それぞれの帰宅 2

 如月絢香は、自宅の浴槽にゆったりと浸かり、強張った体の芯を解していた。


 かずいと藍に自宅まで送ってもらった時には、時計の針は既に十一時を回っていた。

 両親が旅行中でなければ、どんなに恐ろしいことになったか分からない。

 但馬中の生徒だという三人をそのまま帰してしまったことには今でも納得がいかなかったが、この時ばかりは、それより優先すべきことがあったのだ。


 何度も何度も念押しし、絶対に誰も封筒の中を見ていないことを確認した絢香は、先輩達を玄関先で見送ってから封筒を破り捨て、ようやく会えたお宝に頬擦りすると、飛び込むように自室のベッドに転がり。

 ……………………堪能した。

 気づけばとっくに普段なら就寝しているはずの時間になってしまったのだが、流石にあれだけ動き回った後、そのまま寝るのは気持ち悪かったので、体を温めることも兼ねて、お風呂に入ることにしたのだった。


 湯船に半分顔を埋め、絢香は学校での出来事を思い出した。

 もし自分の装備が完全だったなら、一人であの男達を制圧出来ただろうか。

 ぶくぶくと、泡を吹き出す。

 無理だろう。

 あの土の傀儡能力は、かなり強力なものだった。頭部だけでも、日野先輩の力を借りなければ倒せなかったというのに。


(やっぱり、巽先輩みたいにはいかないな)

 果たして自分は、御子柴先輩が止めなかったとして、あの場に駆けつけることができただろうか。

 絢香は三人の男達を一瞬で蹴散らした『問題児』の姿を思い出し、身震いした。


 しかし、絢香にとって本当に恐ろしかったのは、二人を御しきり見事に場を収めた、かずいの存在だった。あの二人の手綱を握ることがどんなに困難なことか、生徒会役員である絢香は身に染みて分かっている。

 一週間前に恭也の言葉を聞いた時は、やはり絢香には疑わしい気持ちの方が強かった。 

 まさかあの二人と肩を並べて論じられる生徒がもう一名いるなんて。

 流石に心配のしすぎだろう、と高を括っていたのだが、今日の一件で、絢香にも何となく理解できた気がした。


 日野かずい。

 あの人は危険だ。

 他人を利用する力。他人の能力を使いこなす力。

 恭也の言う通り、自分から何かをすることはないだろう。

 しかし、あの人の持つ『力』がベクトルを持って何処かに向かう時、何が起こるか。絢香には想像も出来なかった。



 ◇



「おー蓮ちゃん! いらっしゃい!」

「悪いなー、おっちゃん。急に押しかけて」

「いいって、いいって。外、寒かったろ。今茶ぁ淹れてやるから。ほれ、そっちの子もこっち座んな」

「……お世話に、なります」


 橋町中学校の校区にある商店街の片隅、電気屋と写真屋に挟まれてひっそりと店を構えるバーの中に、蓮と響の姿はあった。

 勝手知ったる様子でずかずかと店内に入りカウンターの椅子に飛び乗った蓮を、マスターの男はにこにこと迎え入れ、表の掛札を『close』に返した。

「あれ、何だよおっちゃん。別にわざわざ店閉めなくてもいいって」

「なに、今日は元々早締めの日さぁ」

「ふーん。ま、いいけど。おっちゃん、茶もいいけど、ジュースくれよ。麦を発酵させたやつ」

「はっは。三年早い」

「三年でいいの?」

「俺が味を覚えたのはそのくらいさ」

「かかっ」


 親し気に言葉を交わす二人から少し離れた席に腰を落ち着けて、響は熱い湯気の立つ煎茶を啜っていた。

 今夜の寝床を探す響に、「知り合いに頼んでやるよ」と言って連れて来られたのが、この店だったのだ。

 蓮とマスターの男がどういう関係なのかは聞かなかった。ただ、二階の客間を一晩貸してくれるという男の好意には、素直に甘えることにした。


「狭いとこに雑魚寝で申し訳ねえけどな」

「……いえ。ありがとう、ございます」

「気にすんな。訳アリなんだろうが、蓮ちゃんの友達なら構わねぇよ」

「……はい」


 友達、か。


 その言葉は、響の口の中で微かな苦みを持って飲み下された。

 

 一年前。

 まだ普通の中学生、、、、、、であった響が、授業をボイコットした際に教員に捕らえられ、為す術もなく拘束されて罰掃除を課された日の、帰り道。

 顔に青痣を作った響の前に、彼は現れた。


『お前、【問題児】になる気はないか』


 彼のそんな言葉を、その時の響は冷笑と共に聞き流した。

 今しがた完膚なきまでに叩きのめされた自分を?

 どう見ても体を鍛えてるようには見えないモヤシ男が、どうやって?


 しかし。

『その代わり、××××××××××』

 そんな下らないことを交換条件にしてきた彼の眼は、響の顔を真正面から覗き込み、引き込んだ。


 半信半疑、いや、九割以上は疑っていた。

 彼の提示してきた要件はすぐに片が付いた。その程度のことで、教員を打ち破れる力が手に入るなら苦労はしない。

 もしもこの男が、体のいいことを言って響を利用しようとしただけなのだとしたら、一体どうしてくれようか。

 そんなことを考えながら、それでもその次の日から、響は彼と共に放課後に校舎裏や屋上に集まり、空力操作能力の研究に没頭した。


『暦風』も、『縁風』も、その時に彼が考え出した技だった。


 そして一週間後、いつも通りに響の生活態度を諫め、力で屈服させようとしてきた教員を正面から返り討ちにし、初めてその手に勝利を握った時、響は内心で己の敗北を認めた。


 日野かずい。


 彼の『力』は、本物だ。

 響にはできないことが、彼にはできる。


 けれど……。


「響~! シャワー使っていいってよ!」

 そんな声が、響の思考を中断させた。

「……いや。俺は――」

「いいからいいから。着替えも貸してくれるってよ。先使えって」

「…………ああ」


 固辞しようとする響の肩を掴んで、蓮が廊下の奥を指さしている。

 この強引な男と親交を持ったのも、あれからすぐのことだった。

 自分と違い、独力でその『力』を身に着けたこいつこそ、本物の『問題児』だ。

 響は抵抗を諦め、のろのろとした動きで立ち上がった。


「明日、楽しみだな~。な?」

「……そうだな」


 それでも、その口の端には、ほんの僅かな笑みが浮かんでいたのだった。

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