紙とペンと不思議な何か

あらゆらい

天才・卜部慶次

 白衣に身を包んだ一見科学者のような青年である卜部慶次うらべけいじは有名人だ。


 身長は一六八センチメートル、体重五二キログラムのやや痩せ型。

 メガネは銀縁の分厚めで、とにかく古いものであることはわかる。


 如月高等学校に現れた天才、という触れ込みに偽りはなし。学年主席の称号をほしいままにである。

 しかし、彼の最も名が知られているのはそこではない。


「さぁ、今日も執筆しようではないか」


 クソ面白くない作品を垂れ流す如月高等学校文芸部の大根作家である。


 ※


「これを読んではくれないかい? 仁科クン」

 そう言って差し出されたのは原稿用紙一〇枚程度の短編小説だった。


 それに対して「はぁ」と「へぇ」の中間くらいの声を出して受け取ったのは仁科肇にしなはじめ。如月高等学校二年にして、文芸部員である。部長でも副部長でもない。


 ざーっと読んで一言。

「なんで文芸部なんですか? 部長?」

「む?」

 出された原稿を読んでのその一言は些か辛辣であったが、それもやむなしである。

 相変わらずの文才の無さにフォローの言葉は浮かばない。

「部長だったら、文学じゃくてもいいでしょう。科学でも英語で数学でもなんだっていいじゃありませんか」

 失礼な物言いにも大して気を悪くすることもなく、不敵に笑うと語り始める。

「愚問だね、仁科にしなクン。

 私が何よりも文学の世界に魅せられているからに決まっているではないか」

「だったら、読むだけでいいでしょう。無理に創る側にならなくてもいいじゃありませんか」

 そこまで考えると顎に手を当てて親指で撫でる。

 こんな風にしているときは、大体自分の脳をフルに動かして思索しているときである。

 仁科を納得させるためではなく、自分を納得させるために。


 きっちり三〇秒考えてから静かに口を開いた。


「……人類の発明で最も素晴らしく偉大な発明とは何だと思うかね?」

「はい?」

 突然に言われて一瞬戸惑ったが、すぐに考え始める。

 これもいつものことである。


(うーん)

 仁科はあまりオツムが宜しいとは言えないが、偉大と呼べる発明にはいくつか心当たりがある。


 人々を空に飛ばした飛行機?

 人々に叡智をもたらしたコンピュータ?

 人々に宇宙の視点を与えたロケット?


 浮かぶとしたらそれこそ枚挙がないが、どれもスッキリしない。


「いや、人が創り出したどれもが素晴らしく偉大であることは否定できない。

 だが、最も偉大で素晴らしい発明とは、文字なのだと私は思う」

「文字……ですか?」


 なるほど。確かに発明とは実際にある物品だけを指して言う物ではない。

 使い方を覚えればいくらでも応用できる道具。

 偉大である、というところは納得ができるが、最も偉大かと問われると仁科からすれば首を傾げてしまう。


「なんか納得できなそうな顔をしているね」

 まだ見えてわかるほどなのか、それともそんな反応も織り込み済みなのか。

「文字の役割って何だと思う?」

 文芸部員として、ひどく根本的なことを聞かれた気がして、自然と言葉を選ぶ。

「……そりゃ、……相手に自分の意思を伝えるため……じゃないですか?」

「それだと三角かな、丸はあげられない」

 慎重に言葉を選んだはずだったが、完全正解とはいかなかった。

「文字はね。今いない誰かに自分の意思を伝えるために作られた」

「今いない誰かに?」

「そう。目の前にいる誰かに伝えるならば言葉で足りる。

 でも、目の前にいない人には言葉では届けられない。

 文字は空間的に遠く離れている人は勿論、時間的に遠く離れているはずの後世に自分の意思を伝えることを目的としている」

「数字だってそうでしょう?」

 その答えに「うーん」と微妙な表情を浮かべた。

「まぁ、似たようなものであるのは間違いないですが。そこは少し違いある。

 数字が遺すのは自分の意思ではなく、現実なのだよ」

「それだとダメなんですか?」

「無論ダメじゃない。

 ただ、私がすごいと思うのは、数百キロ先で、数百年先に、今感じた心の動きを再現することができるという点なのだよ」

 ひどく大袈裟なことを言われている気がした。

 天才が考えることってよく分からないなぁ、と思う。

「君は仁科クンは本を読んで感動したことがあるかい?」

 それは無論ある。

 そうでもなければ彼も文芸部に入ろうと思うことはなかったろう。

「不思議だと思わないか?

 文字の一つ一つが大して意味を持たないはずだが、組み合わせただけで人を感動させたり、悲しませたりできる」

 何故こんな文字の羅列で心が動くのか。それがどうしても知りたいのだよ」

 仁科はこの時、この天才が言いたいことを何となくであるが理解した。


 おそらく、卜部慶次は純粋シンプルなのである。

 自分が文学に心を動かされた。

 だから、自分も心動かされた理由が知りたい。

 だからやってみた。

 その過程で自分が上手くできないことなど織り込み済みで、むしろ通過点チェックポイントなのだ。


 マザーグース曰く、女の子はお砂糖とスパイスと素敵な何かでできていると言う。


 そして卜部慶次曰く、文学は紙とペンと不思議な何かでできている、と言うことなのだろう。


 ふむ、と彼の事情について、曖昧であるが理解する。

 そこを踏まえて一言。


「でも、部長。残念ですが出してくれた原稿はボツですからね」


 仁科肇。

 彼は部長でも副部長でもない。ではないが、文芸部の編集長である。

 彼のメガネに適わなければ、先輩だろうが部長だろうが天才だろうが部誌への掲載は認められない。

「紙とペンは御座いますので、さっさと『不思議な何か』を埋めて持ってきてください」

「はい……」


 どうも天才も「不思議な何か」を未だに掴めずにいるようだ。

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