早春の残念会

久藤さえ

ある居酒屋で

 会の主役は、少し遅れて店に入ってきた。

 きょろきょろと店内を見回す彼に、席についた面々が手を挙げて合図する。ふっと表情を緩ませた彼は、混みあう先客たちの間をすみませんと言いながらつま先立ちですり抜け、席についた。

「同期が揃うなんて、久しぶりだなあ」

 店内の楽しげな話し声に負けないように、彼は声を張った。

「みんな情けがマリアナ海溝くらい深いんだよ、感謝しろ」

「飲みたかっただけで、別にお前はどうでもいいんだけどな」

 気のおけない仲間たちは、好き勝手に軽口を叩く。

「ひでえなあ、みんなで俺を励ましてくれるんじゃないのかよ」

 と彼が苦笑いしていると、だるそうなアルバイトが注文を取りに来た。

 幹事の俺が声をかける。

「生中の人ぉーー」

 ずらりと全員の手が挙がる。

「えーと、じゃあ生中五つと、枝豆とたこわさ、あと焼き鳥盛り合わせ塩で」

 かしこまりました、と言ってアルバイトは店の奥に消えた。


 しばらくお互いの近況をあれこれ報告しあっていると、ごとごととテーブルに五つのジョッキとつまみが到着した。

 全員に行き渡ったことを確認してから、俺は立ち上がった。

「えー、今日は彼の残念会ということで、久々に我々同期が集まりましたっ」

 うんうんと頷く一同。

「こう見えて結構へこんでるみたいなので、まあ優しくしてやりましょう」

 いやでーす、とヤジがとぶ。

「まあまあ。じゃとりあえず、かんぱーーい」

 おつかれ、とジョッキを合わせてから口をつける。

 しばし沈黙の後、くはー、と口々に息を吐いて顔を見合わせた。

「あ、俺いまジョッキ置いて拍手しそうになった」

「あれ意味わかんねえよな」

「まじでやらんでいいと思うわ」

 そうしてばらばらと枝豆に手が伸びるなかで、彼だけは少し中身の減ったジョッキを手に持ったまま見つめている。

 俺も他のやつらも、そんな様子に気がついていたが、なるべく平静を装って飲み食いしながら世間話をしていた。


 ふっと俺たちの話が途切れたところで、彼が顔をあげ、口を開いた。

「今日さ、みんなが誘ってくれてほんとに助かったよ。俺一人だったら、あいつのニュースが流れるの見たくないけど気になって、迷って迷って結局見ちゃって、それで悔しくて自暴自棄になって何をしでかすか自分でもわかんねえからさ」

 ははっ、と笑ってみせる。俺たちは黙って、彼の話の続きを待った。

「同期で同じグループに配属されたのは俺とあいつの二人だけだから、やっぱりどうしても意識しちゃってたよ。俺は結構、今年に賭けてたとこがあってさ。去年の審査が終わってからすぐ、先輩から情報もらったり、自主勉強会行ったりして、色々リサーチしてきたんだ。もちろん、速さやパワー強化するトレーニングも毎日時間みつけてやってきたよ」

 彼はぐっとビールをあおる。

「あとから審査員に聞いたんだけどさ、俺、2位だったんだと。それでもう、訳分かんないくらい悔しくなって頭ん中ぐっちゃぐちゃだよ。3位以下なら、自分が的外れなことやってたんだなって思って諦められるけどさ、2位ってことは純粋に俺とあいつの差がその分あるってことなんだ。2位じゃダメなんですか?って言うけどさ、やっぱダメなんだよ、2位は」

 空になったジョッキを持つ彼の手に力がこもり、指の節が白く見えている。


 そのとき、時刻がちょうど21時になった。カウンター上のテレビでニュースが流れ始める。

 相変わらず賑やかな店内で、俺たちのテーブルだけが誰も喋らずにテレビに視線をそそいだ。

 きっと、あいつのニュースが流れる。


「次のニュースです。発達中の低気圧の影響で、関東地方では南よりの強い風が吹き、気象庁は今日、関東地方で春一番が吹いたと発表しました。

 気象庁によりますと、日本海にある低気圧が発達しながら東へ進んでいる影響で、関東地方では南部を中心に南よりの強い風が吹きました。」

 わさわさと揺れる木々に、髪やコートを押さえながら歩く人達の映像が流れる。

 マイクを向けられた人が、インタビューに答える。

「ああ、今日は朝から風が強いなと思ってたんですけど、そうだったんですね」

「少し暑いくらいです。ちょっと前まで寒い寒いと言ってたのに、もう春なんですねえ」

 答える人はみな、ふんわりと明るい表情をしている。

 それは一分にも満たない、短いニュースだった。アナウンサーは表情ひとつ変えずに、また次のニュースを読み始める。


「いい、春一番だったなあ」

 沈黙を破って、ぽつりと彼は呟いた。

「あいつが春一番に選ばれたのがまぐれや贔屓じゃないっていうのはさ、わかってるんだよ。あいつが最初からずーっとコツコツやってきてたことは、同期の俺が一番よく知ってんだ」

 彼の声は少し震えている。

「でも、俺も、すげえ頑張ったんだよ。やっぱり俺、春一番、やりたかったなあ……」

 彼は下を向き、膝に置いた握りこぶしにはたはたと涙の粒が落ちた。

 俺たちは両脇からがっしりと彼の肩を抱いて、やたら大きな声で言った。

「来年もあんだろ、泣くなよバカ」

「そうだよ、春一番じゃなくてもお前は春担当だから女の子みんな薄着だろ。これからパンツワンチャンあるじゃねえかうらやましい」

「俺なんか夏だからほぼほぼ風の存在感ないぜ」

「台風は短期集中で忙しいし、数字ばっかり求められるからキツいわ」

「秋風はベテランが層厚くて、若手は空気だよ」

「木枯らしは早く終われって言われる上に、みんな厚着でタイツ履くからパンツも見えねえ」

 そんなことを言って、なんとか彼を笑わせようとする。

 まだぐずぐずと鼻を鳴らしながらも、彼はようやく少し顔をあげた。

「すまん、ありがとう」

 俺は彼の背中をわざとバンバン叩き、

「ほら、今日は俺らがおごるから、好きなもん頼めよ」

 と言うと、一同はしゃーねーな、今日だけだぞ、と口を揃えた。

「……じゃあ、だし巻き玉子と、ポテサラと、しらすピザ」

「よしわかった。あとみんなビールおかわりな。すいませーん、注文お願いしまーす」

 俺は手を挙げて店員を呼んだ。


 若い風神たちの夜は、こうして更けてゆく。

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早春の残念会 久藤さえ @sae_kudo

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