白雪姫after ハッピーエンドのその向こう

宮下龍美

四年目三月 惚気話は犬も食わない

 最近、小梅先輩がすごい。

 いや、具体的になにがどうすごいのか問われれば、残念なことに俺は適切な答えを用意できるわけではないのだが。

 なんかもう、兎に角すごいのだ。すごいを通り越してヤバイし、ヤバイを超越してパナイ。

 あの人が高校在学時から色々と振り回されてきた身ではあるが、卒業してからはそれがより一層酷くなったというか、いや、恋人に振り回されるのはまあ、ある意味において幸せなことなのかもしれないが、それでも限度があるというか。

 まあなんにせよ。

 最近の小梅先輩可愛すぎてすごいしヤバイしパナイって話なのだ。


「いや、結局なにが言いたいんだよお前は」

「具体的な情報がなに一つ出てこなかったね」


 無慈悲なツッコミがカウンター越しと隣の席から。まったくもってその通りではあるものの、しかし俺はこれ以上の言葉を持ち得ないのだから仕方ない。

 いつもの喫茶店。カウンター席に座る俺と夏目さん。そして店員の三枝秋斗さん。

 春休みに突入した俺は、待ち合わせに喫茶店へやって来たのだが、そこには夏目さんが先に来ていた。

 もう何度もここに足を運んでいるから、店員であり夏目さんの親友でもある三枝さんとも顔馴染みだ。


「いや違うんですよ聞いてくださいよ」

「聞いた結果、なんも分かんなかったんだけどね」

「夏目さんだったら分かるでしょ? この、なんというか、恋人が言葉にできないレベルで可愛い時、あるでしょ?」

「まあ、ないとは言えないけど」


 ブラックコーヒーを飲みながら、夏目さんは少し考えるそぶりを見せる。


「例えばだけど、桜が甘いもの食べてる時なんかはそんな感じかな。あの時の笑顔見てたら、可愛い以外の語彙が消滅するね。なんか、その時の桜、凄い幼く見えるんだよ」

「へー、あの人でも子供っぽい顔とかするんですね」


 全く想像できない。白雪桜さんと言えば、大人の女性って感じのイメージだから、そう言うギャップは男からするとたまったもんじゃないだろう。

 いや、小梅先輩と顔立ちは似てるから、イメージできないこともないのだが。そもそも小梅先輩が子供っぽい顔するのも中々ないし。


「で? 椿は小梅ちゃんの何を見て、凄いとかヤバイとかパナイとか思ったんだよ。せっかく将来のお義兄様がいらっしゃるんだから、今のうちに白状しといたらどうだ?」

「いや、お義兄様って……」


 皿を拭きながら適当なことを言う三枝さん。さすがに気が早すぎると思うのだが。それに、小梅先輩を溺愛している夏目さんに向かってそんなことを言えば、俺は五体満足で家に帰れないかもしれない。


「まあ、僕も興味がないと言えば嘘になるよ。可愛い義妹が恋人とどんな風に過ごしてるのかは気になるからね」

「あんまり構いすぎると嫌われますよ」

「ははは、まさかそんな。ははは」


 目が笑ってませんけど? これ、一回嫌われる寸前まで行ったやつだな。


「ほれ、とりあえず言ってみろ」

「えぇ……。まあいいですけど」


 数日前のデートを回想してみる。

 そう、あれはたしか、四宮のモールへ買い物に行った時の話だ。春物の服が欲しいからと小梅先輩に連れ出された日。

 結局めぼしいものが見つからず、もはや本来の目的も忘れて適当にぶらついていたのだが、その日のモールは超満員。めちゃくちゃ混雑していたのである。そんな中、超絶不幸なことに定評のある俺の身に、何も起きないわけがなく。

 どこぞでセールなりなんなりでも始まったのか、人混みの動きが活性化したのだ。周りに目もくれず走り回る多くの人間。思いっきり肩と肩がぶつかり、その衝撃でエスカレーターに身を放り投げられそうになった瞬間。

 繋いでいた手を引き寄せた小梅先輩が、超イケメンな笑顔とともに、耳元で一言。

『あまり心配掛けさせないで』


「ヤバくないです?」

「ヤバイね」

「そりゃヤバイわ」


 一瞬で賛同を得てしまった。やったぜ。


「いつも思うんだけどさ、白雪姉妹はなんで僕らよりもイケメンなんだろうね。男の立つ瀬がなくなるんだけど」

「俺なんかもう完全にヒロインですよ……。あっちの方が白馬の王子様してますもん……」

「小梅ちゃんの場合、いざとなったら武力行使出来るからなぁ」

「教えたのは君だろ」

「まあな」


 この三枝さん、どうやら小梅先輩の空手の師匠でもあるらしく。あの華麗なハイキックは三枝さん直伝らしい。

 お陰様でスカートの中とこんにちは出来ました。とか言えば、それこそ夏目さんに殺されてしまう。


「高二の修学旅行前の白雪さんなんて、めちゃくちゃイケメンだったもんな」

「おいおい親友、あんまりその時のことを掘り返さないでくれよ。恥ずかしくて死ぬぞ、僕が」

「黒歴史ってやつですか?」

「いや、黒歴史とはちょっと違うんだけどね。まあ、若さゆえの過ちってやつがあったんだよ」


 つっても夏目さんもまだ若いだろ。夏目さんたちで若くないとか言われたら、現役男子高校生の俺はどうなるんだ。でも、もうこの人たちは大人だもんな……。若さってなんだ……振り向かないことなのか……。


