折れるまじきや恋柳

若槻 風亜

第1話

「ごきげんようアンドリュー様! お覚悟!」

 晴れ渡る空の下、日課のパトロールをしていたアンドリュー・スターンの耳に聞き慣れた元気な声が飛び込んでくる。アンドリューはすぐさま腰に佩いた厚みのある剣を抜き放ち、近くの建物の二階から飛び降りてきた女性が打ち下ろした双刀を受け止めた。金属同士がぶつかり合う澄んだ高音が響き渡ると、周囲の人々はわっと歓声を上げ円形にアンドリューと女性を取り囲む。完全に町民たちの娯楽の対象となってしまっている事態に、アンドリューはキリキリと胃が痛むのを感じた。

 打ち合った直後、身軽な動きで後ろ向きに回転して飛び離れた女性が地面に着地する。彼女の動きに応じて細くまとめた長い髪が踊り、腰に付けた小さな鈴がシャンと軽やかな音を立てた。

「さすがアンドリュー様、この高さからの攻撃をものともしないとは。やはりわたくしの旦那様となるのはあなたしかいらっしゃいません! 今日こそ! あなたに勝利し! 我が伴侶になっていただきましょう!」

 双刀を構え直し、女性は夏の日差しがよく似合う鮮やかな笑みを浮かべる。その威勢と堂々とした求婚に、周囲からは楽し気な口笛や声援が飛び交った。女性は「ありがとう、ありがとう!」と大きく刀を振ってそれに応えている。

 彼女はイーヴァ・ロバーノヴァ。この町にあるギルドを拠点としている剣士だ。まだ結婚を焦る年でもない彼女がこうして毎日のように求婚してくるようになったのは、三ヶ月ほど前のことである。ギルドの仕事で出かけていたイーヴァは、運が悪いことに当時の彼女では手に余る魔物と出くわしてしまった。命を落としかけたその時、偶然通りかかったアンドリューがその魔物を一撃のもとにほふったのだ。

 それをきっかけにイーヴァはすっかり彼に惚れ込み、開口一番で求婚してきた。朗らかで見目の整っている若い女性からの求婚、など、通常であれば是非と受けたくなることだろう。だが、真面目な騎士はこれを拒否。彼女の昂揚を死が直面したことに対する危機感だと否定したのだ。

 だが燃え上がった乙女がその程度で止まるはずもなく、それからイーヴァは連日アンドリューの元を訪れ求婚を繰り返した。そんなある日、アンドリューが所属する隊の隊長がこう言ってのけたのだ。

『もう嬢ちゃんがアンドリューに勝てるようになったら嫁に貰えばいいだろ』

 もちろんアンドリューは了承してなどいないのだが、何故かそれはイーヴァの中で「勝てば結婚してもらえる」に変換されてしまったらしく、それ以降時間も場所も問わず襲い掛かってくるようになってしまった。

 流石に困るのでもう少し控えてくれないか、と丁寧に打診した所、今では「緊急事態ではない。他人に迷惑をかけない。日中である」というルールの元に挑戦が行われている。なお最初は職務中も禁止としていたのだが、「つまらない」とまさかのブーイングがあちこちからも出たためそれはなくなった。

「隙あり!」

 鋭く地面を蹴りイーヴァが一息に近付いてくる。眼前で振り下ろされた双刀を剣で受け、アンドリューは即座にそれを巻き込むように腕ごと剣を回した。すると、堪えるどころかイーヴァの体が勢いよく回転する。自ら飛んだのだ。薄い鉄が当てられたつま先がこめかみに迫ってきた。軽く首を後ろに傾けそれを避けると、逆さになったイーヴァからはおよそ恋する乙女とは思えない舌打ちが漏れる。

 一回転したイーヴァは再び跳び離れて双刀を構え直した。そんな彼女と対峙するように剣を構え直し、アンドリューは内心で末恐ろしさをしみじみと感じる。

 最初に挑まれた時よりも遥かに早い跳躍に、遥かに重い一撃。体の使い方もうまくなっており、今の彼女なら件の魔物も容易く倒せるだろう。

「さすがアンドリュー様! ですがこの程度では終わりませんよ!」

 言うが早いか、イーヴァはアンドリューに駆け寄り素早い連撃を繰り出した。観戦する側からすると十分に楽しいパフォーマンスで、周囲からは感嘆の声が湧き上がる。

 打ち込みの数が二十を超えた辺りで、観客こと町民たちの感心はイーヴァからアンドリューへと移り始めた。目にもとまらぬ速さだというのに、アンドリューは難なくそれを受け切っている。

「はい、足元がお留守です」

 冷静に指摘しアンドリューが足払いをすると、言葉通りお留守になっていたイーヴァの足はあっさりと攫われ、その体は地面へと転がってしまった。すぐさま起き上がろうとするが、眼前に抜身の刃が突き付けられる。

「今日も私の勝ちですね」

 息のひとつ切らさぬ様子でアンドリューが告げると、イーヴァは口惜し気に双刀を手放した。

「……負け、ました。~~~~っ、うわぁぁぁん! 次は絶対勝ちますからねぇぇぇっ」

 ぼろぼろと大粒の涙を流して泣き始めるイーヴァ。ぎょっとしたアンドリューは空いた手を胸の前に彷徨さまよわせ、おろおろと右往左往し始める。いつもの流れだな、と町民たちからは親しむ笑みが浮かんだ。

