4話  狐探し

 これは。何かの間違えだと、最初はそう考えていた。


 くだらない青春ごっこ。または戯れ事。余計なお世辞であるとしか勝手に認識していた蛇足。それが反乱をもたらすファンブルだとは知らずに、起きた事実は理想とは真逆の色に塗り替えていく。


 不運はよくある。


 あらゆる人々全員がラッキーになるとはいかないように。


 だがしかし、それでも納得が出来ない理由が日比谷航にはあった。腹が煮えるほどの憎たらしい原因は、人為的な存在の影響で生じたものだった。


 特に。相容れぬ、招かれざる親友の登場によって―――。


「なあ、日比谷。なんで千駄木はあんなに怒ってんの?」

「知るか」


 入学式を終えて。


 関係者と共に帰宅していく学生達の立ち去る姿を航は退屈そうに眺めていた。


(そんなの、こっちが聞きたいくらいだ……)


 担任の教師に配られた教材を黒バッグに淡々と仕舞う。流れ作業のような面白みのない労働。思わず無気力染みた態度を取ってしまう。長時間規則の順序を強要された感覚が苦痛で仕方なく、今に至っても不快感しか残らなかった。


 けれど、正直。


 どうでも良かったのかもしれない。


 冷めっぽい印象を残そうが実際として興味がなければ行動には至らない。


 活力を見出していない航は退屈に埋め尽くされている状態だ。今まで通りの殺風景な生活が続くとなると、感情を抱くことさえ疲れを覚える。


 もしもの話だ。


 あのタイミングで空気が読めないB級クラスの親友が乱入しなければ。



 ―――何か話を聞けたかもしれないのに。





 舞台は早朝の教室に戻る。


「君は、私のことを……」


 わずかしかない時間を掛けて。

 千駄木が心に込めていた言葉を告白しようとしたあの瞬間、昇降口の付近で馬鹿をやっていた知人が突如として教室に乱入してきたのだ。


 予想外のアクシデントの到来に航は忽ち茫然としてしまう。


「な……」


 なぜ。どうして駒込がここにいる。


 疑心暗鬼となった撥ね付ける反応が顔に出ていたのだろうか。容易に想像できる表情を駒込は面白そうに見付けた。よっすと手を前に挙げては気楽に返事をするのだが、出会い早々とんでもない発言が炸裂する。


 耳を疑うばかりだ。


「お、いたいた。おーい日比谷、一緒に女子をナンパしようぜ?」

「マジかよ……。なんで、お前がここに……」


 分かりやすく怪訝そうに尋ねると、茶髪の少年は不敵な微笑を浮かべた。


「なんでここにって、そりゃあ理由は一つしか無いんじゃないかな? 俺も日比谷と同じく華やかなA組だったワケ。悪いね。今年限りは宜しく頼むよ」


「……所詮、どんなに腐ろうが腐れ縁ってヤツか。駒込」


 差し出す握手に平手打ちを返した。

 不意にも運命には抗えないと知り、そう悟った航は諦める形でため息を吐いた。


 駒込貴雄とは九年間同じクラスが続いている。


 しかも不運は今年も絶賛継続中。


 何かしらの因果が関係してあるとでも言いたいのか。

 実際として理想が掛け離れていくのは数名いるクラスメイトが知人だという事実を受け止めると、案外自分は見えない神様に弄ばれている気がしてならない。


 むしろ、そうでもしなければ困る。


 なぜならば。


 航は爆弾を抱えていた。


 駒込貴雄という人物は敵味方問わず、問答無用で共倒れを利用してしまう災悪の力を備わっている。ただ単に他人を不幸にさせる程度のものじゃない。何より恐ろしいのはタイミングを見計らい、好きに介入出来る親友はどれほど批判を受けようが、蓄積した痛みを他人に擦り付けることだ。


 数多の情報を懐で牛耳る駒込はいつ噛み付いてもおかしくはない。

 そんな火薬庫の権化を制御出来るのはごくわずか。


 呪われた中学時代を更に歪ませた道化師。奴は恥を知らない。様々な人達を狂わせた三年間。人間関係が悪化した航が心機一転のチャンスとなる高校生活でさえも窮屈にされるのはどうしても避けたいところ。


 奴を絶対に野放しにしてはいけないのは十分に分かっている。


「腐れ縁……? こんな人が?」


 突然として現れた部外者に千駄木は忌々しそうに呟いた。


 重要な意味を持つ彼女の言葉。

 神妙を醸し出す空気は緊迫感をもたらしていたハズが、駒込の訪問と共に場の空気を凍らせる発言によって遮断されてしまう。


 結果として。


 彼女の逆鱗に触れる原因となった―――。


「……おっと、これは驚いた。まさか同じクラスにこんな美少女がいたなんて。日比谷には勿体ないな。うん。今度どっか遊びに行かない? これから長い付き合いになるんだし、是非とも親睦を深める機会を作らないか?」


