第4話:すれ違い

 涼太がどこかに行ってしまってからもうすぐ十分経つ。 

 少し離れたジェットコースターへ向かったのなら、あと十分は待つことになるだろう。

 時計塔近くのベンチに座りながら、私は左腕に巻いた腕時計で時間を確認した。


「もう十時半……か。なんだか時間が経つのが早いな……」


 柄でもない独り言をつぶやいてしまうのは、今日が非日常的だから。

 夢物語の時計は、日常の何倍も早く時を刻む。

 私が「終わり」を望んでいないから、天邪鬼な神様は意地悪をしてくるのだろう。

 だったらいっそのこと、「終われ」と懇願すれば涼太とより長く一緒にいられるのではないだろうか。

 一見、理に適っていないその考えは、あながち間違いではないかも知れない。

 行きすぎた愛情は崩壊を招く。そんな恋愛の教訓を、かの有名なシェイクスピアは『ロミオとジュリエット』を通して伝えていた……と私は思う。

 なら私も、時間をかけて程よく愛を育めばいい。 

 今日が非日常だからって、涼太がいつもより彼氏らしいからって、決して慌てないように……


「お嬢さん、顔色が悪いですけど大丈夫ですか?」


 突然声をかけられ、慌て振り返る私。

 その声の主は、隣に腰掛けていたスラッとした体型の茶髪の男性だった。

 どこか一般人とは違うオーラを醸し出しているその人は、とても心配そうに私の顔を見つめている。

 この人は一体いつから隣にいたのか。もしかしたら、独り言を聞かれたかも知れない。

 なぜか急に恥ずかしくなった私は、視線を逸らし、おもむろに立ち上がる。


「……え、えっと。大丈夫です。すいませ……」


 パチン。

 歩き出そうとしたところで、男性に手を掴まれた。


「ちょ、離してくだ……」

「スマホ。置きっぱなしですよ」


 ベンチの上に佇むスマホ。

 私の不躾な態度に怒らず、優しく忘れ物を指摘してくれた男性。

 ぺこりと頭を下げ、早々にその場を離れた私はとにかく涼太の向かった方向へと歩き始める。

 

 −−−涼太に見られていないかが心配だ。


 折角のデートで、もし私が涼太と他の女の子が話している場面を見つけたら少し嫌な気持ちになるだろう。

 たとえその会話の中に大した内容が含まれていなかったとしても、小さな嫉妬心が生まれてしまうかも知れない。

 私だったら、嫉妬すると思う。


 なるべく無心になろうと歩き続けると、気づけば人通りの多い道のど真ん中に辿り着いていた。

 妙に動揺している私は、手に握っているスマホで涼太に連絡をすると言う手段に思い至らず、キョロキョロと辺りを見渡す。

 でも、現実はそんなに甘くはない。

 結果的に、無駄な焦りを誤魔化そうと行動を起こして、さらなる困難へと自らの身を投じてしまった。

 あの場で待っていても、涼太は嫉妬心を抱かなかったかも知れない。

 もしかしたら、あの男性はナンパなどではなく、普通に私の身を案じていてくれたのかも……あれ、私はいつあの人がナンパだと決めつけたんだろうか?

 顔色が悪い。スマホを忘れている。そんな二言しか発していなかったあの男性。

 遊園地で一人座っている女子高生に声をかけてくる男全てがナンパなわけがないじゃないか。

 

「あれ、香澄……? やっぱりそうだ。でもどうしたの? 時計のところで待ってるんじゃなかったっけ」

「……涼太?」


 偶然すれ違った涼太が、下を向いていた私を呼び止めてくれた。

 こんな人混みの中で、何の連絡もなしに出会えたことが、奇跡とさえ思える。

 −−−必然が奇跡に……か。

 私は笑みを浮かべて、涼太の手を取った。


「うん。でも、待ってるだけなのもあれだったから、涼太のところに行こうかと思って。なんて言うか、その、出来るだけ長く……涼太といたいからさ」

「そ、そう? なら……」


 なら良かったよ。

 顔を赤くしてそう言おうとした涼太を遮るかのように、私はやや強引に涼太の手を引いた。


「ねぇ涼太。次に乗るやつ、私が選んでもいい?」

「え、ま、まぁいいよ。うん、じゃあ次は香澄の選んだやつで、でも……」

「大丈夫! 私だって涼太が読んでた雑誌とか見てきてるから。涼太のプランは壊さないよ」

「ならいい……って、え⁉︎ 香澄、どうしてそれを⁉︎」


 思わぬ形で口を割った涼太。

 小さくため息をついているけど、そんな日常的な涼太の姿は私に安らぎを与えてくれる。

 私は涼太の暖かさをもっと感じるために、そっと左腕を両腕で覆い、胸に抱き寄せる。

 密着した肩からは、涼太のバクバクと跳ね上がる心臓音が伝わってくる。どうやら私の静かな心臓とは、全く逆の構造のようだ。

 −−−でも、これでいいんだよね。

 どんな形でも互いに幸せならそれでいい。

 きっと命を落としたジュリエットだって、後悔はしていなかったはずだから。

 鐘が鳴る前に王子様に会えたから、シンデレラは幸せになれたのだから。


「今日は来てよかったね、涼太」

「う、うん! とっても」


 でも私は、ジュリエットでも、シンデレラでもない。


 現実に生きる私は、終わりのある道筋ストーリーを辿っていないのだから。

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