「はいはいイーヴァ~、頑張った頑張った」

「だいぶ近付いてきたよ」

「次もまた頑張ろうねぇ」

 えぐえぐと泣き崩れるイーヴァの周りに老若の女性たちが集まってくる。この集団に紛れている自信はないので、アンドリューは剣を鞘にしまいそろりとその場から離れた。すると、すかさず周囲を、こちらは老若の男性たちに取り囲まれる。

「いやー、今日も見事でしたなアンドリューさん」

「騎士様にこんな娯楽提供してもらっちゃって悪いなぁ」

「何か二人ともどんどん強くなってね?」

「さっきのすごかったね! ぼくね、音しか聞こえなくてね、全然見えなかったよ!」

 囲ってきては各々が勝手に喋り出すので、アンドリューは誰にどう返事をすればいいのか分からず困り果てた顔で曖昧あいまいな相槌を返した。イーヴァに挑まれ、アンドリューが勝利し、イーヴァが泣き出し、観戦を終わらせた町の人々にそれぞれ囲まれる。いつもの光景、いつもの流れなのだが、いまいち慣れない。

 このままもう少し囲まれていれば解放されるはずだったのだが、今日はいつもと少し違ったようだ。

「しっかしアンドリューよぉ」

 違いの始まりはアンドリューよりいくらか年上の剛健な男性が力強く肩を組んで来たことだ。男性は同じ高さにあった顔を下げて下から覗き込んでくる。

「こう毎日まともに相手してんだ、別にイーヴァ嬢ちゃんのことが嫌いなわけじゃねぇんだろ? 引き分けに持ち込んで恋人から初めてみりゃいいじゃねぇか。いや、お前らのバトルはいい娯楽だがよ? やっぱ男女の付き合いとしてはなぁ?」

 恐ろし気な面構えの割りに言っていることは至極真っ当だ。周囲からは「つまらん」「いやいいじゃないか」と二分するヤジが飛び交う。

「うるせぇうるせぇ! こういうのは周りじゃなくて本人たちが決めるもんなんだよ! で、どうなんだ?」

 周囲を一喝してから男性がまたアンドリューに視線を向けてきた。これは答えるまで引かない流れか。胃が痛むのを感じながら、アンドリューは答えるべき言葉を探ししばしの間唸り続ける。そしてようやく口にした答えは、「否」。意外そうな声があちこちから漏れた。

 アンドリューは集まる視線の中、ばつが悪そうに指先をいじくる。

「その、負けるわけにはいかないのです」

 それほど結婚したくないのか、分からん、いや分かる。沈黙の中男性たちは言葉なくまたも意見を二分させていた。

「な、何せ」

 アンドリューは視線を落としやや挙動不審になりながら言葉を続ける。

「か、彼女は、その、強い男が、す、好きなのでしょう? 私はこの通り、冴えない男なので、ええと、負けた途端に興味が失せてしまうのではと……ひ、引き分けも、同じで、半分でも興味が失せてしまって、あのきらきらした目が見られなくなるのが、非常に、その、恐ろしくて、ですね――」

 真っ赤になりしどろもどろになるアンドリューを囲んでいた男たちは、その様子に沈黙し、僅かなのち揃って大きな溜息をついた。ぎょっとするアンドリューをよそに、「はい解散」「分かってねぇなぁこの騎士様」「説得すべきはイーヴァちゃんだったかー」「アンドリュー様にぶちんだー」と好き勝手に言い放って離れていく。頑張って心情を吐露≪とろ≫したのにこの仕打ちは何なのか。アンドリューはキリキリ痛む胃を抱えて辛い声を零した。

 あまりに物騒なイーヴァの魚心に、ちゃっかり湧いているアンドリューの水心。これをお似合いと言わずに何というのか。悩める騎士を置いて離れていく男性たちの心は一つだ。

(((とっととくっついちまえ)))




 女性たちに囲まれながらもじぃっとアンドリューを見つめ続けていたイーヴァは、何故かしょんぼりしている彼にときめきを覚えて熱い息を漏らした。

「ああぁん、しょんぼりするアンドリュー様可愛いぃ。何話してたのかしら、ね。ね?」

「はいはい、土落としてんだからじっとしてなさい」

「あんた別に強いアンドリューさんが好きってわけじゃないなら普通にデートして普通に口説いたらいいじゃない。何でこんなことしてんのよ」

 世話焼きの友人たちに身だしなみを整えてもらっていたイーヴァは、呆れたようなその言葉に「だって」と迷いのない眼差しを注いだ。

「心配性で苦労性のあの方には心配の種になるような女じゃ駄目だもの。アンドリュー様には、あの方に勝てるくらい強い女がいいのよ」

 そしたら後顧の憂いなく働けるでしょう、とイーヴァは純粋な笑みを浮かべる。それはまた別の心配の種になるだけでは、という素直な感想があちこちから出るが、イーヴァは「大丈夫よ」と笑顔を崩さない。その自信はどこから来るのか、と友人たちは軽い溜息を吐き出した。



 好かれたいから勝ちたいイーヴァと、好かれていたいから負けられないアンドリュー。彼らの戦いの幕はまだまだ降りそうにない。


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