「本当に、懲りない奴だな。駒込、お前、何か勘違いしてないか」


 自己紹介をする気力が失せるほどの骨が折れる存在。

 会話を弾ませることも困難だ。


「腐っていたのは性根の方……。ごめんなさい。お誘いは遠慮させて頂けます」

(明らかに態度が他人行儀に変わっている……)


 即座に向けられたのは冴えた眼光であった。


 もはや駒込を脅していると過言ではない。改めて気高さを彷彿とさせる見た目が反映して、美しさを兼ね備えた厳格が凄まじい。発言だけで人を卒倒させてしまいそうなプレッシャーを放つが、それでも馬鹿はその程度で怖気付けない。


 むしろ食い付いたではないか。


「そうそう。腐れ縁。コイツとは長年親友をやっているんだ。雰囲気を台無しにする悪い奴だけどさ、意外と心情深いところがあるし、悩みがあったら少しは聞いてくれるかもよ?」


「なんで媚びているのかは知らないが、別に彼女はなにも関係ないぞ」


「俺の勝手なんだからさ、別にいいじゃん。全部本当の事なんだぜ? けれど実際としてコイツは人見知りでさー、あんまりオススメはしないかなー。まあ、知りたいことがあったら、代わりと言ってはなんだが俺が話し相手にしてやるよ」


「なんかしれっと貶すの止めてくれないか」


 何気に自分自身を主張している親友に航はやれやれと首を振る。

 他人を棚に上げては自分の正当性を彼女に示す。異性を落とす恋愛のテクニックだと譫言を呟いているがどうも胡散臭い。口説く相手を過怠している。


 敵意を抱いた千駄木に媚を売るなと裏をかいて忠告したが、どうも無駄だった。

 そもそも意志疎通が出来ていない時点で。


 反感を買う羽目に。


「……彼を、コイツ呼ばわりしないで。君の方が随分ウザいんだけど」


 なにが恋愛テクニックなんだろう。


 完全な敵対心を持って彼女は駒込を拒絶していた。


 邪魔された鬱屈を凌駕して、燃え盛る反骨心は滾らせる。きっと駒込の存在自体気に食わないのだ。大事な時に横槍が入り、気に障る発言をした。罪に等しい行為に千駄木は堪えられなくなってしまい、つい暴言を吐いてしまう結果に。


 流石に執念深いと他人に嫌われる。

 まして端麗な容姿と尖った印象が人の目線を選ぶものなのに。


 ナンパしようと目論む単純な行動が、彼女にとっては地雷に過ぎなかった。


「ごめんなさい。……近寄らないでくれない?」


 雰囲気を理解した。既に千駄木になる選別が始まっていることを。


 これは採点だ。


 スクールカーストの頂点に君臨する権力者を千駄木幸乃に例えてみせる。

 生まれ持った素質は紛れもなく本物であり、彼女の鋭利のような鋭い意見が背く異端分子を排除していく力を備えている。偶然にも彼女の趣向が一致した航は普通に許されただけで。根本的な信頼の距離は縮まってはいない。


 横暴を重ねる駒込に鉄槌を下す。


 決してそれは権力の乱用によるものではなく。湯水のように不正に浸かる粗悪者を徹底的に失墜させていたのだ。


 改心を促す為だけの。


 冷たい一撃が込められた言葉のまじないを彼女は唱えていく。


「関係のない他人を誹謗中傷をして、不幸に貶める可哀想な君は、地獄に落ちることをいつか必ず後悔する時が来るから」


「……結構、冷たいことを言うんだなぁ」


(まさか、人を小馬鹿にしてきた駒込が、劣勢になっているのか!?)


 驚愕は収まらず衝撃が走るのは、散々他人を困らせてきた駒込が迫力負けをしていること。千駄木の圧力を想定していなかったのか苦笑を浮かべていた。徹底的な拒絶がメンタルを削るほど、彼女の言葉が強く響いたことになる。


 もしも対等な距離を取ることがなければ、あるいは金貨のチョコレートの存在がなければ、千駄木幸乃とは会話を弾むことも無かったかもしれない。


 チョコレートが繋がりを左右する鍵になっていたなんて。


 お菓子を見る価値が変わる。


 そして有り得ないことにチョコが人間に勝利し、人間がチョコに敗北した。


「何か用でも?」


 残酷なほどの突き刺す視線が支配する。


 駒込貴雄を人として見ているのだろうか。多分見てはいないだろうが。

 彼女の執念が駒込のプライドを落とそうと躍起になっている。だがしかし、解決策を探ろうとしても溝が埋まるどころか亀裂が走るだけだ。最悪の場合危険な目に遭う可能性だって捨てきれない。


