七年目六月 罰ゲームから始まる──

 大人になるというのは悲しいことだ。

 一日の内、多くの時間を仕事に拘束される。一年目なんかのまだ仕事に慣れていない時期は、家と会社の往復のために日々を生きていると言っても過言ではない。おまけに若いからと雑用を押し付けられ、上司からは叱られる日々。

 全国の新卒社会人は殆どが、六月となった今でもそのような毎日を送っていることだろう。


「そんな人たちを思い浮かべるたびに思うんだよね。仕事も出来て早速生徒からの信頼も勝ち得た上に帰ると可愛い彼女が待っててごめんなさい、ってさ」

「お前は今すぐ全国の新卒社会人に土下座してこい」


 六月某日。浅木にあるチェーンの居酒屋にて。三枝から飲むぞと呼びつけられた僕は近況報告がてらの自慢話をぶつけたのだけれど、親友からはにべもない言葉しか返ってこなかった。

 当然か。他人の自慢話ほど聞いていて面白くないものはないし。


「大体、お前は公務員なんていう安定した職業を手にした時点で、十分人生勝ち組だろ。おまけに配属先が母校ときた。さぞかし楽だろうなぁオイ」

「それがそうでもないんだよ。知ってるか? 部活動って残業代出ないんだぜ?」

「マジか」


 現在の僕は、五年前に卒業した母校、蘆屋高校で教師をしていた。もちろん野球部の顧問にもなった。

 入ってから一ヶ月の間は、とにかく仕事を覚えることに必死だったのだけど、今となっては楽しいもんだ。生徒に勉強を教え、野球を教え、歳がまだ近いこともあって、たまにはプライベートな相談もされて。

 青春を謳歌している少年少女のために、毎日汗水垂らして働いている。


「それにしたって、俺らが学生の頃は教師なんて楽な仕事だと思ってたけどな」

「そういうところは見せないようにしないとダメなんだよ。僕たちは子供を導く大人の立場にいるんだからね」

「ご立派なこった。そんな夏目先生的に、面白い生徒はいるのか?」

「面白いっていうと?」

「お前とか白雪さんみたいな感じの」

「人の青春時代を面白いで片付けないでくれ」


 いやまあ、大人になった今にして思えば、あんな面白い高校生は中々いないだろうけれど。当の本人からすれば、その一言で片付けられないような悩みや葛藤もあったわけで。


「さすがに桜みたいな尖った子はいないよ。あんなのがホイホイ出てきたら僕だって手に余る」

「そりゃそうだ」


 ケラケラと愉快そうに笑う三枝はジョッキの中身を飲み干し、店員を捕まえておかわりのビールを頼んだ。この店に入ってからまだ三十分も経っていないのに、もう三杯目だ。

 この親友が酒に強いのは知っているが、些かペースが早すぎないだろうか。


「君の方こそどうなんだ?」

「俺か? あー、まあ、今のとこはぼちぼちって感じだな」


 三枝は神楽坂グループの関連会社に就職した。一応今の所は、神楽坂先輩の許婚、という立場らしい。一つ歳上の先輩とはまた別の会社だが、去年からバリバリに働いて結果を残しているのだとか。

 グループのご令嬢の許婚というのは隠しているらしいが、噂話というのはどこからともなく広がるものだ。きっと三枝も、その辺りで苦労しているのだろう。


「なんか、あからさまにゴマ擦ってくる上司とかいてよ。お前、歳上からゴマ擦りされた経験あるか? もう見てらんねぇよ。いい歳したおっさんがペコペコ頭下げてくるんだぞ?情けないにも程がある」


