俺の彼女はパワーストーン!?

まつこ

俺の彼女はパワーストーン!?

 実家から離れた高校に進学した俺は、寂れたマンションで一人暮らしをしている。友達も恋人もいない、寂しい生活。朝昼晩とコンビニの弁当で食事を済ませ、歯を磨き、風呂に入り、自慰行為に耽って寝るような、吐き捨てたくなるような生活。今日も今日とて、コンビニ弁当を手に部屋に戻った。もう春の気配が近づいているが、夜は肌寒い。暖房の入っていない部屋は、俺に癒やしなど与えるはずもなかった。


「ただいまー……って、誰もいないのは知ってるんだけどさ」


 扉をバタンと閉めれば、一応は帰宅したという実感が湧いてきて、緊張していた体が多少はほぐれる。そのまま靴を脱いで、上がり框を踏んだ、その時だ。


「おかえりなさい、今日ははやかったね」


 そんな少女の元気な声が、風呂場から響いてきた。

 ああ、鍵が開きっぱなしの別の人の部屋に入ってきてしまったのかな?そんなはずはない。鍵を開けた記憶はあるし、玄関からすぐ繋がっている台所にある、結局一度も使っていない調理器具は間違い無く俺のものだ。念のため部屋の番号を確認したが、プレートには俺の部屋番号の下に、俺の名字が書かれていた。

 間違っても俺に姉や妹はいないし、母の声はあんなに若々しくない。そもそも母なら来る時は連絡を入れるはずだ。

 俺は今の声を幻聴だと断じて、恐らく昨日の夜から電気を点けっぱなしにしていたのだろう風呂場の戸を開けた。


 果たして、『それ』はそこにいた。イエローダイヤモンドの髪、エメラルドの瞳、ホワイトオパールの肌……比喩ではない。が、そこにいたのだ。


「きゃあっ!?開けるんなら言ってよ!?」


 そう悲鳴を上げて自分の恥部を隠す、宝石の少女。混乱した頭とは裏腹に冷静に状況を観察していた俺は、その部分はローズクォーツで出来ていることを視認した。


「誰……いや、なんなんだ、お前」


 質問の答えは、風呂桶で返ってきた。あの体でどうやって動いているのか。コーンという小気味良い音を頭から響かせ、俺は風呂場から撤退した。


 シャワーの音が消える。体を拭き、服を着るシルエットが見える。ああ、俺の頭はおかしくなってしまったんだ。悪夢なら覚めてくれ。お願いだ。

 やがて再び風呂場の扉が開く。先程の少女は、簡素な白いワンピースを着ていた。それ以外は、何も変わっていない。何も。宝石で出来た体は、彫刻じみた美しさを少女に与えていた。


「で、なんで突然お風呂場の扉開けるなんてことしたの。急ぎの用事?」


 まるで昔からの知り合いのように、彼女は聞いてきた。俺は率直に質問する。


「それ以前にお前は誰なんだよ、俺はお前なんか知らないし、宝石で出来た人間なんて聞いたことがない」


 俺の問いに、少女は心底ショックを受けたような表情をした。そして、水晶の涙をぽろぽろと床に落としながら、俺に質問を返した。


「私、シンに何か悪いことしたかな……?」


 シン、というのは俺のあだ名だ。本名よりも呼びやすいせいで、俺を知る人間は大概が俺のことをそう呼ぶ。逆説的にこの少女は俺のことを知っていることになる。


「強いて言うなら風呂桶を額にぶつけたくらいだし、俺はそれを別に気にしてない。本当にお前のことを知らないんだ。意地悪しようとか、そういうんじゃない」


 そう言うと少女の表情は少し明るくなり、その後寂しそうに眉を寄せた。それは髪の毛と同じく、極細いイエローダイヤモンドで出来ている。


「そっか……うん、無理しなくていいよ。私とシンの関係を説明するね。私とシンは恋人同士だよ、自他共に認める、ね。同じ高校に通ってて、そこで仲良くなったんだけど、覚えてない?」


 一つ一つ確認するように少女は言うが、心当たりなど一切無い。同じ高校に通っている?恋人?信じられるはずもない。やはりこれは幻覚で、幻聴で、俺は今日にでも精神病院に入院して、一生出てこないよう隔離されるべきなんじゃないか。


「信じられない、かな。どこかで頭を強くぶつけちゃって、記憶喪失になったとか……明日一緒に病院に行く?」


「是非お願いしたいな」


「うん。今日はもう無理せず寝た方が良いよ、布団敷くね」


 そうだ、寝て起きれば、この悪夢から覚めるかもしれない。というか、寝るなら彼女は自分の家に帰るだろう。それだけでも精神が安定するはずだ。と思っていると、少女は平気で来客用の布団を出し始めた。