 もしも彼女に嫌われるようなことが起きれば、続きの言葉が聞けなくなる。

 取り返しの付かない気がしてならないのだ。


 逃げたいのは山々なのに。


 目の前で繰り広げている事実を静観するのはどうだろうか。


 答えは。とっくに自分の中で成立していた。


「あー……、ごめん。なんか嫌な気分にさせてすまない。多分駒込はそこまで悪気が無かったんだと思う。普段からあんな風にイカれた感じなんだ。ちょっとだけ調子を乗って口を滑らす奴だけど、根は悪くはないハズだ」


「……そうなの?」


 とにかフォローを続けるしかない。


 饒舌を演じる。


 駒込が煽る度に地雷が散蒔いたとしても、千駄木の琴線に触れようとしても、最悪な結果を回避すれば何も起こらない。不発する。明確に態度の温度差が柔らかく変貌している彼女の機嫌を保てば、無駄な争いは生まれない。


 せめて、順風満帆に満たされた景色を目に焼き付けるまでは。


 ギスギスした高校生活なんて送りたくはないのだ。


 誰もが実感する。ゆっくりとできるような平穏な日常を望んでいたのに、駒込の意味不明な発言に航はただただ目を疑った。


「いやぁ、なんか、誤解させて本当に申し訳ない。実は……、全部冗談なんだよ。知らなかった? 君に言ったんじゃなくて、日比谷に向けて言ったんだよ。大体、初対面に失礼なことは言えないじゃないか。あはは、勘違いさせちゃったかな?」


「!?」


「……駒込、ちょっと待て」


 なぜ、彼女を煽ろうとするのだろうか。


「失礼にも程があるだろ。勘違いしているのはお前の方だ」


「待てよ日比谷。そんなに怒ることはないって。もし本当に彼女が誤解していたらどうするんだよ。それこそ失礼だし、事実を伝えないで女性に嘘を付くなんて、フツーに嫌われるだけだぜ?」


「デリカシーが欠落してるの間違いじゃないのか……」


 謝罪する方向性が全く異なるばかりだ。

 勘違いをしているのは紛れもなく駒込の方だった。


 無駄な争い事を避けようとわざわざフォローしたのに。


 なのに、駒込は他人の意思を汲み取らないで爆弾発言を投下してしまう。

 彼女の機嫌が悪化したのはコイツの求めてない登場と軽率な発言が原因だというのに、結局は場違いに終わる。


 時既に遅し。


 ナンパというよりも喧嘩を売っているレベルだ。見ていられない。


「……そのぐらい、誰だって判断できるけど」

「ほう?」


 千駄木はカチンと来たのか引き摺った笑みを浮かべる。目が全然笑っていない。

 むしろ疎通の隔たりに苛立たしさが全身に広がっていた。


 駒込を排斥する理由は簡単だ。


 人望が買われた航を侮辱したことにより、道化師に対する評価が下がって失望にまで至らしめたこと。


「君は、本気でからかっているだけだもんね」


 たとえそれが親友という定義だろうが、彼女には一切関係ないのだ。


「……!?」


 必死に歯を食い縛り微笑む彼女の様子に航は口を噤む。

 華奢な手に込められた握力を刮目する。


 持参していたお茶のペットボトルを片手で捻り潰そうとしていた。

 どこにそんな力を秘めていたのか。軋む音が悲鳴にも聞こえて、可愛らしいクマのデザインをした巾着が時空が歪んだような苦痛の表情を浮かべて、それが親友に突き付けたオブジェだと思うと、つい現実を逸らしたくなる。


 ―――もはや原型すら留めていないではないか。


 彼女の荒々しい一面を目撃し、若干青ざめている一人の高校生を置き去りにして、道化師と支配者による奇妙なトークが始まる。


「なんだ、分かっているじゃん。良かった良かった。やっぱり思い違いだったか。よく考えたら誰も勘違いしないか。でも、近寄らないでは酷いと思うよ。傷付いた結果、日比谷は未だに彼女無しだっけ?」


