紙と、ペン。そして、消しゴム。

紺野咲良

不要な存在

 ここに、『紙』と『ペン』がある。

 そこにあと一つ『何か』を追加するとしたら、あなたなら何を欲する?

 赤色などの色違いのペン。線を綺麗に引くための定規。修正液やハサミ、カッターといった文房具類を選択する人が大多数を占めるように思う。

 少々変わり種な解答としては、近頃流行りの謎解き問題だとか、あるいは模写する対象や、はたまた執筆のネタなんてものもありかもしれない。

 だが、あえて『消しゴム』を選択する者はいるのだろうか。

 紙と、ペン。その二つを前にした時、消しゴムなんて物はただただ無力で、ただただ不要な異物で。

 なぜ、そこにあるのか、分からない。

 なぜ、そこにいるのか、分からない。

 さながら私は、そんな『消しゴム』のような存在――。


「さ、帰ろっか」

「あ、おい、待てよ一色いっしき。置いてくなって」

「はぁ……毎回、毎っ回……。神谷かみやってば本当に鈍間のろまだよね」

「オマエはほんっと、いつも一言多いよな」

「いいから、さっさとする。今ならまだ次の電車に間に合うから」

「マジ? 急ぐわ」

「ったく。面倒臭いだけだから、いちいち反抗しないでくれる?」

「うっせ」


 これは、とある日の放課後の一コマ。

 何の変哲もない会話のように聞こえるかもしれないが、おかしな点が一つある。

 それはこのかん、『私』は一言も発していないということ。

 先ほどの会話を繰り広げていたのは、私の両隣の席の人物たち。互いに『一色』、『神谷』と呼び合った二人だ。

 私が歩き出すと、彼らはさも当たり前といった具合に私の隣につく。席の並びと同様、一色が右手側、神谷が左手側。ぴったりと、私の歩調と合わせてくれている。

 駅へと向かう道中でも、二人は私を挟んで会話をしていた。私が参加せずとも、彼らだけで成り立ってしまっている会話。

 私は、そこにいるだけの存在。

 そこにあるだけの、消しゴム。

 紙とペンさえあれば、物語はつづれてしまう。

 二人だけで、世界はえがけてしまう。

 だから、私のような不純物は、要らないのだ。

 にもかかわらず、彼らは私を放っておいてはくれない。

 なぜ? 同じ筆記用具として、カテゴライズされているから?

