紙とペンと一筋の妄執

宇多川 流

紙とペンと一筋の妄執

 現場に到着した警部は、まず天井の模様に驚いた。部屋の中心の木目が一部黒く浮き上がり、まるで人型を模っているようにも見える。

「あれは、わたしがここの管理人になった頃からありました。少し不気味なので、ほかの部屋より安くしているのです。まあ、安いのにはほかにも理由があるのですが……」

 ドアを開けるのに立ち会った大家が言う。警部はなんとなく、その先のことばが予想できた。

「すでにこの部屋で三人亡くなっています。呪われてるんでしょうか」

「偶然でしょう」

 そう答えながら、玄関をくぐる。長年死亡事件や事故に関わっている彼は、数々の経験と照らし合わせて、世の中に割り切れないことが存在することは知っていた。だが、ここでオカルトを肯定しても仕方がない。

 死亡した一人暮らしの若い男はすでに運び出され、身分も確かめてある。警部が入ると先にいた鑑識の一人が報告した。

「争った形跡もありませんし、自殺でしょう。借金を苦にしたようです。使用した縄は見つかっていませんが、何か細い物を束ねた縄状の物を使ったようです。時間が経てば切れるような脆い物を使ったのでしょうね」

「発見まで少し時間があったからな。ドアも窓も鍵が掛かっていたし、他殺はなさそうだ」

 狭いアパートの一室だ。見回しながら話しているうちに、警部は玄関から奥まで移動している。カーテンが閉め切られた部屋の最奥にベッドがあり、ベッドの横には小さめの机があった。

「あれは遺書か?」

 警部は机の上に注意を引かれた。何事かが書かれた紙の上に蓋がされたままのペンが転がっている。警部と鑑識が近づくと、ミミズがのたくったような走り書きの文字が目に映った。

『ワたしだけだといったノに』

 辛うじて読み取れたのは、その一文。

 それを目にしたとき、警部はどこか背筋にぞっとしたものを感じた。鑑識も同じ気分なのか、二人は顔を見合わせる。

「これが最後に書いたものか? 女の文に見えるけど……確か、色恋沙汰はないという話だが」

「職場での評判も真面目に働く寡黙な男だそうで、ここに住んで一か月くらい経ったころから借金ができて、女に貢いでいるのではと調べたものの、女の気配はなかった……という話ですよね」

「携帯電話の記録を調べても何もなかった。特に意味はないのかもしれない」

 そもそも、部屋主の男が死んだのは鍵のかかった三階の密室だ。状況的にも自殺だろう。

 それでも一応回収しようかと、鑑識が机の上に手袋に覆われた手を伸ばしたとき。

 ふっと、書かれていたはずの文章が消えた。

「あ……」

 紙を持ち上げて目の前にしても、そこに文章は書かれていない。上下を変えても、裏返しにしても。再び、二人は顔を見合わせる。

 わずかな間茫然としたものの、鑑識は机の上にあるものを見つける。それは一本の長い髪の毛だ。

「男性は短髪だったよな……」

 警部は天井を見上げる。そこに広がる木の板に浮き出た黒は、木目に毛が編み込まれて女性の姿を形作っているかのようだ。

 結局死亡者は自殺のために何を使用したのか不明のまま、自殺者として処理された。




   〈了〉

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紙とペンと一筋の妄執 宇多川 流 @Lui_Utakawa

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