「俺に振るなよ……。というかお前に言ってんだよ。なにこの関係ない話は」


「ふぅん。彼女いないんだ……。独りぼっちで寂しくない?」


「一人で悪かったな!」


 駒込の唐突な話題に振り回されたり、やけにテンションの低い千駄木は小馬鹿にしてくる。弄ばれているのか、貶されているだけなのか正直曖昧だった。


 適当な反応なんて出来ない。矛先がこちらに向ける場合だって有り得る。


 ここは謹聴した方が良さそうだ。


「別に、悪い意味で言ったんじゃないよ。私も独りでいる方が好きなんだ。確かにみんなで騒いだりするのも楽しいけど、やっぱり静かなところでゆっくりと過ごしたいな。……日比谷くんなら、どうする?」


「うーん、そうだな……」


「俺も独りでいる時間が一番好きだなー。てか独りでいる時間が多いわ」


「……さっき、外で騒いでいた犯人はアナタで決まりだよね」


 話に横槍を入れると一貫して冷徹な態度で駒込を排斥しようと躍起に回る千駄木の印象が、一層と恐怖を募らせてしまう。


 相変わらず駒込には厳しい反応が続く。単純に性分が合わないというか、生理的に受け付けないらしい。口調も軽いのに鋭い。独りでいる時間を好んでいる彼女の場合、とにかくうるさい人が苦手なのだろう。


 特に外で騒いでいた馬鹿とかは。


「女の子を傷付ける人って、サイテーだと思わない?」


「ちょっと待って、女の子を傷付けることはしていないつもりなんだけど」


 違和感を覚える気掛かりを見付けたのか。

 意地悪を仕掛ける小悪魔のように千駄木は喜色を浮かべてみせた。


「顔に犯人ですって書いてあるけど? その証拠として確たる証言がある。聞きたいでしょ? それはアナタが女の子を強引に口説いているのを私がちゃんと見掛けていたから。この目でね。女の子は嫌がっていたのに、それでも執拗深く話し掛ける惨めな姿は、まさに不審者と変わらない」


 浴び蹴られる真実の証言。容赦のない言葉の刃が駒込をグサリと刺していく。


 よほど鋭利だったのか額にはびっしりと汗が浮き出ていた。


 更には声が弱々しく震えていた。


「ナ、ナンノコトダロウ?」


「まったく……」


 いい加減馬鹿馬鹿しく思えてきた。


 駒込は駒込でナンパを諦めようとはしない。めげずに笑顔で取り繕う。とにかく抵抗をやめない。余程千駄木を振り向かせたいのだろうが、端から見ていた航にとって滑稽に見えて仕方がない。精々稼いだのはフラストレーションであり、反撃の狼煙を上げるには、時間が圧倒的に足りないようで。


 静まり返っていた廊下が賑やかになり。

 教室を出入りていた学生達が時間の経過と共に増えていくのだ。


 ―――マズイことになった。


 このままでは実体のない噂が流れしまい、悪評が広がってしまうではないか!


「しまったな……。流石に人は集まるか」

「お! これだけやってくると噂の一つや二つ立つかもな!」

「噂というよりも風評被害でしょ。迷惑を掛けているのがわからないのかな!?」


 雑音が増える。それは次第に声の形となって。


 美少女と一般の高校生と不審者の三名。

 これらを視界に映れば返ってくる反応はあまりにも容易なものになる。


 何より顕著だったのは、ひそひそ話をする声だった。結構華やかなグループの女子達が駒込を見て軽蔑していた。千駄木の方は目を奪うほどの美しさに憧れを抱くキラキラした視線が飛んでいる。至極当然とも言える想定通りの結果だった。


 その一方で無関係の航には意外な反応を見せた。


 なんと、話し掛けてきたではないか。予想外の結果に戸惑いは隠せず、それでも対等以上に接してくれる女子は罪悪感はない。むしろ好印象だったらしく遜色なく学校の出身などを聞いてくる。


 珍しい。


 ほんの少しだけ得した気分を味わえた気がした。


 懐かしい感覚が甦る。いつ以来のシチュエーションなのか思い出してみる。

 ロクな思い出しか残らなかった為、青春を感じる一瞬が眩しい。平穏が一番だ。会話を弾ませるだけでも楽しいと実感する雰囲気が心地よい。


(……こういう、人生も、俺は有り得たのかもしれない)


 この景色は悪くはなかった。


 もしも、クラスメイトのみんなと青春を謳歌出来るような幸せな日々が続くのならば、絶対に後悔しない思い出を心に刻もうと思う。二度とない人生を考えてみれば、やり直しなんて効かないのだ。