「でも、椿の不幸も、ちょっとはマシになったりしてないのか?」

「と言いますと?」

「ほら、小梅ちゃんのイケメンパワーで不幸エネルギーが中和される、みたいな」

「なんすかそれ……」

「ごめん、僕も自分で言っててよく分からない」


 しかし、マシになったと言えばマシになった。不幸なことが起きなくなったと言うよりも、それが起こる前に小梅先輩がどうにかしてくれる、と言った方が正しいが。

 あの人がいない時、学校の時なんかだと、小鞠もいるし。

 情けない話だとは思うが、この身に降りかかる不幸だけはどうしようもないのだから仕方ない。


「しかしなんというか、こう、もうちょっと白雪姉妹のイケメンムーブはどうにかならないもんかな」

「諦めた方がいいんじゃないですか? 俺は諦めました」


 はぁ、とため息を吐く男二人。カウンター越しの三枝さんはそんな俺たちを見て、ケラケラと笑っている。完全に他人事だから楽しそうですね。

 などと黄昏ていると、カランコロンと店の扉が開く音がした。三枝さんのいらっしゃいと言うどこか軽い声に振り返ってみれば、まさしく話題の中心人物達が。


「あら、今日は繁盛してるわね」

「いやいやお姉ちゃん、葵君とお兄さんの二人しかいないよ。これは繁盛とは言わないでしょ」

「普段は全くお客さんいないからねぇ〜」


 小梅先輩に桜さん、それから三枝さんの恋人である、神楽坂紅葉さんの三人がやってきた。三人とも美人だから、街中を歩いていればさぞ男どもの目を引いたことだろう。


「やっほー葵君。お待たせー」

「丁度暇つぶし相手がいたんで、そんな待ってないですよ」

「おい親友、お前後輩に暇つぶし相手扱いされてんぞ」

「それは君も同じだぜ、親友」


 席を立てば、入れ替わるように桜さんがそこに座る。夏目さんの隣は譲らないと言う鉄の意志が感じ取れた。

 そして桜さんのさらに隣、夏目さんとは反対側に神楽坂さんが腰を落ち着ける。


「三枝さん、お会計お願いします」

「あーいいよ。カフェオレの一杯くらい、俺の奢りにしといてやる。今から小梅ちゃんとデートだろ? 金はそっちに取っとけ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 お金が浮くと言うのなら是非是非奢らせてもらおう。高校生のお財布事情は厳しいものがあるのだ。


「じゃーねーお姉ちゃん。紅葉さんも、また今度!」

「小梅、椿に変なことされそうになったらすぐ私を呼ぶのよ」

「小梅ちゃんばいばーい」


 随分と信用ないなぁ、なんて心の中でため息をつきながら、小梅先輩と二人で店を出た。

 外は春らしく、暖かな晴れ空が広がっていて、つい一週間前まで猛威を振るっていた寒さはすでにどこかへ消えてしまった。

 駅までの道を歩きながら、どちらからともなく手を繋ぐ。

 はっきりとした言葉を互いに交わしてから、数日が過ぎただけだから。こうして恋人らしいことをすることに、まだ慣れてない自分がいる。


「さて、今日はどうしよっか?」

「たまにはうちに来ます? 今日は親もいないですし」

「えっ」


 素っ頓狂な声を上げた隣を見れば、そこには顔を少し赤く染めた小梅先輩が。

 はて、なにか変なことを言っただろうかと考える。いや考えるまでもないわ。親がいない家に誘うとか、これもう明らかにヤバイじゃん。ははーん、さては俺、浮かれてるな?


