永川に脱線を咎められ、紫木は取り繕うように咳払いをした。彼女は紫木の扱いに随分慣れているようだった。そういう対応をされる彼も慣れているのか、何事もなかったかのように言葉を続ける。

「もちろん、彼らは殺人それ自体が目的ではありません。死んでしまえば献身的な自分を演出できませんしね。しかし体の弱い子供や患者を傷つけて病を装えば、いずれやりすぎて死ぬということは起こります。永川は、それが増加した急変死の原因だと考えているんだろう?」

 紫木の言葉に、永川が頷いた。

 なるほど代理性ミュンヒハウゼン症候群か。そういう病気があるのは初めて知った。病院内で患者を次々殺害するという一見奇妙な行動も動機の面から説明可能だ。ただやはり問題なのは。

「だけどさ、そうだという証拠はないんでしょう? 単に偶然増えたということも考えられるし……だから病院も動かなかった」

「はい……でも全く証拠がないわけでもないんです。病院ではもちろん、死亡した患者さんの人数を統計に取っています。それで分析をしてみたんですけど、去年七月から死者数が有意に増加していまに至ってるんです」

「ゆうい?」

「統計的に偶然や誤差以上の、意味のある要因によって増加しているという意味です。少なくとも死者の増加がたまたまということはないでしょう」

 またわからない言葉だった。永川の言葉にうんうんと納得していた紫木が説明を挟んでくれる。

「それで、ほかに死者数が増えそうな要因はなかったのか? 院内感染とか、末期状態の患者がこの病院に集中したとか」

「それも調べてるけど、多分そういうのじゃないと思う……いまだに死者数が増加したまま減らなくて。それに急変したのは確かに重篤な患者さんが多いけど、必ずしも末期の人ばかりじゃないのよ。子供からお年寄りまで、それこそ老若男女問わず手当たり次第って感じで」

「そうか……」

 紫木はそれだけ言うと、腕を組んで考え込んでしまう。そんな彼を横目に、永川は私の方を向いた。

「神園さん。やはりこれだけのことだと警察として捜査してもらうのは難しいですか?」

「そうね……最低でも殺人だって疑われる状況くらいはないと。死因はどういう扱いになっているの?」

「人為的な、あるいは少なくとも不自然であるとされた死を迎えた患者さんの死因はいまも検討されているところですが……はっきり言って、わからないんです」

「わからない?」

 私と紫木の声がハモった。紫木が言葉を続ける。

「死因を調べて、わからないなんてことが?」

「うん。もちろん、それらしい説明はできるんだよ。血液循環の不調であるとか、脱水とか……だけど、直接の死因はまだわかってないの。死因というか、それをもたらしている原因はいまだに不明のまま。何らかの病死だろうという説明でお茶を濁している状態です」

 永川は困惑した表情で話す。医者でもわからない死因か……こうなると警察よりは保健所の出番という気もしてくる。刑事と犯罪学者の手に負える事件なのだろうか。

「でも、少なくとも現段階では死因はあくまで病死の類ってことになるでしょ。人為的な原因によるという証拠や疑いはないから、警察が動く理由にはならない。病院側から働きかけがあればまた別だけど」

「そうですよね。やっぱり難しいですよね」

 肩を落とす永川に、紫木が優しくまあまあと声をかける。

「とりあえず、できる限り僕の方でも調べてみるよ。何か思いついたら伝えておく」

「うん。私が個人的に動く分には問題ないかな……いまは事件もないし、不穏な動きはほっとけないから」

「ありがとうございます。神園さんも、お忙しいなか」

「いいのいいの」

 いつの間にやら、私がまた紫木と首を突っ込むことになってしまったが、まあいいやと思った。もしこれが本当に連続殺人事件なら刑事としては放っておくことはできない。無駄骨になっても別に構いやしないだろう。事件の兆候があったのに警察が何もしなかったという方がよほど後々問題になると考えれば、アリバイ作りだったとしても私がここで動いておく方がいい。

 それに、そんな物騒な病院に紫木を放置するというのもあまり気乗りしなかった。手術を拒否していた、異様に子供っぽい言動になってしまっていた彼の姿が心のどこかに引っかかっていたのもある。どうせ彼の様子をちょくちょく見に行くなら、病院での調査はいい口実になる。

「そうだ、紫木先生。何か困ったことがあったら言ってよ。入院も楽じゃないでしょ。調査ついでにちょっとくらいなら手伝えるから」

「ですが、そこまでやっていただくわけには……」

「いいからいいから」

 私が少し押すと、紫木は戸惑ったような顔をしつつ頷いた。そして彼は、ハンガーにかかっているジャケットを指さす。

「ではひとつだけ……あの中に鍵があるので、家から資料を取ってきてほしいのですが」

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