植生少女は春が嫌い(後半)




 その次の日も、ヒノキの木は花粉を撒き散らし続けた。ヒノキの花粉の時期的に、後一週間はこの調子が続くだろう。


「なんで先輩から生えている木ってヒノキなんですかね?」


 今日も屋上でお弁当を食べながら真果と話し込む。

 真果は昨日言った通りお弁当にパウチタイプのこんにゃくゼリーを入れており、昨日と同じ要領で飲み込んでいく。


「さぁ、なんでだろ」


 それは私にも分からない。病院で聞いたとき、医者にも分からないと匙を投げられた。後で聞いた話では、他の植生病の患者で花粉を大量に発生させるような木を生やした人はいないらしい。


「だって。先輩だったら絶対桜とか、梅とか、椿が似合うはずなんです!!」


「まぁ、そんな木が生えてたらよかったんだけどねぇ」


 生えるならそういう見栄えのする木がよかったんだけどねぇ。

 なぜか、ヒノキ。なぜにヒノキ?


「先輩の美しさを表現するにはヒノキではものたりません!」


「う、美しいって……」


 真果は聞いてるだけで小っ恥ずかしいことを平気で言ってくる。それも不意打ちにいうものだから私も凄く恥ずかしくなる。


「これは事実です! 私は先輩の美しさを証明するために立ち上がらなければなりません! ビバ! 先輩! なのです!」


 真果は立ち上がり、こんにゃくゼリーを一気に飲み干してそう言う。この子はたまによくわからないことを言うのよね。


「はいはい。ありがとね」


「あ、先輩。絶対本気にしてませんね。私、本気で思ってるのにぃ」


「だって、そんな恥ずかしいことを平気で言ってくるから……」


 真果はしどろもどろになりながら顔を背ける私を見て、これまた満面の笑みを向ける。しかし、すぐに思い出したように口をすぼめて私の隣に座る。


「恥ずかしいも何も、本当のことですから。あーあ、もうすぐで先輩の花粉の時期も終わりなんですね。私、ちょっと寂しいです」


「いいじゃない。これ以上花粉で迷惑かけることもなくなるんだし」


「だって、私だけが独り占めできると思ってたのに……先輩の木が生え変わったら、先輩は他のお友達と仲良くするんでしょ?」


 真果は私に抱きつきながらそう聞いてきた。そんなこと聞くなんて、真果にしては珍しい。


「まぁ、そうね。真果こうして話す時間も減るかもしれないわ。私がここまで避けられるのは花粉のせいだからね。花粉がなくなれば、いつもの生活に戻るだけよ」


 そう。この季節さえ乗り越えられれば、またいつものように普通の生活に戻ることができる。


「そう、ですよね。やっぱり、寂しいです」


「真果……」


「……さぁ。先輩。今日も剪定しますよ!」


 真果はコロっと表情を笑顔に変えて鞄の中からいつものように鋏を取り出す。

 笑顔を見せる前に、一瞬見えた真果の表情はどこか寂しそうで、でも私にはなぜそんな顔を見せるのか、分からなかった。



 それからあっという間に二週間が過ぎ、ヒノキの花粉が収まる時期は過ぎた。はずだが。私の体には異変が起きていた。


「おかしい……いつもだったらこの時期には枯れて別の木が生えるはずなのに……」


 そう。あれから二週間が経っても私の体から生えるヒノキの木から、花粉が止まることはなかった。


「なんで……」


 そう呟くが、その疑問の答えは分からなかった。こんなことはこれまでなかった。四月が終われば自然とヒノキも枯れてまた新しい木が生えてくるはずなのに。



 周囲の人達もその異変に気付いているようで、私が通るたびにいつこの地獄が終わるのかとこっそり話す声が聞こえてきた。


 私も理由がわからず、けれどどうしようもできないままその日もお昼ご飯を食べるために屋上へ向かっていた。



「もー。花粉最悪。あんなのがこの学校にいるから花粉症悪化しちゃったよ」


「……? この声は……」


 話し声がトイレから聞こえた。いつもなら気にしないその声に、私はふと足を止めてしまった。


 その声には聞き覚えがあり、それはいつも仲良くしてくれるクラスメイトの声だったから。


「あー、それ分かる。ほんっとに迷惑よね。なんだっけ?ヒノキ?の木を体から生やしてるとかさ」


「学校に来んなって感じ。マジで意味不明。あんなのただの化け物じゃん」


「ふふっ。それ言えてる。てかみんなさ、言わないけど実はそう思ってるよね」


 クラスメイトは笑い声を混ぜながら楽しそうにそう話す。誰のことを言っているのか理解してしまった瞬間、クラスメイト達の声が遠くなっていった。頭が熱くなり、胸が苦しくなる。


「あはは! 言えてる! 気味悪いよね……っくしゅ!」


「やばっ! 花粉? 聞かれた?」


 私はすぐにその場から離れ、花粉を撒いてしまうことなど気にもせず走って階段を駆け上がる。


「っ……」


 そうよね。私は、迷惑よね。分かっている。


 分かってる。分かってるのに。


 なんで。


 どうして苦しいの?