「おい、まさか、ここで寝るつもりか?」


「そんなことも忘れちゃったの?」


 さも俺がおかしいかのように……いや、実際おかしいのだろうが、少女は言う。


「ああ、なんで来客用の布団まで出してるんだ」


「私とシンが一緒に住んでるからだけど」


「同棲!?」


 思わず叫んでしまった。ドン、という隣人からの文句が壁から聞こえてくる。少女は頬を赤らめて――――――赤くなった部分はどういう原理かルビーになっていた――――――コクリと頷いた。


「シンから言い出したんだよ?一緒に住もうって。家賃も一人分で済むし、なんて冗談言いながら」


「……ごめん、やっぱり覚えてない」


「そっか……今日は他の所で寝た方が良いかな、ホテルとか……」


 申し訳なさそうにする彼女は今にも泣き出しそうだった。そんな表情をされて、冷たく突き放せるほど、俺は冷酷な人間ではない。


「そこまでする必要は無いって。良いよ、今までずっとそうしてきたんなら、ここで寝て。おかしくなってるのは多分、俺だろうし」


「ありがとう。優しいのは変わってないね。早く色々、思い出せるといいね」


「ああ、そうだな……」


 それ以上言葉を交わすことなく、俺は着替えや風呂などを済ませ、布団の中に潜り込んだ。


 目を瞑ってからしばらくして、左手に何か冷たくて固いものが当たる感触があった。それが宝石の少女のものであると気付くのに、数秒の時間を要した。


「これでも、思い出せないかな」


 少女の体は月明かりを浴びて、時折キラキラと光っている。エメラルドの瞳が揺れるように光を反射しながら、俺を見つめている。


「君の体温も、夜の君の美しさも、俺にとっては初めてのものだ」


「そっか……おやすみ」


「おやすみ」


 この幻から覚めることばかりを願っていたが、彼女の名前も聞かないまま終わってしまうのは、少し寂しいと思った。


***


 翌日。悪夢は覚めていなかった。覚めないことを望んだのは、俺自身だったのかもしれないけど。

 宝石で出来た少女は俺の通っている高校の女子制服を着て、起きた俺に声をかけてきた。


「おはよう。ご飯食べられる?学校、行ける?時間はまだ余裕あるからね」


 帰って来た直後に寝てしまったせいで、時計の針はまだ午前4時を指していた。ここから学校までは歩いても30分程度だ。今から短めの映画を2本見ても余裕がある。


「大丈夫、体はすこぶる快調だ。目の前に君がいることが、まだ信じられないけど」


「そっか。あっ、そういえば、シンが私のこと忘れてから私名前言ってない?」


「うん、起きてもまだ君がいたなら、まずそれを聞こうと思ってた」


「じゃあ改めて自己紹介を……なんか緊張するね」


 にへらと笑って、少女は頭をかいた。鉱石同士による摩擦音がする。削れたり欠けたりしそうで少し心配になったが、彼女は気にしていないようだった。


「えっと、私はジュエルって言います。よろしく、シン」


「ジュエルって、そのままだな」


「良く言われるし、前もシンに言われたよ、それ」


 その記憶も俺には無い。精神疾患による症状なのか、本当に記憶喪失なのか、俺にはもう判断がつかなくなってきていた。

 その後、学校に行く時間までテレビを見たり、適当にごろごろしたりしながら過ごした。ジュエルは良く喋る子で、テレビのニュースの一つ一つに感嘆の声を上げたり、話題の映画の情報を興味深そうに聞いていたりして、見ていて飽きなかった。なるほど、こういう女性なら、俺が惚れることもあるのだろうか。


「あ、時間だね。学校行こ?」


 学校。俺がこの幻覚か現実かわからないモノを見だして初めて行く、他人が多く居る場所だ。願わくばこのジュエルという少女が他人には見えない俺の妄想で、精神科で適切な治療を受ければ寛解する問題であることが証明されれば良いが……。


「今日、数学の課題提出日だっけ、あー、やってないかも」


 自分を慕ってくれるこの少女が幻覚だと言い切られてしまうのは、寂しいことなのだろうと思った。


***


 結論から言って、俺の期待は裏切られた。ジュエルと一緒に学校に来たが、クラスメイトも教師達も何ら疑問を持たず彼女を受け入れている。なんなら俺より友達が多い。

 ここで、俺ではなく世界がおかしくなったのだと言えれば良いのかもしれないが、そんな風に考えられるほど俺には自信が無かった。俺だけが彼女のことを忘れて、この世界から置き去りにされてしまったのだろう。


 昼休み。そういえば昨日は弁当を買っていなかったということに気付いて、約30分を無為に過ごすことが決定した。時計の針は遅々として進まず、俺の空腹は刻々と胃を締め付ける。


「シン、はいこれ、お弁当。一緒に食べよ?」


 図書室にでも行って時間を潰すかと考えていた時、宝石で出来た少女が俺の前にピンク色の可愛らしい風呂敷で包まれた弁当を差し出した。


「他人から手作り弁当を貰うなんて初めてだ」


 そう言うと、ジュエルは困ったように微笑した。ああ、そうか。彼女にとっては俺に自分の作った弁当を手渡すことは初めてではないのだ。或いは、いつものこと、であったのかもしれない。しかし、俺にその記憶はない。