 吐き捨てるように言った三枝の声音には、若干怒りの色が。

 酒のペースが早いのはそれが理由か。


「あーやめやめ。思い出したらイラついてきた。なんだって休みの日にまで仕事の話しなきゃならねぇんだ」

「仕事の話を振ってきたのは君からだけどね」

「んなことより、もっと面白い話しようぜ」

「というと?」

「お前たちの話だよ」

「僕たち?」


 複数形にしたということは、僕と桜の話だろうか。はて、僕たちの関係は至っていつも通り順風満帆なのだけれど。


「悪いけど、君が期待しているようなエピソードは提供出来そうにないぜ」

「そう、そこだよそこ」


 どこだよ。箸で人を指すな行儀悪いな。


「同棲始めてもう五年だろ? 大学も卒業したのに、なんでなにもないんだよ」

「むしろなにがあるんだよ」


 僕たちにこれ以上なにを求めるというのか。たしかに高校を卒業してすぐに同棲を始めたから、今年で五年目。彼女と付き合い始めて六年とちょっとだ。

 付き合い始めてからは大きな喧嘩もなく過ごしてきた。ていうか、普通のカップルなら間違いなく喧嘩になってもおかしくないやり取りを、軽口として互いに流してきた。

 僕も桜も、お互いのことを理解しているから。だから相手がなにをしたいのか、なにをするつもりなのかが分かってしまう。

 そして、それを受け入れようとも思っている。受け入れたいと思っている。

 半ば高校時代に数段飛ばしで、心の中のあれやこれやを解消したからだろう。今更あの子に不満なんて抱けるはずもないし、抱いたとしても好きの気持ちが余裕で勝る。

 愛にできることは沢山あるんだよ。まだあるかいとか聞く暇があれば実行に移せ。


「僕たちが喧嘩した話でもお望みか? もしくは、桜がいかに可愛いかを力説してやろうか?」

「オーケー智樹、お前はどうやら、俺に対して何度白雪さんの魅力について力説したかを覚えていないらしいな。どこかで頭でも打ったか? それとも幸せすぎてご自慢の脳みそは溶けて消えたか?」

「バカ言うなよ親友。覚えてるに決まってるとも。ただ、まだまだ語り足りないだけさ。幸せすぎて脳みそ溶けてるのは否定しないけどね」

「覚えてるんなら自重しやがれ」

「やなこった」


 なにせ気軽に語って聞かせられる相手なんて、三枝くらいしかいない。いや、友達が少ないとかそう言うのじゃなくて。

 理世や井坂に語ったところでイジられた挙句桜の耳に入るのは確定だし、小梅ちゃんや椿、小泉や樋山たち歳下にはさすがの僕も羞恥心が勝る。

 つまり、ここは頼れる親友の出番というわけだ。


「そうじゃなくてだな。お前ら、いつ結婚するんだって話をしてるんだよ」


 頭をガシガシ掻きながらも、三枝は呆れたような調子でそう言った。

 その質問に対して、さしたる驚きはない。どうせ今日僕を呼んだのも、それを聞きたいのだろうと当たりはついていたし。


「ははっ、なんだよ三枝。僕の左手薬指が見えないか? 高校の頃からずっとつけてるんだぜ。これはもう、既に結婚してると言っても過言じゃない」


 が、こればかりは正直に話すわけにも行かない。僕だってなにも考えていないわけじゃない。そのつもりで今日まで頑張ってきたし、そのつもりでこれからの仕事を頑張ろうと思えているのだから。

 けれど。それでも、だ。いくら親友が相手と言えど、言うわけにはいかない。


「都合の悪い時はお得意の軽口で煙に巻く。お前の悪い癖だぞ、親友」


 だが、三枝秋斗は逃げを許さない。

 いつだってそうだった。僕が野球から逃げた時だって、この男はしつこく食い下がってきたものだ。なんだかんだで、高校に入ってからもその辺りは諦めてなかったみたいだったし。

