紙とペンと虚偽の罪人

冬野ゆな

嘘は重大な罪悪である

 嘘は重大な罪悪である

 なんぴとも嘘は死に等しいと理解せよ



 その日、終焉監獄に連れられてきた罪人は、記念すべき99999号の名を賜った。


 罪名は虚偽罪。

 嘘や虚偽の情報を他人に渡したのが罪状ということだったが、看守たちはたちまちに男の話題で持ちきりになった。

 なにしろ、今や虚偽罪なんてものは前世代、ともすれば数世紀は前の産物だったからである。

 男が具体的に何をしたのか、どんなことをしたのか、看守たちにもさっぱりわからなかったのである。


「あれが虚偽罪の男かあ」


 その様子をモニターで見ていた一人が言った。

 モニターに映った男は痩せていて、乱雑に伸びた髪の間から虚ろな目が覗いている。


「いまどき、虚偽罪で捕まるなんて見たことありませんよ」

「そうだな。だが虚偽罪は重罪であることには変わりはない。ともかく、ここに来たんだ。歓迎してやろうじゃないか」

「はあ、まあ、そうですね」


 看守たちは男がどんな犯罪行為をしでかしたのか、興味をそそられていた。

 なにしろここは終焉監獄。

 もはやどこにも収監できぬ大罪人が最後に行き着く地。


 とにもかくにも、虚偽罪の男の話は決して信じてはならぬとだけ周知された。

 男の言葉は噂に聞く『虚偽』かもしれない。『虚偽』とは言葉を使う罪らしい。

 しかし男はぐっと口を噤み、期待に応えることなく無言を貫いていた。いつ『嘘』を話すのか、それはどんな罪なのか。

 男の罪は他の囚人たちの興味も引いた。囚人たちはことあるごとに虚偽の男をからかったが、とうとう何も声にすることはなかった。

 黙々と割り振られた仕事をこなし、部屋にいる時は膝を抱えてじっと座り込んだままだった。

 その面白くない様子に、男への興味は次第に薄れた。男はヒエラルキーの最底辺になった。存在自体が軽んじられ、その常軌を逸した暴力によって、たびたび囚人の罪状が増える。ただそれだけの存在となった。


 ところがそれからしばらく経ったころ、男に動きがあった。

 その一報は、差し入れ許可を担当している看守からもたらされた。


「紙とペンが欲しいそうです」


 その訴えは、意外さをもって迎えられた。


「紙とペン? 文字パネルではなく?」

「今時、紙とペンだなんてな」


 そんなものを使う奴なんて珍しい。

 しかしその訴えは特に問題なく許可された。

 虚偽なら虚偽で、与えてみればいいということになったのだ。


 ほどなくして、埃まみれのボールペンと、同じく埃をかぶっていた紙の束が差し入れられた。

 実際に差し入れられたのは一ヶ月も経ってからのことだったが、他の要求に比べれば恵まれたほうだ。

 男が何をするのか、看守たちの興味があったのもある。


 男は紙とペンを手にすると、一心に紙に向かってなにかを書き付けていた。部屋の中では延々と膝を抱えていただけの男がだ。

 きっと古めかしい手紙に違いないと看守は笑った。

 ここまでくると誰に出すのか興味も湧く。

 男が割り振られた仕事をこなしている間、清掃に入った看守たちは部屋に積まれた紙束を手にした。


「ええっと、何々?」


 どうせ検閲に入れば見ることになる。

 今見ても同じだろうと思ったが、次第に看守の目は紙束に釘付けになった。


「……こ、これは……、これはいったい何なんだ?」


 看守は震え、今読んだものが信じられぬという顔をした。

 他の看守がすぐに紙の束を手にとって目を通すと、たちまちに止まらなくなった。


 それは戦地に向かう男と、残された女の悲恋だった。

 女は男が戻ってくることを信じ、待ち続ける。しかし待てども待てども帰ってくることのない男に、女の生活は困窮する。やがて手を差し伸べた別の男と結婚し、子供ができた。そんなとき、戦地から男が戻ってくる――。


 まるで見てきたような書き方だった。

 お互いの言葉はきちんとカギ括弧でくくられている。それ以外には、どんな行動をしたか、どんな心情だったか、どんな匂いだったか、どんな衣服だったか。それらは看守たちの脳を刺激した。

