言わなくていい

 応接室を出た桜花は硬い表情で廊下を走る。物音の方角からして、間違いなく自分の部屋の方からだ。

 放置してあるいくつかの機械を勝手にいじられたら危ない。

「もしそれで霧江と和明が怪我を負ったら」という当たり前のことを考えていなかった自分の迂闊さを呪った。

 玄関を出ると、こちらへ向かって剥機夢鬼むきむきポロリンが歩いてくるのが見えた。上部には緊張したような、引きつり笑いをしたような和明の顔が飛び出ている。


「あっ如月さん。これどうやって止めるのかな」

「ちょっと待って。中のレバーでも止められるけど……」


 桜花は懐からペン状のものを取り出した。それをコリコリとひねる。春に開発したカクトワ・カールだ。和明に向けて投げながら言った。


「それで首の下にあるパネルに『エンジンOFF』って書いて」


 和明は言われた通り、目線の下にあるパネルに文字を書く。桜花の声がスピーカーから響き、ポロリンは作動を停止した。


「説明はあとでする。霧江は? 無事?」

「あ、え、多分、如月さんの部屋に。ぶ、無事だと思う」


 桜花は和明を置いて部屋へ向かう。恵美が追いつく。壁が無くなっている桜花の部屋の前に霧江が立っていた。話しかけようとした桜花を恵美が止める。

 泣きはらして充血した目を桜花と恵美の二人に向け、霧江は明るい声で言った。


「ふられちゃった」

「そうか……」

「悔しい」

「何も言わなくていいよ」


 恵美は沈んだ声で返し、霧江に近づいた。何も言わずに頭を抱き寄せる。

 霧江は時折泣きじゃくりながら、恵美の胸元に頭を埋めていた。情緒にうとい桜花ですら何も言えない時間がしばらく経ったのち、霧江は顔を上げた。


「ありがと、恵美」

「どういたしまして」


 恵美は霧江の頭をポンポンと叩いた。

 霧江は桜花に視線を向ける。


「小野君は大丈夫なの? 暴走していったみたいだけど」

「大丈夫。エンジン切ったから。それより霧江」

「うん?」

「どうにかして小野君に霧江のことを」


 恵美が割って入った。


「桜花、言わなくていい」

「でも」

「悪意が無いのは知ってるよ。けど今、それ以上喋ったら……」


 恵美は一瞬だけ霧江を見る。

 そして真正面から桜花に向き合い、かすれた声で言った。


「一生許さないから」


 気押される形で桜花は黙り込んだ。

 霧江も桜花をじっと見つめる。ゆっくりと口を開いた。


「……あのね、桜花」

「え?」


 見つめ合ったまま数秒。霧江は目を逸した。


「やっぱりなんでもない。ううん、言わない」

「あれれ。大切なこと?」

「とっても大切なこと。小野君にとっても」


 そっか、と言って桜花は部屋に入っていった。何かを探しているようだ。


「あの切り替えの早さは見習わないとね」


 霧江が桜花の背中を目で追いながら、恵美に話しかける。


「霧江、あれは切り替えうんぬんじゃないよ」

「まあ、そうね。欠落してるとこがあるよね。あぶないなあ」

「危なっかしいよね。で、何を言おうとしたの?」

「悔しいから言わない」


 その一言で恵美は察した。やはり和明は霧江でなく、桜花を選んだのだ。

 確かに桜花の外見は、母譲りの華がある。ところどころ言動にわけのわからないところはあるが。

 しかし恵美から見れば、桜花に負けず劣らず霧江もかわいらしいと思える。気立てがよく、何よりも頭が良い。自分が男なら霧江を選ぶけどなあと考えてしまう。和明が何を考えているのかわからない。


 桜花が戻ってきた。背負ったズタ袋にいくつか機械を放り込んでいるようだ。


「小野マシーンの様子を見に行くけど、二人はどうする?」


 二人は顔を見合わせた。霧江がうなずく。


「行く」


 恵美は観念した。わけのわからない女がわけのわからない機械を背負って、わけのわからない機械に取り込まれた何を考えているのかわからない男の元へ向かうのだ。何が起こるのか見当がつかなかった。

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