「っ……はぁっ……はぁっ……っ……」


 私は屋上のドアを開け、息を切らしながら歩く。全身の力が抜け落ち、お弁当を手から離して地面に座り込む。そして、拳を握りしめながら、息を大きく吸い込み、力の限り叫んだ。



「好きでこんな病気になったわけじゃない!」



 頭が真っ白になり、行き場のない怒りが私の腹の奥から湧き上がってくる。


「これが! これのせいで!


 こんなものがあるから!


 こんなものが私についているから!


 私は! 私はぁっ!」


 木が生えている左手を振り上げ、力の限り地面に叩きつける。花粉が飛び散り、肌が裂け枝が折れても気にすることなく、何度も何度も。


「なんで、なんで!」


 止まらない。一度溢れ出た思いはどうしても止めることができない。


「なんで私は! 普通の暮らしさえできないのっ……!」


 そう叫び、振り下ろした左手に突然、違和感を感じた。左手を振り下ろすのを止めて見てみると、左手の皮膚を裂いて生えている木の枝が、目に見える速さで伸びていた。


「っえ……」


 そう認識した途端、揺らぐ心に反応し、ヒノキの木が急速に成長を始める。その速さは今までにないほど早く、ものの数秒で木は私の身長の二倍ほどの大きさへと伸びていく。


 それでも、気持ちが抑えられない。


「っっ!! ダメ!!」


 私は成長しようとする木を右手で押さえつける。だが、私の心に反応したヒノキの木は肩から首、顎、頬の肌を突き破り、地面に根を張り空へと枝を伸ばしていく。


 体が熱く火照り、私の額からは汗が滴り落ち、手足は力が抜けていく。


「成長するなっ……成長するなっ……成長するなよ!!」


 自分の命がヒノキの木に吸い取られ、奪われていく。


 そんな感覚が私を襲う。


「いやっ……嫌だっ……」



 地面に倒れ込み、意識が遠のく。視界が遮られ、体が木にのみこまれる。



 閉じた目からこぼれ落ちた涙が頬を伝い、木に落ちる。



 怖い。誰か。誰か助けて。




 しんか……






「先輩」





 暗闇の中に沈む、私の耳に声が届いた。


「しん、か?」


 その声は優しく、太陽のように明るい。私はその声に問い、声は答える。


「はい、真果です」


 真果はそう答える。


「何しに、来たの?」


「先輩を助けに来ましたっ」


 そう言った真果は聞き覚えのある刃が擦り合うような金属音を鳴らす。この音は、私の枝を何度も切ってくれた真果の鋏の音。


「助けに? なんでっ……」


「私のせいだからですっ……」


 ジョキンッ。と、鋏が鳴り枝を切る音が聞こえる。


「真果……?」


「ごめんなさい。先輩。私のせいです。私が、先輩を傷つけてました」


 ジョキンッ。


「違う……真果のせいじゃない……」


「私の言葉が、先輩を追い詰めてましたっ」


 ジョキンッ。


「違う。私がこんな体だから、真果は気を使ってくれてたんでしょう?」


「先輩、なんでそんなこと言うんですか?」


「だって貴女だって、本当は嫌でしょ? 私といるの」


 ジョキンッ!!


「私がいつ嫌って言いました?」


「……言ってはいない。けど、心の中では……」


「私、先輩のこと好きです」


「っ……」


「先輩も、先輩の木も、大好きです」


 ジョキンッ。


「私、父親が庭師でずっと幼い頃からいろんな木を見てきました。でも、私には木の美しさなんてこれっぽっちも分かりませんでした。どれも同じように見えて、手入れしたところで大して変わらないと、思ってました。中学生の時、先輩に出会った瞬間、思ったんです」


 ジョキンッ。


「あぁ、綺麗な人だなって」


 ジョキンッ。


「この綺麗な人の木を切り揃えられたら、もっと綺麗になるのにって」


 邪魔な枝を切り落とし、視界が開ける。顔にまで伸びていた木は収まり、観念したようにゆっくりと肌の中に帰っていく。


 そして、真果は私に手を伸ばす。


「だから、私は大好きです。


 みんなが嫌っても、私は、私だけは、先輩のこと大好きです」


 ほんとに、この子は。


 私は真果の手を取り、抱き寄せた。


「ありがとう……ありがとう。真果」







 私は春が嫌い。


 他のどの季節よりも嫌い。


 でも、今年の春はほんの少しだけ、好きになれた気がする。


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植生少女は春が嫌い みぐゆ @miguyu

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