 あの罰ゲームの時も。白雪と仲違いした時も。それ以外にも、思い当たる節はいくつもある。

 なによりも。

 十年以上の付き合いである親友には、僕の考えなんてお見通しなのだ。


「どうせこの期に及んでヘタれてるだけだろ、お前」

「……」

「考え事する時下向くのも、悪い癖だな。どうやって言い逃れようか考えてんだろ」

「…….分かった、分かったよ。参りました、降参だ」


 やっぱり、この男には敵わない。僕と言う面倒な生き物を十年以上も見てきただけはある。

 ジョッキに残っていたビールを飲み干し、おかわりを持ってきてもらってから、僕は重々しく口を開いた。


「いいか三枝。僕たちはな、四年も一緒に暮らしてるんだ。今年で五年目。もはや一緒にいるのが当たり前なんだよ」

「まあ、そうだな。今更お前らが別れるとか考えらんねぇし」

「君は神楽坂先輩と一緒に暮らしてないから分からないだろうけどね、毎日おかえりって言ってくれたり、電話取る時に夏目ですって言ってたり、一緒に風呂入ったり同じベッドで毎日寝たりしてるんだぜ? そんな相手に、今更改まってプロポーズ。二の足踏むのも当然だとは思わないか?」

「思わねえな」


 たったの六文字で僕の悩みが全否定された。


「お前は重く考えすぎなんだよ」

「君が軽く考えすぎなんじゃないのか?」

「俺の場合、なんか知らん間に許婚扱いだったからなぁ……考える暇もなかったんだよ……」


 どこか遠い目をしてビールを呷る三枝には、どことなく哀愁のようなものが漂っていた。まあ、相手の家が家だもんな。おまけに三枝本人がかなり気に入られてるときた。

 大変だなぁといつもは他人事に感じていたのだが、今回ばかりはそうもいかない。


「つーか、お前らも似たようなもんだろ」

「君たちと一緒にしてもらったら困る。話の規模が違うんだよ」

「同じだよ。結婚するかしないか。俺もお前も、結局はそれだけの問題なんだ。俺はすると決めたから、今の立場を受け入れている。ならお前はどうだ? どうしたい?」


 どうしたいかなんて、そんなもの決まってる。今更問われるまでもない。

 けれど、したいと思うことと実際やろうとすることは別なのだ。

 ヘタレだなんだと罵ってくれて大いに結構。それだけの勇気が必要になる行為なのだ。


「そもそも、僕はまだ指輪だって買ってないんだ。それなのにプロポーズなんて出来るわけがない」

「その薬指についてるのは飾りか?」

「装飾品という意味では飾りに違いないね」


 この指輪は、あくまでも高校の頃に買ったものに過ぎない。言葉を選ばずに言うならば、子供のおままごとのようなものだ。

 でも、婚約指輪となれば、それは一生物になる。こんな安物で済ませていいようなものじゃない。


「ついでに言えば、今なら時期も最適だぞ。ほれ、ジューンブライド」

「むしろ今はヤバイよ。締め切りに追われてる」

「白雪さんが? また珍しい」

「商業の方じゃなくて、夏の方。早割入稿したいとかで、ここ最近はパソコンとにらめっこだ」


 なんと桜は、去年から作家デビューしちゃっているのだ。応募したライトノベルの新人賞に受かり、それが大ヒット。イラストも自分で描いてるから、それも話題を呼んだ一因だろう。元々ツイッターなんかで絵も上げていたし、話題性としては十分だった。

