雨が降る日に

たれねこ

雨が降る日に

 遠雷。

 授業が終わったときには空はよく晴れていたはずだ。それなのに――。

 にわか雨。

 放課後、ちゃんと昨日やったのに家に忘れてきたせいで居残りで課題をやる羽目になって、それで終わって提出して外を見てみれば、黒い世界が広がっている。夏の夕方。まだ暗くなるには早すぎる時間なのに――。


 帰り支度をし、鞄の中に黒の折り畳み傘があるのを確認し、昇降口へ。そこで傘を差すためじゃなく足を止める。

「小原さん?」

 そこにあったのは高校に入学して同じクラスになってずっと視界の端で姿を追っている気になっている女子の姿。名前を呼ばれ、空を見上げていた彼女はふいに振り返る。

「ああ、柴田君。まだ帰ってなかったんだ」

「うん。課題やったのに、家に忘れてさ。それで強制やり直しさせられてた」

「それは災難だね。お疲れ様」

「いやいや。そういう小原さんは?」

「私? 私は委員会の仕事で残ってたんだよ」

「それはお疲れ様です」

「いやいや。まあ、その甲斐あってこうやって柴田君と話せてるわけで」

 彼女は楽しそうな表情を浮かべる。しかし、こうやってここで雨が止むのを待っているということは傘を彼女は持っていないのかもしれない。それなら自然に傘に入れてあげて相合傘ができる。いい雰囲気になればそのまま――いや、それは焦りすぎかもしれない。なにせ彼女とは時折こうやって談笑するくらいの仲でしかないのだから。

「それで、柴田君は傘持ってきてない感じ? それなら一緒に雨宿りだね」

「ああ、うん。もしかして、小原さんも? そうなると小原さんと雨が止むまで雨宿りすることになるね」

「えっと……そうだね」

 彼女から出た、『一緒に雨宿り』というワードが魅力的すぎて、傘を出すタイミングを完全に失った。でも、それでも彼女と一緒にいられるのなら悪くない。

 にわか雨――今だけは止まないで降り続いてくれ。




 稲光。

 授業が終わり、気になっている男子の愚痴が聞こえる。課題をやったのに忘れたからやり直しだと。

 通り雨。

 委員会の仕事の代役を無理に引き受けて、時間を潰す。ただ一言でも言葉を交わせれば満足だったはずなのに――期待で胸が高鳴ってしまう。


 突然降りだした雨を窓越しに見つめ、鞄にいつも入れている赤い折り畳み傘があるのを確認して昇降口へ。靴を履き替えながら彼の下駄箱をつい見てしまう。まだ校内に残っているようで安心する。

 このまま帰るわけにはいかず、落ち着かない気持ちで彼が来るのを待ちぼうけ。不安なのは雨が止んでしまわないかということ。止んでしまっては彼と一つの傘で一緒に帰るという夢のような時間のきっかけがなくなってしまう。そんな不安から空を見つめる。

「小原さん?」

 声を掛けられるまで気付けなかった。動揺を悟られないように小さく深呼吸をして振り返り、いつものように会話しよう。

「ああ、柴田君。まだ帰ってなかったんだ」

「うん。課題やったのに、家に忘れてさ。それで強制やり直しさせられてた」

 ――知っている。それが終わるのを待っていたのだから。

「それは災難だね。お疲れ様」

「いやいや。そういう小原さんは?」

「私? 私は委員会の仕事で残ってたんだよ」

「それはお疲れ様です」

「いやいや。まあ、その甲斐あってこうやって柴田君と話せてるわけで」

 彼と話すだけで自然と笑顔になるのはどうしてだろうか。それは置いておいて、確認したいことがある。彼の傘の有無だ。持っていないなら自分のを、彼が持っているなら入れてもらえばいい。