 戦地の男の、生きるか死ぬかの息の詰まるような生活は恐怖を呼び覚まし、食うや食わずになっていく女の様子は胸を痛めた。

 地獄のような戦場からようやく舞い戻ったものの、女のもとをそっと立ち去る男の、悲痛な胸の内に涙さえ流す者もいた。


「これが、嘘なのか?」


 あまりに悲痛な内容に、看守たちは動揺した。

 本当の出来事かもしれぬと、何人かは半信半疑になった。


 ひとつの嘘は瞬く間に波紋を広げていった。


 看守たちはほんの少しの期待をこめて、もう一度紙の束を差し入れた。

 掃除の際に纏められた紙束を回収してくると、さっそく目を通した。


「今度は勇猛な戦士の話だ」

「この間は、姫が呪いを解くまでの話だった」

「おれは古い遺跡の秘密を暴く話が面白いと思ったよ」


 看守たちは噂した。 

 その話が署長の耳に届くのは時間の問題だった。


 署長は看守たちをとりまとめている部下を呼び出し、目の前に紙束を放った。


「……なんだこれは?」

「……」

「これは事実か?」

「……わかりません」


 四ページに渡ったそれは、表も裏もきっちりと詰まっていた。


「奴は危険だ。奴のつく嘘に皆が惑わされている」

「……はい」


 煮え切らない部下の返答に、署長は眉を顰めた。

 今や、嘘とは何なのかを理解できていた。現実にあったことではないのに、見てきたように言葉を綴る。だがその「できごと」は、時に読んだ者の心を震わせる。

 本当にあったことではないのに。


 嘘が嘘だとわかるものまであった。

 母親を失った子供に、星になったのだと告げる話などひどい悪行だ。この人物が実在していれば虚偽罪で捕まっているところだろう。

 死は死だ。もはや会えないことはどうしようもない事実。それを受け止めずにどうして誠実に生きられよう。

 だが、ひとりの囚人はその悪行を読んで泣きさえした。

 せめてあのとき誰かが――嘘だとしても――こう言ってくれさえすれば、ここまで絶望を感じずに済んだと泣いたのである。


 それどころかひどく納得できるものさえあった。

 たとえば、寄り道をするなという言いつけを破った子供が、森の中で獣のような生物に嘘をつかれて食われる話。

 たとえば、勇敢な戦士が街をおそう化け物を見事に退治し、宝を持ち帰る話。

 たとえば……。


 悪いことをすれば悪いことが。良いことをすれば良いことが。

 それらは教訓として当たり前に話されていることである。

 だが、この紙束では実体験であるかのように語られている。

 具体的に何が起きるのか。そしてそれは、囚人たちにもわかりやすい実体験として受け入れられていた。


 ――いったいなんなんだ、これは?


 署長は首を傾げた。

 嘘は悪である。悪以外の何物でもない。

 しかしこれらの「嘘」は、看過できない。


「今はいい。だが、この『嘘』がもし混乱を招いたら……」


 そのときは。

 きっととんでもないことが起こる。


 もしかして――だからこそ『嘘』は害悪とされたのか。


「しかし、失礼ですが署長。署長は、包丁は危険だからと国じゅうから奪い取れますか」

「包丁は包丁だろう」

「しかし包丁は野菜や肉を切る以外に、人に突きつけることもできるのです」


 署長は唸った。

 その間にもこっそりと看守によって紙束が差し入れられていった。

 虚偽の男によって作られた嘘は、もはや終焉監獄の中で知らぬ者はいなかった。

 虚偽の男の嘘を楽しみに、規律が整っていったのは驚くべきことだった。あれは本当なのか、それとも男の頭から出てきたものなのか、殺人と窃盗と脱獄の方法よりも多く議論されはじめた。


 それは歓迎すべき事態であったが、胸中は複雑なものだった。

 署長は仕方なく、それらすべてに虚偽罪を適用していった。

 罪は重ね合わされ、やがて男は死の罰からは逃れられなくなった。


 彼が首を括られることになった日、多くの人間が処刑台に向かう彼を見送った。

 多くの看守がその姿を見守り、多くの囚人が彼のために祈った。


 署長は翌日の臨時朝礼にて、最悪の罪人が死をもって償ったことを発表した。


「今や忘れ去られた罪の男は、稀代の犯罪人であった。悪しき言葉を操り、魂を捧げ、嘘たるものを作りあげたのだ」


 誰もがしんと静まりかえっていた。


「だが、この冊子は厳重に保管されるべきだ。嘘たるものがなんなのかを示すために」


 誰もが署長と同じことを思った。


「我らは偉大な嘘つきを失ったのだ」

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