 一方で、夏の某一大イベントにも参加するから、今はむしろそちらの締め切りがヤバイと焦っている。

 そんな感じでのらりくらりと躱し続ける僕に業を煮やしたのか、三枝は持っていたジョッキを強くテーブルに叩きつけた。店のものなんだからやめろよ。


「よし、なら勝負しようぜ智樹」

「勝負? またなんで」

「今から一時間、どっちが多くビール飲めるかで」

「なんの勝負かは聞いてない。なんで勝負するか聞いてるんだ。アルコールで鼓膜が腐り落ちたか?」

「敗者にはなんと罰ゲームを進呈!」

「それが目的か……」


 罰ゲーム。その単語を聞くだけで頭が痛くなる。高校時代の僕を振り回した悪魔のワードだ。

 あれがなかったら今の時間はないと分かっていても、やはり二度目は御免被る。

 どうせ、罰ゲームで白雪に告白、ならぬ桜にプロポーズ、とか言い出すんだろうし。


「悪いが、その手には乗らないぜ。罰ゲームでプロポーズとか、それはさすがにない。高校生の恋愛じゃないんだから。おまけに僕になんのメリットがある?」

「俺がなんでも言うこと聞いてやるぞ」

「なんでも言うことを、と言って喜ばれるのは女子だけだ。君が言っても気持ち悪いだけだよ」


 三枝を一生奴隷にするのもありだが、しかし負けた時のデメリットがデカすぎるし、僕は親友を奴隷にするような酷い人間じゃないので。

 断固として勝負に乗らない姿勢を見せていたのだが、目の前の三枝がニヤリと笑みを一つ。さて、僕を説得するいい手段でも思いついたのだろうか。

 聞くだけ聞いてやろうじゃないか。まあ絶対にやらないけど。僕、お酒強いわけじゃないし。


「あー、なるほどな。そうかそうか。つまり智樹は、負けるのが怖い、と。そりゃ仕方ねぇなぁ。ヘタレで腰抜けの我が親友は、俺に勝てるわけがないもんなぁ?」

「やってやろうじゃねぇかこの野郎ッ!!」



 ◆



「で、こうなったと?」

「悪りぃ、さすがに飲ませすぎた」


 玄関先には苦笑している三枝が。その三枝に肩を持ってもらっている我が恋人様は、完全にダウンしてしまっている。


「とりあえず、こいつどこ運べばいい?」

「ごめんなさい、リビングまでお願いできるかしら?」

「はいよ」


 さて。六月も終わりに差し掛かっている今日、智樹が三枝に呼び出されたと言って、家の近くにある居酒屋へ行ったのだけど。

 まさか智樹が、こんなに潰れるまで飲むとは。煽った三枝も悪いが、簡単に挑発に乗ってしまった智樹の自業自得とも言えるだろう。

 ていうか、どんだけ負けたくなかったのよ。それってつまり、私にプロポーズしたくないってことになるんだけど?


