オサガリ

犬甘

第1話

『ママ。あの服が、ほしい』

 そんな願いを抱くのは当たり前だと思っていた。けれど、最後に口にしたのはいつだったろう。少なくとも小学校中学年頃までは、粘っていたと思う。

 だからお母さんは、わたしのその手の不満を耳にタコができるくらいには聞いていたし

『うちにあるでしょ』

 ……わたしもその台詞、聞き飽きた。

「古いもん」

「まだ着られるんだから、着なさい」

「えーっ!」

「勿体無いでしょ?」

 物を大切にしなさい――お説ごもっともだが、いつもお姉ちゃんからの『おさがり』がまわってくるのが納得できない。わたしの身のまわりにあるものは、お姉ちゃんの使っていたものが多い。

「いいなー。お姉ちゃんは」

 新品が使えて。

「贅沢言わないの」

 うーん、これって贅沢なのかな。いつも一番に好きなものを買ってもらえるお姉ちゃん。綺麗なものを使えるお姉ちゃんのこと。いいな、羨ましいなって思うのは、当たり前なんじゃない?

 わたしが長女だったら、選びたい放題で。傷一つないそれを気持ちよく使うことができるのに。


「おなじだな」

 同じクラスの多田ただにそう言われたのは、昼休みのことだった。間もなく授業が始まろうとしている教室には準備を始める生徒はおらず、依然として騒がしい。

「多田のところも?」

 寝耳に水だった。多田といえばクラスのお洒落さんという認識だったから。噂では多田とデートした女の子が口を揃えて『私服姿もめっちゃカッコよかった』というらしい。

 他の男子はゲームやアニメの話をしているのに、多田はファッションに敏感で、服に限らず女の子が髪を切れば真っ先に気づく。たとえそれが一センチ短くなった前髪でも、緩く巻いてきたサイドの髪でも、『いい感じ』『かわいーね』って言うんだ。

 そんな気づかいもできる多田は誰よりも大人っぽいし、当然女子からの人気も高いのに。

「うん。けっこー、おさがり使ってるよ」

 信じられない。

「ヤじゃない? なんで自分ばかり使い回しなんだろうって」

「別に」

「え?」

「小学校六年間、姉貴のランドセル使ったけど。嫌とかは思わなかったな」

「は!?」

 多田に反論されたことに。いや、それよりなにより、お兄ちゃんじゃなくて“お姉ちゃんの”というところに、驚きだ。おさがりって、たいていは同じ性別のキョウダイ間で起こりうる現象だと思っていたから。

「いやー、俺の姉貴さ。物持ち良くて。母さんも物の扱いが丁寧だから」

 そういう問題なのか?

「さすがに、うちでもランドセルは新しいの買ってもらえたよ」

「そーなのか?」

「だって。お姉ちゃんが現役で使ってたし」

「ああ、なるほど。俺は姉貴と年が離れてたからな。かぶらずに使えた。彫刻刀も、裁縫箱も。あ、鍵盤ハーモニカも」

 だから、そういう問題なのか?

「何色?」

「ランドセルはピンク。裁縫箱は、猫」

「ほんとに!?」

「リボン描いてあったな」

「……なにか、言われなかった?」

「なにかって?」

 そりゃあさ。男のクセに、とか。それ、古いやつじゃんとか。色々だよ。

 って、思うのに。

「言われてたとして。俺、困るの?」

「いや……それは……」

 ムキになろうとしているのは、わたしだけで。

「俺は割と気に入ってたよ」

 意地でもなんでもなく、

「たとえダサいって言われても。自分の使いたいものを使うし。好きな格好してたいんだ」

 迷いなく答える多田は、なんてまっすぐな目をしているんだろう。

「でも……でも、」

「ん?」

 ――それ、昔のやつだよね?

