第3話:気弱な王子様

 ニャンターランドまでの電車の中で、私の胸は今までにない程高鳴っていた。

 少し前までは、一緒に同じ時間を過ごせればいいと、そんな他愛もない日常しか望んでいなかった筈なのに。

 付き合い始めてからもう三ヶ月が経過し、それと共に私の中での涼太がどんどん大きくなっていく。

 過度な期待をしているという訳ではない。もう十三年以上一緒にいる幼馴染が、お伽話に出てくる王子様のように勇敢でかっこいい存在ではないと知っているから。

 それでも、私は涼太が好きだ。

 頑張るときは頑張って、そして最近、少し怖い感じの神崎先輩と行動を共にするようになってからは、男らしくなりつつもある。

 彼氏らしく、とか、私がお願いしている訳でもないのに、ふとしたところで私を守ってくれる。

 今みたいに混んでいる電車内でも、私をかばうように立ってくれいて、街で変な男の人に声をかけられた時には無言で走ってきて、無言で手を引いて一緒に逃げてくれる。

 相変わらずバスケは下手っぴでヘタレだけど、やっぱり私の王子様なんだ。


「大丈夫、香澄? 僕の肘とか当たってない?」

「うん。大丈夫だよ。でもちょっと臭いかも」

「え⁉︎ ごめん。来る前にシャワー浴びてきたんだけど……」

「嘘嘘。冗談だよ。でもラベンダーの香りしたのはそのせいだったんだね」

「あ……今のは、忘れて……」

「いやだ!」


 今のこの状況こそが、噂の壁ドンなのだろうか。

 私はドア付近の手すりのスペースに立っていて、満員電車から私を守るように涼太が立っている。

 そして涼太は、細くて白い手を、私の頭上にある物置についてバランスを取っている。

 目の前で、たまに私の鼻を擦るとてもいい香りのする白いシャツ。

 頑張って御洒落してきたんだろうけど、どう見ても男子中学生並だ。

 山田さんにアドバイスを貰えばもっといいチョイスができたかも知れないのに。

 そんな事を考えながら、いつもと違う姿の涼太をマジマジと見つめられる。

 普段なら嫌悪している朝の満員電車にも、今日ばかりは感謝したい程だ。

 

「間も無く、ニャンターランド前。ニャンターランド前。お出口は右側です」


 私たちのいる方は、幸運にも左側。

 日曜で遊びに来ている人の流れで、初っ端からはぐれてしまう心配は少なそうだ。

 

「あとちょっとか……なんか長かったね」

「そう? 私は結構短く感じたけど」

「え? えーと、まぁそれならいっか」


 そして数分後、電車から降りた私たちの距離感はまたいつも通りに戻った。

 涼太が私の隣を歩く、小学生の頃から変わらない……


「は、はぐれちゃったら、嫌だからさ。あはは……」


 事もなかった。

 涼太とこうやって手を繋ぐのは、多分幼稚園以来だ。

 でもあの頃の関係よりも、今の方が精神的には近いような気もする。

 手の繋ぎ方は変わらない。所謂恋人繋ぎではないけれど、それでも早すぎる自分の鼓動がその違いを教えてくれる。

 涼太は何故だかそっぽを向いていて……って、今気づいたけど、涼太は私より身長高くなってるや。

 中学二年生までは、私と同じくらいだったのに、いつの間にか涼太は成長していた。

 まるであの受験期のように、私の知らないところで、涼太は大人になっている。 

 悔しい気持ちは一切ない。ただ単に、嬉しさが込み上げてくる。 

 身長が伸びたのは成長期のせいであって、私の為ではない。

 だけどさっきみたいに、その成長した部分を使って私に何かをしてくれる。

 ヘタレなりに、だけど。

 

 そして人の流れに乗って、券売所まで向かった。

 夏に近づいているせいか、電車に乗る前より活発な太陽が、長い長い列に並ぶ私たちを照り付けている。

 汗をかくのを嫌だと思ったのは、今日が初めてだ。特に……右手は。

 

「か、香澄は最初、何に乗りたい?」


 まだ緊張が収まらないのか、涼太の声は少し震えていた。


「うーん、何があったっけ?」

「ジェットコースターとか、コーヒーカップとか、メリーゴーランドとか……かな」

「じゃあジェットコースターがいいかな〜」

「え⁉︎ 最初から?」


 過去に一度、家族ぐるみで涼太と遊園地に来たことがある。

 静岡まで旅行して、その帰り道にふらっと立ち寄った小さな規模の遊び場。

 でもまだ小さかった私たちには、天国のような広さを誇る遊園地だった。

 そこで乗った寂れたジェットコースター。

 一周に一分もかからない小さい絶叫マシンだったけれど、涼太は大切な人とお別れしたかのように泣き叫んでいた。

 

