第13話 名刺
僕の名前を言った男は、小山のようにがっしりした体で、歳は四十代後半くらい。赤ら顔で、頭は禿げていたが、もみあげをたっぷりと伸ばしていた。
「そうですが、何か?」
「よかった、よかった。待った甲斐があった」彼はたいして嬉しそうでもなく、ギョロリとした目で、僕の着ているフード付きのダウンジャケットと手に持った仕事用のナイロンバッグをジロジロ見た。
「何か用ですか?」
「仕事の帰り?」
「失礼ですが、どなたですか?」
「警察ですよ、警察」男はふざけた調子で言った。「警察が何かくらい、知ってるよな?」
僕は一瞬、何を言われているか分からなかった。こんな奴らが警察のはずない。
「警察手帳はあるんですか」
彼は僕を睨んだまま、億劫そうに上着の内ポケットに手をいれた。「最近は、どいつもこいつも、すぐ手帳だァ、身分証明だァつって……」と呟きながら、警察のバッジがついた手帳を出し、これ見よがしに僕の鼻先にぶら下げた。ワキガの臭いが漂った。
写真は確かに本人で、名前は杵塚と書かれていた。
「署まで来てもらってもいいんだが……」杵塚という捜査官は、もったいぶった調子で言った。「それよりは、あんたの部屋で話した方が手っ取り早いかな」
「話? 何の話です?」
「あんたの相棒の話だよ。一緒に住んでるんだろ?」
「何のことです? 僕は別に何もしてませんけど」
「コンピュータを使って、発売前のゲームを盗んだろ? あんたがやったんじゃなくても、見て見ぬふりをしてたら、それだけで立派な犯罪だ」彼は、体で僕を押しながら、ロビーに入って来た。
僕の鞄の中で、携帯が振動した。
きっと空井だ。さっきこちらからかけたのに気づいて、かけ直してきたのだ。……どこにいるのだ?
「分かりましたよ。どうぞ」
僕は回れ右をし、オートロックを外して彼らを中に入れた。エレベーターで三階に上がり、部屋の扉に鍵を差し込むと、鍵はかかっていなかった。
中に入ると、ダイニングの物の配置が変わっていた。テーブルの上の雑誌や醤油入れがいつもと違う場所にあり、電子レンジや冷蔵庫の位置も少しズレているようだった。僕の部屋のノートパソコンが無くなっていた。空井の部屋をのぞくと、やはりデスクにあったパソコンが無くなっていた。
「まさか、持って行ったんですか」僕は噛みつくように言った。怒りが腹の中からわき出していた。
二人はダイニングの椅子に、勝手に座っていた。
「まあ座れよ」
「話っていうやつをうかがいましょうか」僕は挑戦的に言った。「いや、その前に、だいたい捜査令状はあるんですか?」
「え? 何だって?」
「捜査令状ですよ」
「ちっ、またこれかい」
「無いんですか」
「まあな。今日はうっかり忘れて来た」彼は椅子を後ろに倒し、ゆらゆらバランスを取りながら言った。「そんなに欲しけりゃ、明日にでも取ってきてやるよ」
僕は薄気味悪くなった。こいつはまともな警官じゃない。少なくとも、理屈が通用する相手じゃない。
「とにかく、ご用件をうかがいましょうか」
「まあ座れ」
彼は立ち上がって、いままで座っていた椅子を僕の方に出すと、自分は台所のシンクの縁に寄りかかった。シンクがみしりと音をたてた。
「座れと言ってるんだ」彼の口調が変わった。腹の底から出た重い声は、部屋全体を震わせた。
僕は椅子を、自分の部屋の入口近くまで持って行って座った。部屋に置いた鞄の中で、携帯が振動している音が聞こえたからだった。杵塚は睨んだが、何も言わなかった。
「早く本題に入ったらどうです。こっちは仕事で疲れてるんだ」
「そうか、じゃあ単刀直入に言うがな、空井賢はどこに行った?」
「さあ……。どこに行ったっていいじゃありませんか」
彼の赤ら顔が、さらに赤くなった。「いいわけないだろう。空井はなぁ、人の会社のコンピュータに入り込んでだ」もう一人の男を顎先で示し、「数千万円もするゲームを盗んだんだ。ただで済むわきゃないだろう」
「この人は?」
「お前らが盗みに入った会社の、セキュリティの責任者だ」
座っていた小男は、小さく咳払いしてから「ジーマエンターテインメントの常田です」と言った。さっきロビーで見た時もチビだと思ったが、今、座っていても、テーブルの上に胸がやっと出るくらいだった。髪は坊ちゃん狩りで、丸いメガネの奥にある目は、細く、小猾そうだった。歳は見当がつかないが、三十代後半くらいだろう。デザイナーズスーツがぶかぶかで滑稽だった。
「ジーマ……ですか」ジーマエンタテイメントといえば、ゲーム業界のトップを行く大手。まさか空井が、そんな有名なところから海賊版の原本を盗んだとは思わなかった。
「それで……」僕は杵塚に言った。「空井が居なかったから、代わりにコンピュータを全部、無断で持って行った、と?」
「空井はどこに居る?」
「さあ……。令状もなしで、逮捕しに来たんですか?」
「聞いたことに答えろ!」杵塚は突然大声を出した。
僕は驚いたが、頭の隅では、テレビドラマと同じだな、と思うだけの冷静さがあった。
杵塚は億劫そうな動作で僕に近づいた。
「令状だの何だのと小理屈ばかり並べやがって。おまえらみんな、頭がいいつもりになってるがな、コンピュータを相手にしてんのと、人間とじゃ違うんだよ。人間様は、そう簡単には騙されねぇんだな。人間にはな、善悪の区別ってものがあるん。人のものを盗めば窃盗罪だ。令状もクソもあるか。悪いことは悪いんだ。そのへんを甘く見るなよ。下手に隠し立てすると、お前もパトカーに乗ることになるが、それでもいいんだな、え?」
杵塚は片手で僕の肩をつかみ、じわりじわりと力を込めた。肩がコンクリートで固められてしまったように、びくとも動かせなくなった。背中に汗が流れた。
「本当に知りませんよ。僕は、今仕事から帰って来たばかりだし、空井とはお互いに干渉しないようにしてるから、いちいち行き先までは……」
「隣の部屋で空井がやってたことは、知ってたか?」
「いいえ」侵入した先がジーマだとは知らなかったから、嘘ではない。
「空井が行きそうな所はどこだ」
愛のところか?「さあ……ちょっと……」
杵塚は、僕を長い間睨み続けた。
僕は威圧に耐えられず、言った。「行くとすれば……会社の同僚の所くらいじゃないかな。空井は会社を辞めてますから、昔の会社ということですが」
「昔の会社じゃなく、あんたの今の会社だろ」
「そういうことですが……」
杵塚は首を回して部屋を見回した。「今日のところはこれで帰るが、空井が戻ってきたら忘れずに連絡しろ。いいか。押収したコンピュータを調べれば、お前がやっていたことも全部分かるんだ。下手にかくまったりすると、自分のためにもならないぞ」彼はそう言ってニタリと笑い、ポケットから出した名刺をテーブルの上に投げた。
二人が出て行った後、ダイニングに残った腋臭の臭いに吐き気を覚えながら、僕は自分の部屋に戻った。改めて、物の無くなった机や棚を見ると、怒りが湧いた。いくら警察とはいえ、人のものを勝手に持って行っていいのか。
「まるで強盗だな」
携帯が震えた。空井だった。
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