【KAC3】ポンコツおねえちゃんと、妹(ワケアリ)のお話

筆屋 敬介

ポンコツおねえちゃんと、帰ってきた妹。

 午後8時の都会の灯りは、全て足元できらめいていた。

 68階の窓からは、湾岸を走る高速道路が琥珀色のネックレスのように輝いている。

 ここは下界から切り離された天空のレストラン。静かに流れる生演奏のピアノが、大人の特別な空間を演出していた。


 あたしは改めて、その窓際に座る二人に目を戻した。


 一人は仕立ての良いスーツをさりげなく着こなすイケメン。この天空レストランに馴染なじんでいる。年齢は……えーと、33歳だったかな。

 穏やかな笑顔で、向いに座る相手に話しかけている。


 その相手は、黒スーツ姿の女性。年齢は25歳。ナチュラルメイクのキリっとした美女だ。長いまつげに伏し目がちの瞳。少しほつれた黒髪が掛かる白い首元にはシンプルなデザインのアクセサリー。キャンドルの光を受けて時折輝いている。


「ようやくさえさんと一緒に食事ができるんです。光栄ですよ」

「……私の名前は、白河しらかわです」

 女性は小さな声でそう言うと、細いシャンパングラスに口を付ける。

「白河冴さんですよね。綺麗なお名前です」

「……」


 あたしはその女性の姿を見ながら、頭を抱えた。

「白河さんのような聡明な方がプロジェクトリーダーで、私も安心していますよ。先日の見解データも素晴らしかった。部内も盛り上がっています」

「……」


 なんか言えよ。


 白磁のような指が再びシャンパングラスを取る。

「……」


 飲んでばかりじゃなくてさ!


「あの……部長……」

 伏し目がちの瞳が上目遣いに変わり、そして曇り一つないガラス窓に目を移す。その意味が私にはわかっていた。泣きそうな目の意味を。


 こっちを見るな。


「冴さん、どうされましたか? そんな潤んだ目をして。この夜景がそんなに気に入られましたか?」


 そんな泣きそうな顔で助けを求めてくるな。アドバイスしたはずだぞ。もう自分で何とかしろ。


 あたしはべーっと舌を出して、窓から外に飛び降りた。



※※※


「たまちゃあああああああああん! ひどいよぉぉ!」

 マンションの重いドアをバンと開けるなり、例の黒スーツの女が泣きながら飛び込んできた。

 ポテチをかじりながら夜のお笑い番組を見ていたあたしは、気にせず無視する。いつものことだ。


「たまちゃああああん! なんで先に帰っちゃうのお!」

「知らないよ。あれだけ姉ちゃんにアドバイスしたのに。流されちゃうのが悪い」

「いやだーって言うのに、会社帰りに拉致されたんだよー?」

「あんだけアプローチされているのにハッキリ断らないのがダメだって言ったじゃん」

「断ったよぉ。なんどもなんどもーー!」

 化粧崩れするから泣くな、姉ちゃん。


「小さな声で自信無さそうに言うのが悪い」

「だって! わたし、人前に出たら緊張して声でないの、たまちゃんも知ってるじゃないー」

 そう言うと、姉ちゃんはハンドバッグごとベッドの上に倒れこんだ。

 モデルのような長い脚をバタバタさせながら腕を伸ばして、枕元のぬいぐるみ――うさぎのウサ吉とウサ美に抱きつく。


 妹のあたしから見てもハッとするような美人の姉ちゃんは、いわゆるコミュ障というやつなのだ。言葉の少なさがミステリアスな魅力となって、学生の頃から男子に大人気だった。

 そして、当人が全く男子受けも気にせず、天然でも優しいところがにじみ出るのか、女子からも人気があった。



「もう! たまちゃん、かわいくない! 昔はいつもお姉ちゃんの後ろを付いて来る泣き虫たまちゃんだったのに!」

「高校生になってるんだぞ、そんな昔と一緒にするな」

 高校のジャージ姿のあたしはポテチをくわえて、TVのチャンネルを変えた。


「たまちゃん、高校生のまま・・・・・・だもんねえ」

「姉ちゃん。いつも言ってるけど、そんなかっこでベッドに倒れこんでるとスーツがシワになるからやめなよー」


 がばっと半分ほど身を起こした姉ちゃんが天井を見上げる。


「こら。おぎょーぎ悪いから、浮きながら食べちゃダメって言ってるでしょ。下におりてきなさいー」

 はいはい。すぐに対抗してお姉ちゃん風吹かすんだから。



 そう。あたしは白河しらかわ珠美たまみ。この、ダメな25歳の妹。

 あたしは高校生の時に難病が悪化して、薬も効かなくってそのまま死んじゃったのだ。

 

 閻魔様えんまさまの所で「このポンコツ姉ちゃんと、幼なじみの陽一にいちゃんが気になって成仏できない!」ってちょっとアツく訴えたら、期間限定で現世こっちに戻らせてもらえたって感じ。

 まあ、幽霊で、なんだけど。


「姉ちゃん、スチームアイロンはすぐに掛けときなよー」

「もー、わかってるよー。今からしようと思ってたのに。たまちゃん、うるさいー」

 のろのろとスーツをハンガーに掛けて、アイロンを取りに行く姉ちゃんの背中を眺める。


 こっちに帰ってきた時、最初は腰を抜かした姉ちゃんだったけど、事情を知った後は大泣きして……。幽霊だけどお互いすぐにこの生活に慣れた。まあ、期間限定って事は伝えてないけどね。