「そんなに怖いの?」

「い、いや〜、そんなことは……ないけどさ? 最初は見る系のアトラクションの方がいいかな〜と思って。それにジェットコースターはきっと結構人並んでるしさ」

「ふーん。じゃあその見る系って言うのにしよっか?」

「そ、そう? ありがとね」


 お礼を言ってしまったら本末転倒だと言うことに涼太は気づいていない様子。

 正直なんだか、強がりなんだか……いや、ヘタレ、か。

 自分の中ででた結論に、つい笑ってしまいそうになってけど、なんとか堪えた。

 列が進む度に私の手を引いて進んでくれる涼太。

 その後も話しながら、気づけばもう、列の先頭に立っていた。


「高校生二枚で」

「はい。カップル割引ですか?」

「え、えーと。じゃあそれで」

「カップル料金で……七千八百円になります」


 繋いだ手を一時的に離して、カバンから財布を探していた私。

 いつもの場所からそれを取り出す前に、涼太は既に支払いを終えていた。


「それでは、ニャンターの国を楽しんでください〜」

「あ、ありがとうございます。行こ、香澄」

「え、う、うん。でも……」


 その先は、私の口から言わせてもらえなかった。

 少し前をロボットのような硬い動きで進む涼太。

 そんな頑張って格好つけている彼氏を、邪魔してはいけないような気がした。

 今度何かお菓子でも作って持って行こう。


 メインエントランスでは、可愛い可愛い黒猫と白猫が出迎えてくれる。

 涼太いわくブサイクだけれど、こう言った可愛さがあるのを知らないだけだろう。

 そして今度は私の方から涼太の左手を握り、導かれるままに彼氏に付いていった。

 

「えっと、多分、これだ」

「海賊キャッツの大冒険……? これが見る系なの?」

「うん。船に乗って見てるだけのアトラクション。僕も乗ったことないから分かんないけどさ」

「へー……って、じゃあなんで知ってたの?」

「う、うん、まぁ」


 涼太は何かを隠そうとする時、右手で頭を掻く癖がある。

 そのおかげもあったりなかったりで、今日の為に涼太が色々頑張って調べてくれたらしいことが分かった。

 待ち時間が比較的短い、ある意味最初に来るべきアトラクション。

 今日の為に私が読んできた遊園地デート攻略本の通りに事を進めている涼太が、色々な意味で不思議だった。


 薄暗いアトラクション内。何も怖い演出は無く、でもストーリーがしっかりとしていた楽しめる代物だった。

 最後の最後で五メートルほど落下したけれど、少しフワッとした感覚がしたくらいで、特に絶叫するほどではない。

 流石の涼太でも叫びはしなかったけど、外に出てきた今になって、足がフラフラし始めている。


「大丈夫、涼太? 少し休む……っぷ」

「笑わないでよ〜。僕があの感覚苦手なの知ってるでしょ?」

「ごめんごめん。でもジェットコースターはやめとこっか」

「いや、乗るよ。お昼食べ終わったら乗りに行こ」

「それだと食べたばっかりで気持ち悪くならない?」

「大丈夫大丈夫。僕だって昔より成長してるんだからさ!」


 それはとっくに知ってるよ、と彼の耳元で囁きたい自分をなんとか抑える。

 胸を張って、すっかりいつも通り……とは少し違う涼太に戻った。

 今日は特に頼りになる、大きな男の子になっているのだから……


「そろそろかな。じゃあちょっとだけここで待ってて、香澄」

「じゃあ、って、どこ行くの?」

「いいから待ってて〜! すぐ戻るから〜……………」


 そう言い残して、涼太は走っていってしまった。

 今乗ったアトラクションがあるのはエントランスから比較的近い場所。  

 そして涼太は、ジェットコースターがある方向へと向かって行った…… 

 

 と、同時に何やら視線を感じた。


「も〜神崎君はなんで私をいじめるの〜!」

「うっせーよ、夢花。お前の変な声はバカみたいに目立つの自覚しろ」

「痛いっ! 殴ったー! 神崎君が殴ったよ、一真! ねぇ、ひどい……ぃ痛いよ、もうっ!」

「二人とも、うるさいぞ」

「「すいません……」」


 うちの高校の制服を着ている三人組。

 その中の一人は知っている。涼太が慕っている、神崎篤先輩だ。

 少し遠くから、絶対に私の方を見ている。

 すると数秒もせずにしっかりと目があったので、一応手を振ってみると、三人とも慌てて逃げ出した。

 きっと涼太は神崎先輩に今日の事を相談したのだろう。

 それとも、あの人が問いただしたのか。

 どちらにせよ、もうエントランスの方向へと去って行った先輩たちの事は、秘密にしておく事にした。

 折角涼太が頑張っているんだから、私はそれを台無しにしたくない。

 それに今日の涼太は……いつもよりも、王子様みたいだから。

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