 クラスメイトだから。席が隣同士だから。向かう駅が同じだから。乗る電車が同じだから。

 そんなくだらない枠組みを理由に、私を巻き込まないで欲しい。

 あなたたちが私といる利点など、何一つとして無いのだから。

 それどころか、きっと、害をすだけなのだから。

 紙と、ペン。その二つを前にした時、消しゴムができることとは、何か。

 紙へとペンを走らせたばかりの、まだ乾いていないインクを醜くゆがませることができる。

 どんなに必死になろうと、インクを消せるはずもないけれど。紙へと力任せに押し付け、ぐしゃぐしゃにしたり、びりびりに引き裂いたりすることができる。

 そんなもの、私は望んでいない。

 だから、そうなる前に、この身を削ってしまいたい。

 無駄に。無益に。無為に。

 削って、削って、削って。

 他の一切を消さず。消しゴムとして、与えられた役割を果たすことなく。

 人知れず、ただ、自分自身が消え去ってしまえればいいのに――。


「――ねぇ? ねぇってば」

「どした?」

「いや。この子、まーたなんかぶつぶつ言ってるから。気のせいか目もうつろだし、さすがに心配になってね」

「あぁ~……いつものやつか。ほんとコイツ、それが無きゃあなぁ……」

「ま、そんなとこが魅力的なんだけどね」

「……はあ? 一色オマエ、マジで趣味ワリぃよなぁ」

「人のこと言えるの? こんな芋臭い顔の子が好きな奴の方が、よっぽどどうかしてる」

「口に気をつけろ、素朴と言え。あとイモをバカにすんな。ウマいだろうが。さっさと詫びろ、コイツと全国の農家の皆さんに」

「噛みつくとこおかしくない? そんなに芋が好きなら芋と結婚してればいい。きっとお似合いだよ」

「ああ? テメェこそどうなんだよ? こんな何考えてっか分っかんねえ不気味な女、顔以外にどこをどう評価しろってんだ?」

「神谷こそ言葉を選べ。この子はミステリアスなだけだ。可及的かきゅうてきすみやかに訂正し、彼女に謝罪しろ」


 ――以上。相も変わらずの、私を間に挟んでのやり取り。

 私はこの二人の……一色くんと、神谷くんの絡みを見るのが好きだ。三度のご飯に匹敵するほどに好きだ。

 しかし、何もこんな至近距離でなくていい。もっと離れた安全圏から、こっそりと観察をしていたいだけだ。

 紙とペンさえあれば、物語BLは綴れてしまう。

 二人だけで、世界BLは描けてしまう。

 だから、私のような不純物メスは、要らないのだ。

 二人の世界に、私というお邪魔虫を登場させたくない。一歩引いて……いや、十歩ぐらい引いた物陰から姿を拝んでいたい。

 それが私の切なる願いであるというのに。同じカテゴライズだというだけで、こうして巻き込まれてしまっている。

 こんな仕打ちあんまりだ。『現実世界におけるBナマモノL』には手を染めるなという神のお告げなのだろうか。

 どうか、私を傍に置かないで欲しい。

 お願いだから、私には構わないで欲しい。


「ねぇ……君は今、何を考えているの……? 神秘に包まれたその胸の内、僕にだけさらけ出してくれる日が待ち遠しいな……」

 実在するのが信じられないほどの美形が迫ってくる。息さえ触れそうな距離に、一色くんの2.5次元の端正なご尊顔がある。

「なっ……近えよバカ! 離れろ!」

 見上げるほど立派な体躯たいくの神谷くんが間に割って入り、かばってくれる。がっしりとした男らしい背中が、私の視界を覆い尽くす。

「なに、焼きもち? 男の嫉妬ほど見苦しいものはないよ」

「んなんじゃねえ! ただでさえハムスターみてえな奴なんだ、ビビってぶっ倒れちまうだろ!」

「僕が彼女を怖がらせてるって言うのかい? 君のようなうるさい顔面の持ち主ならともかく」

 ぴしっという、空気に亀裂が走った音が聞こえた気がした。

「……なぁ、一色よぉ。さっすがに、オマエ、調子乗りすぎてんな」

「なに、気にしてたの? 繊細な一面もあるんだね。その顔に似合わず」

「上等だ。ここいらで上下関係ってもんを分からせてやる必要があるみてえだなぁ?」

 神谷くんが気だるげに首を捻る。並大抵の人であれば震え上がり、呼吸さえできなくなるであろう威圧感を放っていた。

「それを決めるのが暴力とはね。ナンセンスだよ、本当」

 されど一色くんは微塵みじんも物怖じすることなく、真正面から神谷くんを見据みすえている。

「はっ、怖えだけだろ。別にいいんだぜ? 無様に尻尾巻いて逃げてろよ、腰抜けが」

「知性の欠片も感じられない安っぽい挑発だこと。ま、乗ってあげるよ。あまりにも可哀想だから」

「いけ好かねえその面、物理的に整形してやらぁ。泣いて土下座したって遅えぞ? 覚悟しとけ」

「それでも神谷の顔より何百倍もマシだと思うけど」

「ああっ!?」


 ――ああ。

 やはり彼らは、実に絵になる。

 素クールな性格でのねちねちとした言葉攻めが主で、時たま敬語攻めを見せてくれる、一色くん。

 狂犬のようなツンギレっぷりを発揮してくれる、俺様受けな……けれど実は健気受けかもしれない、神谷くん。

 基本的には一色×神谷だろうけれど、攻守交替リバだって全然ありだ。その際は一色くんが誘い受け、神谷くんがヘタレ攻めなんてのもイイ。控えめに言って尊い。

 無限にシチュエーションが湧き上がってくる。湯水のようにさとうが吐けてしまう。

 彼らと出会い、私は生まれ変わった。ナマモノなど邪道だと思い込んでいた、己の世界の矮小わいしょうさを痛感した。彼らは私の目を覚まさせてくれた恩人なのだ。

 そして、あなたたちは間違いなく、『運命の赤い糸で結ばれたカッソウルメイトプル』なのだ。


「……なあ、おい」

「……うん、分かってる。一時休戦といこうか」

「だよ、な……。本格的にヤベえぞコイツ。目のイキ具合がいつもの比じゃねえぞ」

「彼女は一体、何者なんだろうね……日に日に謎が深まるばかりだよ」

「とりあえず一回、病院連れてくか?」

「う、ううーん。そうした方がいいのかな……?」


 会話の内容はさっぱり頭に入ってこないけれど、先ほどからどうも何かを言い争っていたようだ。素晴らしい、もっと争え。そして友情を、あわよくば愛をはぐくむがいい。

 やはり、悔やまれる。この場に身を置いてさえいなければ、実に有意義な時間が送れたはずなのに。心置きなく、存分に、妄想の世界へトリップできたというのに。


 だから、どうか、お願いです。

 私のことは、もう放っておいてください。

 後生ごしょうですから、傍観者でいさせてください。

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紙と、ペン。そして、消しゴム。 紺野咲良 @sakura_lily

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