 両親が居なくて、あたしは理系の大学に行った姉ちゃんと一緒に住んでいたんだけど、しばらくしたら入院しちゃったってわけだ。


 こんなポンコツ姉ちゃんだけど、あたしを治す薬を作るって凄く頑張って大手の製薬会社に就職した。

 「偶然ひっかかって、そこしかなくってー」なんて、しどろもどろで誤魔化ごまかすから、しらんぷりしてあげている。なかなか気を使わせる姉だよ。

 薬? まあ、間に合うわけないよね。大事な就職先、そんな事で決めてどうすんだって。



「そういえば、姉ちゃん。明日、ホワイトデーでしょ。陽一にいちゃんから電話あったんじゃないの?」

「そ、そうなんだよー! どうしよう!」

「どうしよう! じゃないよ。バレンタインデーで渡したチョコのお礼じゃないの?」


「う」

 姉ちゃんの顔が、うにゅうっと崩れた。嫌な記憶が蘇ったらしい。

「毎年、手作りチョコに挑戦しては結局失敗しまくって、デパートのを渡してるんだもんねえ」

「たまちゃんの言うとおり作ってるのに、なんであんなに堅いのや、ちっちゃいのになるんだろ」

「知んないよ! 幽霊になって、もう手伝えないんだからさ。得意な薬品実験のように作ればいいのに」

「料理は実験じゃないよ!」

「あーもー! めんどくさい!」

「ふええ……たまちゃん、ひどい」



 コミュ障の姉ちゃんはとにかく人前に出たがらない。気の置けない家族にはこんな調子なんだけど。陽一にいちゃんの前でもテンパっていて見ていられない。

 だから戻ってきたんだけどね。


 会社では緊張感を持ってキリッとした社員を演じているらしい。その精神疲労のせいか部屋に戻るとこの腑抜ふぬけっぷり。お風呂で歌いながら湯船に浸かっているのが一番の楽しみらしい。でも一昔前のラブソングは恥ずかしいからやめろ。



「陽一にいちゃんちに行くんでしょ? ニートになって、部屋にこもっちゃって長いよね。あんま上手くない絵ばっか描いててさ。陽一にいちゃんのどこがいいの?」

 わざとイヤらしい質問をしてみる。

 姉ちゃんは、ふわぁっと幸せそうな顔をした。

「いつも言ってるじゃない。陽一くんは凄いんだよ」


 小学校の同級生だった姉ちゃんと陽一にいちゃん。

 陽一にいちゃんは物静かで目立たない人だったらしい。

 姉ちゃんも似たようなタイプで、ある時クラスの女子からイジメられ始めた。

 放課後、姉ちゃんが机で泣いていると、陽一にいちゃんが目の前に何かを置いて出ていったそうだ。

 丁寧に折った紙切れ。そこには絵が描かれていたんだって。


「そのマンガの絵がヘタっぴでねー。でも、そのお話を見たら泣けちゃった。8ページだけのマンガでね。でも読み終わったら思わず笑っちゃったんだよ」


 その日から姉ちゃんは、どんなにいじめられても人前で泣かなくなった。


「あのマンガのおかげだよ。たまちゃんが死んじゃった時もマンガ描いて渡してくれたんだー」


 知ってる。ずっと泣いていた姉ちゃんはそれを見て、その時から泣くのを止めたんだ。

 中身は見ていない。幽霊だから見ようと思えば見られるけど、姉ちゃんが大切に仕舞って誰にも見せないそれを、覗き見するような趣味はない。

 

「陽一くんには恩があるんだ。ニートになっちゃったからさ、私が頑張らないとねー」

 それって間接的なプロポーズになってるぞ、姉ちゃん。


「チョコのお返しくれるのかなあ。でも、恥ずかしいなあ。たまちゃんが受け取ってきてくれるとかー」

 えへらーとする姉ちゃん。何を言ってるんだ、このポンコツは。


「姉ちゃんが行かないとダメだよ。今回は絶対」

「え? 絶対? なんで?」

「それは陽一にいちゃんから――」

 まずい!

「ごめん、きまり・・・だから言えない!」

「そっか、きまりなんだ。幽霊も大変だねー」

「ちゃんと、お化粧して、おめかししていくんだぞ、姉ちゃん」

「はぁい」



※※※


 あたしは、フラッと木製の玄関扉をすり抜けた。

「おじゃましまーす」

 廊下を進み、部屋の前で小さく声を掛ける。

「さらに、おじゃましまーす」

 ドアをすり抜けると、机に向かって夢中に何かを描いている男性がいた。

「陽一にいちゃん。もうすぐ姉ちゃんが来るよー」

 机に向かう背中に小さく声を掛けてから、ふわふわと天井近くに浮かぶ。


「おう。珠美ちゃんか。言ってないだろうな?」

 振り向いた陽一にいちゃんが、あたしを見上げる。

「言ってないよ。陽一にいちゃんに会ってるのは言わない約束きまりだからね」


「その……なんだ、部長との食事……どんな感じだった?」

「泣きながら帰ってきた」

「!」

 ガタと立ち上がる陽一にいちゃん。

「あたしが姉ちゃん見捨てて、さっさと帰ったからだけどねー」

「そ、そうか」


 陽一にいちゃんちには幽霊になってから、毎日こうやって遊びに来ている。


「時間かかっちゃったからな。間に合わなかったかと思った」



 机の上には小さな指輪が置かれている。



 にいちゃん、がんばれーっ!



 あたしはその横のモニタに映るメールを改めて見た。

『貴殿作の絵本、重々版のおしらせ』

『貴殿との専属契約についてのお願い』


 これからの事を思うと、うきうきする! ま、幽霊だからいつも浮いてるんだけどさ!


 さーて。忙しくなるぞー!!


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