 だからこそ。航は日常に憧れている。


 何かの為に。誰かの為に。自分の為に生きようとそう思った矢先に、


 背後から甘い声が戦慄を助長させていた―――。


「……そういえば。チョコレート、ありがとう。とても美味しかった」

「え?」


 いつの間に。千駄木に知らない笑顔を向けられていた。


 一瞬だ。


 気配を殺していたのか。それとも純粋に航が気が付かなかったのか。

 けれど余所見をしていた事実だけが残る。結果は変わらない。真相は航以外の人物に映る瞳の中にある。そして向けられた鋭い眼光と直面して、狼狽に埋め尽くす航は繋ぐ言葉をただただ見失う。


 本当に恐ろしかったものは。


 ―――さっきまで減らず口だった駒込が、いきなり吹き飛んでいたからだ。


 さてはコイツ。


 彼女を憤慨させるようなとんでもない地雷を踏んでしまったらしい。


「……もう、私と関わらない方が、君は幸せかもね」


 敵対視していた道化師には眼中に無い模様。


 泳いでいた視線に違和感を発見する。床に転がっていたのは、さっき捻り潰されたペットボトルだった。どうやら顔面に命中したらしく、堪忍袋の緒が切れる直前の彼女に無神経な駒込は何かを告げたというべきか。


 半分呆れて。半分衝撃が走るばかりだ。


 何事だ。

 怪訝そうに困惑する学生達はざわめきを味方にする中で。

 派手にブッ飛ばされた駒込の様子を唯一目撃したであろう女子のグループは蛇に見込まれた蛙のように緊張してしまい、動く気配がない。青ざめた表情は現状を物語る温度を表現するように、事態は遥かに逸脱していた。


 涙目の彼女達は話す気力を奪うほどの、圧倒的な空気が支配している。


 こんな力を扱える者は教室に一人だけ。


 航は知っている。


 何もかも、彼女の意思によって生み出した結果だということを―――。


 金貨の形をしたチョコレートをゆっくりと味わいながら。平然と優雅に過ごす金髪の少女は、淡々とした口調で幕を閉ざした。


「さようなら。日比谷航くん」


 そして知らぬ間に彼女は航の名前を覚えていた。





「まあ、分かることは、彼女に謝る機会さえも難しくなったな」


 身支度を済ませた航の興味もない声音が続く。


 完全に話す機会を奪われた。執着心は何処かに失せている。ふと考えてみるば、今日の夕飯の予想をすることぐらいしか関心は氷のように冷めている。

 そんな呆気ない態度を取る理由として、千駄木を率いるグループが爆誕しており迂闊に関われない複雑な事情があったからだ。


 クラスメイトの女子の数名を形成とする千駄木を枢軸としたグループ。

 ピラミッド型のヒエラルキーを表しており、これ以上の派閥が生じない。ましてはイケメンを加えてる時点で、求められる要素は何処にもない。


 つまり、話す意味がないのだ。


 圧倒的な防壁が待ち受けており、駒込のような愚か者を蹴散らす声の数は軍団。

 どう抗おうが無駄だ。挑戦自体が間違っている。


 無謀という言葉が相応しいほどに。


「……お陰で聞きそびれてしまったし、これ以上、関わることは控えるべきか」

「そもそもさ、日比谷は何の話をしていたんだよ?」

「殴られたいのか?」


 腕を組んでは待機中だった駒込に尋ねられた。


 質問の内容によって、口を慎むべきものが含まれる。話を暴露しようが黙秘しようが駒込はあまり関係ない。本能に従うままに探求する。それが奴の思念であり他人の秘密を掌握したいマスコミのような鬱陶しさが漂う。


 それでも他人の思念など自分に精一杯な航には興味がなく。

 答えは勿論ノーである。


 知人だろうが口を滑らすと思わぬ展開を招くことになる。それだけは避けたい。


「俺が言うとでも思ったのか。そのぐらい、分かってたくせに」


「だよねー」


 流石は長年互いの特徴を見極めた同士。

 嘘を付けば簡単にバレる。というか元々怪しいのを知っている。


 腐れ縁の意志疎通は空気さえ読んでしまう為あまりにも口数が少ない。だが駒込が調子に乗ってふざけている以上、微妙に噛み合わない。


 その納得が行かない違和感について、航は腰を据えて考えた。


「大体なんだよ、入学式でナンパしようとする意図が意味不明なんだ。お前は変態か!? 端から見れば関わりたくない変質者にしか見えなかったぞ。それなのに、誰これ構わず実行して話し掛けていた。お前、何か探しているだろ」


 裏に何かがある。


 勘が働き、親友を糾弾に迫る。

 身内でも手加減はせずに常に本気で望む。それが積み重ねてきた経験となって今に至る。真実の追及を倍にして返させてもらう。


 探る目的は知らないが、因果応報が待ち受けていることを思い知るがいい。


「さては、東雲の仕業だな?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黄昏の修繕師 藤村時雨 @huuren

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