「よっ、と。いや、マジで悪りぃな白雪さん。まさか智樹が、こんなに飲むとは俺も思ってなくてよ」

「負けず嫌いが祟ったわね。お水入れるから、三枝も飲んで行きなさい。あなたも結構お酒飲んだでしょう?」

「サンキュー」


 冷蔵庫の中にあった水をグラスに注ぎ、それを二つリビングへ持って行った。一つを三枝に。もう一つはソファでグッタリ寝ている智樹の前に置く。

 全然起きる気配ないわね、この男。


「それで、結局勝負はどうなったの?」

「俺の勝ち」

「でしょうね……」


 智樹は明日までになんで負けたのか考えてなさい。明日になれば全部忘れてそうだけど。


「それにしても、また罰ゲームか……」

「やっぱり、白雪さん的には思うところがあったりすんのか?」

「まあ、それはあるけど。今となっては微笑ましい思い出よね」


 もう七年も前の話になるのか。そう考えると、私たちも長い付き合いだ。

 私と智樹だけじゃなくて。三枝や紅葉さん、理世に綾子、翔子とも。高校時代からずっと途切れない関係。

 昔の私が聞いたら、信じられないと思うでしょうね。


「ところで、白雪さんは結婚についてどう考えてんの?」

「もちろんするつもりよ?」

「おぉう……即答されるとそれはそれで反応に困るな……」

「一応智樹から言ってくれるのを待ってるんだけど、余りにも待たせるから、そろそろこっちから言ってやろうかと思ってるのよね。指輪も買ってるし」

「あー、まあ、あんたの方が智樹より稼いでるもんな」


 作家デビュー二年目で刊行冊数もまだ三冊とはいえ、何度か重版もかかっている。たかが公務員一年目とはゼロの数が違うのだ。


「しっかし、相変わらずイケメンなことで」

「それ、女子に使う褒め言葉じゃないわよ」

「女子と呼べる年齢のやつはこの場に一人もいないから大丈夫だ」

「智樹みたいな返し方、やめてくれるかしら……」


 思わずコメカミを抑えれば、三枝がケラケラと声を上げて笑う。さすが、十年以上の付き合いと言うべきか。智樹のことをよく理解している。

 おまけに結婚やらなんやらの心配までしてくれるのだ。智樹はもう少し、三枝に優しくしてあげるべきだろう。


「ま、いいんじゃねぇの? 白雪さんから言っても」

「でも、ほら、なんか可哀想じゃない?」

「言ってやるなよ。ヘタれてる智樹が全面的に悪いんだからな」


 そもそも智樹は、いちいち重く考えすぎなのだ。今回だけじゃなくて、同棲しようと提案してきた時だってそうだった。

 軽く考えていいわけではないけど、それでも、改まって畏まる必要はない。私の両親も妹も、友人達もみんな、最近はそのつもりで私たちに接しているのだし。


「さて。んじゃ俺は帰るわ。水、サンキューな。あと今度からは智樹に飲ませすぎないようにする」

「ええ。是非そうして頂戴」


 玄関まで三枝を見送り、一度部屋に戻ってからリビングへ。

 ソファでは智樹がまだ横になっているけど。


「寝たふりは感心しないわね」


 声をかければ、ピクリと体を震わせて起き上がる智樹。やっぱり。バレないとでも思ってたのかしら。


「……いつから気づいてた?」

「そのコップ置いた時。あなた、音に反応して耳が動いてたわよ」

「なんでそれだけで分かっちゃうんだ……」

「それに普段寝てる時とは違ったし」


 そもそも、三枝から事の成り行きを聞いた時点でおかしいとは思っていた。いくら智樹がお酒に弱い上に煽り耐性クソ雑魚ナメクジとはいえ、こんなになるまで飲むことなんて今までなかったのだし。

 智樹は自分でどの程度までなら飲めるのかを判断出来て、その上でちゃんとセーブ出来る。それに、あまりビールは好きじゃないとも言っていた。

 むしろどうしてバレないと思ったのかの方が謎だ。


「盗み聞きみたいな真似したのは悪かったよ……」

「別に責めてるわけじゃないわよ。でも、そうね。悪いと思ってるなら、ちゃんと履行してもらいましょうか」

「なにを」

「罰ゲーム」


 途端、なんとも複雑そうな表情を浮かべる智樹。半ば先程の私と三枝の話を聞いてしまっていたから、思うところは色々とあるのだろう。

 でも、逃すわけにはいかない。絶好のチャンスだから。


「あれだ、桜。もう少し待ってくれ。まだ色々と準備できてない」

「指輪ならあるわよ? あと、お金の準備とか心の準備とかかしら? お金なら心配ないから、あとはあなたが腹を括るだけね」


 部屋から持ってきた四角い箱を見せながら言えば、観念したようにため息が吐かれる。


「まあ、そういう罰ゲームだし、仕方ないか」

「ふふっ、そうね」


 罰ゲーム。私たちにとってのその言葉は、少しだけ特別な意味を持つ。

 あの青春時代を語る上で欠かせないもの。今の私たちを形作ったなによりのもの。

 そこに世間一般的な解釈はなく、決して他人には理解できないであろう特別が。


「さて、どんな甘い言葉を囁いてくれるのかしら」

「さりげなくハードルを上げないでくれ。それに、甘い言葉なんて必要ないだろう?」


 ソファから立ち上がった智樹が、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

 大きく深呼吸をして、開かれた瞳は強い意志を宿し輝いている。いつかの昔、私が恋した夏目智樹。それは今も変わらず、彼の中で生きている。

 その瞳に思わず見惚れていれば、短く簡潔な、それでも確かな想いを込めた言葉が発せられた。


「結婚しよう、桜。それで、僕と本当の家族になってくれ」


 胸の内を駆け巡る幸福感と、少しの照れ臭さ。それらを今更隠すこともなく、万感の想いを持って返事をした。


「ええ、よろこんで」


 些か変わったプロポーズにはなってしまったけど。でも、これも私たちらしい。

 左手の薬指にはめられた新しい指輪を見て、つい小さな笑みが漏れた。

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白雪姫after ハッピーエンドのその向こう 宮下龍美 @railgun-0329

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