ある中学校の日常 2

「よし。今日はここまで。後は自習だ。教室から出ないように。今日の内容で分からない箇所があるものは今のうちに来なさい」


 十数分後。

 そんな教員の声と共に教室内が一気に弛緩した空気に包まれた。

 かずいはついぞ開かれなかった教科書を仕舞うと、誰も質問しに来るものがいないことに心なし寂しそうな顔をしている教員には目もくれず、休み時間までひと眠りしようかとスクールバッグを机に持ち上げた所で、そういえばと、カーテンを捲くって外の様子を覗いてみた。


 その瞬間、ワールドカップ日本代表が得点したかのような歓声が隣の教室から沸き上がり、それを聞いたクラス内の生徒たちが我先にと窓際に押し寄せてきた。

 窓ガラスに押し付けられたかずいが顔を顰めながらも目を凝らすと、中庭に一筋の白煙が上がっていた。

 その中心に、膝をついたワイシャツ姿の少年と、かれの首筋に剣の切っ先を突き付けるブレザー姿の少年の姿が見える。

 かずいの教室から上がった声は、歓声よりも悲鳴と呻き声の方が多かった。


「マジかよ、負けやがった」

「えええ途中まで押してたじゃん」

「あー、くそ。今日は張ってたのに……」

「へへ。毎度あり」

「この裏切りもの!」

「やっぱりカッコイイなぁ……」

「え、あんたそっち派!?」


 一瞬で喧騒に包まれた教室の中、かずいは窓際のおしくらから逃れると、教室の後ろのロッカーに寄り掛かった。自分の席には当分戻れそうにない。

 首筋をさすりながら溜息をつくと、その横にいつの間にか小さな女生徒が寄り添っていた。


「負けちゃったね、久城くん」

 しっとりとした黒髪を肩口に切り揃えた少女は、赤縁の大きなメガネ越しに、黒目の大きな目でかずいを見上げてきた。

「んん。恭也のやつ、やけに気合入ってたしな」

「わたし、儲けちゃった」

「クラスメイトを応援しろよ……」


 ほくほく顔で指を折る彼女の名は、深山しずり。

 かずいとは同じ部活に所属している縁で去年からつきあいがあったが、今年から同じクラスになってからはそれなりに親交も増えていた。

「応援はしてたよ。でも賭けたのは巽くんだったの」

「あっそ」

「それより、日野くん。さっき藍ちゃんと何話してたの?」

 レートの計算を終え、その小さな口元を緩ませていたしずりが、不意に話題を変えてきた。


「よく分かったな」

「うん? 見てれば分かるよ。また何かやりとりしてたでしょ。いけないんだー、授業中に」

 咎めるような言葉と裏腹に、その目線には悪戯めいた色が見える。

「別に――」

「しーずりっ」

 大したことじゃない、とかずいが言い切る前に、当の本人がひょっこり顔を現した。


「なーに話し込んでんのよぅ」

 くりくりとした目で瞬きながら、しずりの隣に寄り掛かる。

「んー? 内緒」

 口元に微笑を含ませ、ちらりと視線をよこしてくるしずりに、かずいは言葉に詰まらされた。別に内緒話でもなんでもないはずなのに、しずりの態度と藍が割り込んできたタイミングのせいでおかしな空気になっている。

「かずいー?」

 かずいはジト目でこちらを見てくる藍から目を逸らし、その横でにやにやと笑うしずりに反撃を加えた。


「さっきので深山が一儲けしたって話だろ」

「え」

「しず。あんたまたやったの?」

 藍のジト目が行く先を変えた。

「い、いや。その、ちょっと、ちょっとだけだよ、ホントにちょっと……」

 今度はしずりがたじろぐ番だった。

 藍はこの小さな親友が賭け事に手を出すことを快く思っていない。しずりは前々から注意を受けていたのである。


「あのねぇ。何度も言うけど、あんたが元手にしたお金だって元はといえば……」

「ああぅ……」

 クドクドとお説教を垂れ始めた藍にしずりはすっかり小さくなり、ちらちらとかずいに視線を送って助けを求めた。当然のようにそれを無視するかずいに、反対側から声がかけられる。


「おっすー」

 気軽な調子で絡んできた長身の男子生徒は、かずいの隣に寄り掛かると、大袈裟な身振りで天井を仰いだ。

「負けちまったなー、蓮のやつ。そして俺も負けちまったー」

「いくらすった?」

「聞くな、友よ」

 それを聞いた藍が大股で長身の男子に詰め寄った。

「ブルータス。お前もか!」

「誰だよ」

「あんたね、分かってんの。違法行為よ。い・ほ・う!」

「生まれ変わったら、御子柴みたいに品行方正な人間になりたいって思うよ」

「今生まれ変われ!」


 おどけながら藍とじゃれ合うこの少年の名は、奥月衛。

 クラスで二番目の長身にすらりと伸びた手足、柔らかい濃茶の髪は緩く波打ち、目元には長い睫毛。十人見れば十人とも美形と答える容姿の彼は、かずいの友人の一人だった。

衛とかずい、藍、しずりの四人は皆同じ部活に所属している。休み時間は大抵この顔ぶれで駄弁るのが習慣だった。


「という訳で、かずい。金貸してくれ」

「審査書類に必要事項を明記した上で申請していただけますか」

「まさかの事務対応!?」

「奥月!」

「あははは」

 ……。

 …………。

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