「あー、待ってください、今のなし。いや、ていうか、別にそういうつもりで言ったわけじゃないんで……」

「うん、大丈夫、大丈夫だから。葵君はヘタレだからね。そんなつもりじゃなかったってのは分かってるよ、うん」

「納得の仕方が釈然としないんですがあの」


 しかも否定できないのがまた悲しい。ヘタレで悪かったですね。


「でも、うん。葵君の家は、行ってみたいかな?」

「なぜ疑問形……」

「なんでだろうね」


 照れ隠しのつもりなのか、あはは、と赤い顔で笑ってみせる小梅先輩。可愛い。文句なしの可愛さですね。

 だが、とりあえずの行き先は決まったか。


「んじゃ、行きますか」

「うん。葵君の部屋ついたら、まずはベッドの下からチェックだねっ!」

「やめろ」


 そこにはなにもないけど。全部パソコンの中だから、家捜しされても大丈夫だけど。

 家についたら、少しくらいは恋人らしい雰囲気とかいうのになってくれるだろうか。あわよくば、なんて煩悩が頭をよぎるあたり、やっぱり親がいなくて良かったかもしれない。








「しっかし、この四人で集まるのも久しぶりだな」


 店を出て行った歳下二人を見送った後、桜と神楽坂先輩にドリンクを出した我が親友が呟いた。

 言われて思い返してみれば、たしかにその通りだ。僕と桜、三枝と神楽坂先輩は同じ大学だけど、四人で集まるとなれば、なにかに示し合わせた時じゃないと中々機会が訪れない。神楽坂先輩が大学で忙しかったり、三枝がバイトのシフトに入ってなかったり、僕が草野球に顔を出してたりするから。


「前に集まったのっていつだったかしら?」

「初詣じゃなかったかな? わたしもそれ以降忙しくなっちゃってたし」


 それぞれがお互いの恋人とは会っているし、僕と桜に至っては一緒に住んでるから、毎日顔を合わせているけれど。

 こうして四人で集まると、あの頃を思い出して懐かしくなる。まだ四年しか経っていないのに、もっと昔に思えてしまうのだから不思議だ。特に神楽坂先輩は一つ歳上だから、一緒にいる時間も少なかった。


「もうそろそろ四年経つんだろ? そりゃ小梅ちゃんもあんな大きくなるよなぁ」

「あの子、私よりも身長高いのよね……」

「つい最近までもっと小ちゃかったのにねー。若い子の成長は早いよ」

「紅葉さんも俺たちと変わんないでしょ」


 何気ない会話が心地いい。決して短くはない時間で積み重ねて来た、この四人の関係だからこそ。桜と僕の間にあるものとはまた違った信頼が、この四人にはある。


「さて、それで。白雪さん的には、あいつはどうなんだ?」

「椿のこと?」

「イエス。愛しの妹を取られちまったんだから、内心穏やかじゃないんじゃねぇの?」

「失礼ね。私だってあの子のことはちゃんと認めてるわよ」

「あれ、そうなんだ。桜ちゃんのことだから、もっと色々思うところあるんじゃないかなって思ってたけど」

「紅葉さんまで……あなた達私のことをなんだと思ってるのよ」

「そりゃ重度のシスコンだろう。それは自他共に認めるところじゃなかったのか?」


 茶々を入れてみればキッと睨まれた。しかし否定の言葉が出ないあたり、やはりシスコンは認めているらしい。


「たしかにシスコンとか言われてるけど、小梅が決めた相手なんだから、私がとやかく言う筋合いはないでしょ」

「言ったら小梅ちゃんに嫌われそうだしね」

「智樹煩い」

「これは失礼」


 実際一度、僕も桜も、小梅ちゃんの学校生活について色々と口出しすれば嫌われそうになった時がある。あの時の桜と来たら、見たことないくらい焦ってて面白かったのだけど。


「でもまあ、椿が小梅を泣かせるようなことしたら、人生最大の不幸があいつを襲うでしょうけどね」

「あくまでも直接手を下さないあたり、実に陰湿だね」

「あら、別にそんなことはないわよ? だって私はなにもしないもの。ただ、いつも不幸だって嘆いてる椿の身に、それ以上の不幸が降りかかるだけ。私はなにもしないわ」

「その考えがもう陰湿だよ、桜ちゃん……」


 呆れた笑みを浮かべる神楽坂先輩に、桜はバツの悪そうな顔をする。


「まあ、その辺りも含めて、椿なら大丈夫だろうけどね。なにせ小梅ちゃんは桜の妹だし」

「人を面倒な女みたいに言わないでくれる?」

「まさしくそう言ってるんだけど、伝わらなかったかな?」

「……まあ、否定はしないけど」

「そんな小梅ちゃんの相手をしようってんだから、椿も中々の物好きだよ」

「智樹が言えた義理じゃねぇだろ、それ」

「違いない」


 なにせ僕の恋人は、めんどくささに置いては他の追随を許さないのだから。

 その妹を相手にする椿も、僕に負けず劣らず。まあ、かつての僕も椿も、それ相応に色々と抱え込んではいるものの。

 そこは白雪姉妹共通のイケメンムーブとやらで、どうにかしてくれることだろう。


「とにかく、小梅が幸せなら、私は別にそれでいいのよ。今までは私達のせいで、余計なプレッシャーとか抱え込んじゃってたし。でも、これからは椿がいるんだから、私達が変に気を揉む必要もないでしょ」

「椿くんのこと、随分信頼してるんだね」

「それはちょっと違うわよ、紅葉さん。私は、小梅が信頼してる椿を信頼してるだけだもの」


 まあ、桜が彼のことをどう思っていようと、あの二人の今後を決めるのは、他の誰でもない。彼と彼女自身だ。

 ハッピーエンドのその向こう。

 願わくば、その先でも、二人が幸せならば。

 年長者としては、そう望まずにはいられない。

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