 何年も前に流行ったモノを使っていて、笑われた。バカにされた。仲間外れにされた。

 わかってる。悪いのは、お母さんじゃない。お姉ちゃんでもない。

 周りにからかわれて、言い返せなくて、それをいつも家族のせいだって思ってきた自分が一番、ダサいことくらい。

 ねえ、多田。わたしも、多田みたいに胸を張っていられれば、世界が変わるのかな。

「……所詮は、中古じゃん」

 二番目を当たり前のように与えられるわたしの憤りは、どこに向ければいいの。

「もしも。今、お前の手元にあるのが欲しいものじゃないなら」

「……?」

「欲しいものに変えちまえ」

 多田の言っていることの意味がわかんない。


 チャイムが鳴って、授業が始まってからも、多田の言葉が頭の中を巡っていた。イラナイものを欲しいモノに変えるって。

 ……どうやればいいの?

 中学生のわたしがバイトなんてできない。欲しいモノに買い換えるなんて無理だ。お小遣いやお年玉はもらえるけれど、買いたいものは山ほどある中で駆使して使うから、おさがりのものを全て買い換えられないし。

 簡単に言わないでよ。そんな魔法みたいなこと、できるわけないでしょ。


丹羽にわ、帰ろ」

「は?」

 その日の、放課後。多田に声をかけられた。周りの女の子はこっちを見て『どういうこと?』『ずるい』なんて言っているが。

 わたしが聞きたいよ。どういうこと。

「いいところ知ってるんだ」

「……いいところ?」

 誘われるがままにたどり着いたのは――。

「なにこのお店」

 目がチカチカするような、外国にありそうなカラフルな店内には、やっぱり目がチカチカするような洋服や小物がズラリと並んでいる。わたしはまるで、不思議の国に迷い込んだ少女状態。

 寄り道をしたのは初めてだ。男の子と出かけたのも、初めてだ。

「見てみろよ」

 と、言われましても白ウサギさん。

「なんか。……高そうだけど」

「いいから」

 急かされて手にとったハンガーにかかっていたのは、大きめのポロシャツ。ビビットカラーで、こんな色の、こんなサイズ感の服は着たことがない。

「かわいい……」

 でも、お高いんでしょう?

「390円」

「え!?……安すぎない?」

「古着屋だからな。安いのから、目玉が飛び出そうな値段のものまである」

 フルギ……って、中古ってことだよね。それを、買う人がいるの?

「俺、この店でよく服買ってるよ」

「そうなんだ」

 フルギにも、値段がつくんだ。高いものも、あるんだ。

 これならわたしにも手が出せる。欲しいと。着たいと思えるものが、買える。

「あとは。やっぱり、おさがり」

「お姉ちゃんの服、今も着るの?」

「そのままは着ない。リメイクしてから」

 多田の世界は、あまりにも広くて。

 ちっぽけなわたしの概念を、あっという間に変えてしまう。

「このシャツの柄、昔のアニメだよね」

「だな」

「え、でも、高っ!」

「希少価値ってやつだな」

「キショウ……?」

「どんどん新しいのが出てくるだろ。それで生産終了したものは、いわばマニアにとっては宝物だから」

 そっか。そんな考え方も、あるんだね。

「リメイクって難しそう」

「最初は難しいかもな。でも、ハサミと裁縫用ボンドでも結構いいものできるし。なんなら作ってやるよ」

「……え?」

「二羽に、俺が」

「ほんと? いいの?」

 多田といると、世界が、こんなにも照らされていく。

「任せろ」

「なんで……」

 多田、こんなに優しいんだろう。

「俺、そういうの好きだから。関わりたいんだ。それから、」

 そこで多田が言葉を切る。気になるじゃないか。

「それから?」

「丹羽に、喜んでもらいたい」

 二番目って。

「ずるい……」

「ん?」

「そうやって女の子落とすんだ、多田は」

「なにそれ」

「みんなに言ってるんだよね」

「まあ。言ってるかな」

「やっぱり」

「でも、これは言わない」

「?」

「単純に、お前の笑顔がもっと見たい」

 二番目って、

「丹羽は。特別」

 ――悪いことばかりでもないらしい。



【終】

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