「それで、柴田君は傘持ってきてない感じ? それなら一緒に雨宿りだね」

「ああ、うん。もしかして、小原さんも? そうなると小原さんと雨が止むまで雨宿りすることになるね」

「えっと……そうだね」

 つい、傘を持っているとは切り出せなかった。だって、彼はこの雨宿りという状況に嬉しさを感じているようだったから。

 でも、それは雨が止むまでは彼はこうして隣にいてくれるということで。

 通り雨――今だけは通り過ぎず降り続いてくれないかしら。




 雨は止む。

 彼女との進展は何もなし。

「あの、小原さん?」「あの柴田君?」

 同時にお互いの名前を呼び話しかける。意図せず見つめ合ってしまい照れてしまう。

「えっと、なに? 柴田君」

「あのさ、そろそろ帰ろうか、雨止んだし」

「そうね」

 彼女は少し寂しそうに目を伏せる。そんな表情を浮かべられると放っておけない。

「小原さんは?」

「何が?」

「さっき何か言いかけたでしょ?」

 彼女は自分のことなのに驚いたような表情を浮かべる。

「ああ、私? うん。私も帰ろうかって言おうと思ってたんだ」

 彼女はそう言うと笑って見せる。その強がっているような表情に胸が締め付けられる。

「途中まで一緒に帰ろうか? 送るよ」

 自分でもそんな言葉が自然に出るなんて思っていなかった。

「うん」

 彼女は嬉しそうに頷く。そして、彼女と一緒に歩き出す。

 雨は止んでしまったが雨宿りの時間が勇気をくれたのかもしれない。

 彼女の横顔を独占できるだけで最高の気分だ。




 雨に濡れた道を歩く。

 帰る方向が違うのに彼と一緒に帰っているなんて夢みたいだ。

「ねえ、遠回りになっちゃわない?」

「大丈夫だよ」

 そのまましばらく話しながら歩く。それだけのことのなのに、満ち足りた気持ちになる。そのとき、顔に上から降ってきた何かが当たる感触。

 見上げるとまたしても雨。今度は本降りになりそうで。そのまま視線を少しずらせば隣にいる彼も空を見上げていて。鞄から赤い折り畳み傘を取り出す。

「ねえ、柴田君。これ……」

 少し震える手で傘を差しだす。彼は隣で固まる。傘を持っているならもっと早く言えと怒られるだろうか。びくびくしていると、彼は何も言わず傘を受け取り、傘を差す。

 そして、無言のまま彼はすぐ隣に立つ。

 傘に雨が当たる音が今はとても心地いい。

「小原さんは傘持ってたんだ」

「ごめんね。言い出せなくて」

「気にしなくていいよ。こうして相合傘出来てるし」

 彼はすぐ隣で嬉しそうな顔をする。そんな顔を見せられると、雨に濡れて肩から体温が奪われているのを実感するのに、それ以上に顔が熱い。

「じゃあ、行こっか」

 彼の言葉にあわせてそっと腕を回し、体を近づけて再び一緒に歩き出す。

 雨がなければ彼の顔を間近に見ることも、こうして歩くこともなかった。

 雨って、なんて素晴らしいのだろうか。




 雨宿り。

 駅まで来ると傘を畳み彼女に返す。そして、離れるのは惜しいけれど腕が離れていく。

「あっ、柴田君。傘貸すよ? 私、駅の売店で買って帰るから」

「いいよ、いいよ。気にしなくて大丈夫だから」

 肩から掛けている鞄の紐を握りしめながら、ありがたい申し出を断る。

「そうは言っても、これから来た道戻るわけでしょう? 濡れちゃうよ?」

「大丈夫だって」

 心配されて押し切られて傘を渡され、彼女が傘を買うのは申し訳ない気持ちになってしまう。なので、鞄から黒の折り畳み傘を取り出して見せることにした。

「実はさ……」

 彼女は呆れるだろうか、それとも軽蔑の視線を送ってくるのだろうか。そのどちらだとしても受け止めるしかない。

「柴田君も傘……持ってたんだ」

「ごめん、言い出せなくて」

「どうして?」

「小原さんと雨宿りってのが魅力的すぎたから、つい!!」

 勢いで本音を言いつつ、謝罪の意を込めて頭を下げる。

「いや、えっと……あはは。『どうして謝るの? 謝る必要ないのに』って言いかけただけのなのにな」

 先ほどの自分の言葉はもうほとんど告白しているのを同じ状況で耳が熱くなってくる。恥ずかしさで顔を上げられない。

「私と雨宿りして嬉しかったの?」

「うん」

「じゃあ、相合傘も?」

「組んだ腕の感触、しばらく忘れられないと思う」

 彼女の追及が止まる。下げた頭を上げようとしたしたら、彼女がそれを鞄を使って頭を押さえて妨害してくる。

「今、頭上げないで」

「どうして?」

「いや、なんかにやけて変な顔してるから、きっと」

「にやける?」

「う、うん。私も……その同じだから」

 鞄越しに震えが伝わってくる。それはきっと彼女なりの告白で。

「鞄どけてくれない?」

 彼女は力なく鞄をどけ、今度は顔の前で抱きかかえるようにして顔を隠すのに鞄を使う。その仕草がかわいらしくて仕方がない。

「小原さん。好きです」

「わ、私も」

 今は地面に打ち付ける雨の音が祝福の拍手の音のように聞こえた。




 雨は降り続く。

 彼との気持ちを繋いでくれた雨は夜になっても止む気配はない。なんだかこの雨だけは止んでほしくない。

 雨音を聞きながら目を閉じれば、まだ彼と腕を組んだ時の体温を思い出せる。好きだと言われた時の熱が胸の中に蘇る。

 今度は下の名前で呼び合うきっかけが欲しい。

 だから、明日もまた放課後に通り雨に遭うことを期待して折り畳み傘を持って行こう。

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