「食べよっか」


「ああ、うん、ありがとう」


 やはり、どこかぎこちない。きっと俺が悪いのだろう。俺が彼女のことを思い出せば、何もかもが上手く回るようになる。だけど、俺の記憶の中には、彼女だけが存在していない。思い出すも何も、彼女は昨日までいなかったはずなのだ。そんなことを口にすれば、彼女を傷つけてしまうだろう。それは嫌だった。

 ジュエルの作った弁当は美味しかった。彼女もまた食事をしていたが、あの体なのにどうやって体内に吸収されているかは謎だ。流石に少女の形をしたモノにそういった話を聞くのは憚られたため、疑問に思うだけにしておいたが。


***


 放課後。夕日に照らされるジュエルは、昼間とはまた違う美しさがあった。無論惚気では無い。体が宝石で出来た彼女は、外部の光によって見え方が違ってくるというだけの話だ。


「綺麗だな……」


「夕日が?」


 意図せず感想を口にしてしまい、ジュエルに聞き返される。気恥ずかしくなった俺は、彼女の言葉を肯定した。


「そっか。さてと、じゃあ、病院行く?」


「そうだな、色々と調べてもらわないと……」


 俺の中では既に記憶喪失であるという説が濃厚になっていたが、それだけにしては不可解な部分もある。たった一人、それも恋人の記憶だけを都合良く忘れるようなことが、果たしてあり得るだろうか。


***


 様々な疑問を抱えながら、俺は近所でも一番大きい総合病院へとやってきた。ジュエルはというと、先に一人で帰ると暇だから、という理由で付き添ってくれている。

 待ち時間は長かったが、やがて俺の名前が呼ばれた。意を決して、精神科の診察室に入る。


「こんにちは、今日はどうしたのかな」


 担当の医師は男性で、四角いフレームの眼鏡と、白髪の入り交じった短い髪が印象的な人だった。

 問診票に症状について書いたつもりだったが、流石に理解し難かったのだろう。というより、それこそ狂人の妄想であるかのように感じたのかもしれない。


「はい、記憶が無い……というか、彼女に関する記憶だけ一切無いんです。今までの生活の中に、彼女がいたということが信じられない」


 医者に対しては正直に答えるべきだと思ってそう述べたが、ジュエルの表情は暗くなった。


「なるほど、確かに記憶喪失にしては珍しい症例ですね。どこかで頭を強く打ったとか、そういったことは?」


「無いはずです。どこも痛みませんし、記憶にもありません」


 その後もいくつか問答を繰り返したが、最終的に体調不良による記憶の混乱で、時間が経てば治るだろうと結論づけられた。納得はいかないが、なら何を言ってくれれば納得してくれるのかと問われれば答えようはない。何かあったらまた来なさい、と告げられて、俺は家に帰った。


***


「時間が経てば治るって、良かったね」


部屋に戻り、着替えた俺に、ジュエルはそう声を掛けてきた。


「……そうだな」


 ジュエルと一緒にいる生活は、正直言って充実している。家と学校を往復するだけだった今までの毎日より、適度な刺激があって、退屈しない。本当にジュエルが俺の恋人であった記憶が存在して、時間次第で思い出すと言うのなら、それに越したことはない。出来れば、この生活に何の疑問も持たずにいたかった。


「大丈夫だよ、シンが私のことを好きになったことを忘れても、もう一度シンに私のことを好きになってもらうから!」


 ジュエルは魅力的な女性だ。髪はイエローダイヤモンドで、瞳はエメラルド。肌はホワイトオパール。これは一つたりとも比喩ではない。宝石で出来た彼女は美しくて、もう、俺の心を掴んで離さなかった。


***


 ジュエルの暮らし始めて数週間が経った。俺はその日、銀行の通帳の残高を見て顔を顰めていた。俺はバイトなどしておらず(というかうちの高校は今時バイト禁止である)、生活を親からの仕送りに頼っている。これは減ることはあっても増えることはまずないという代物で、使い果たせば、その月は満足に食事をすることも出来ない。ジュエルは自分の生活に必要なものは自分で揃えているようだし、彼女に金をせびるなんてことは出来るはずもなかった。


「シン、お金に困ってるの?」


「正直困ってるけど、とりあえず今日からは1日1食で出来る限り出費を減らせば凌げるはず」


「そっか。うん、私も節約するね」


 ジュエルはそれ以上金について何かを言うことはなかった。一歩間違えばトラブルになりかねない話題であるし、そうして過干渉しないでいてくれるのは助かった。


 翌日、珍しくジュエルが急いで家に帰っていった。何か忘れ物でもしたのかもしれないと俺は気楽に考え、後を追うようなことはしなかった。


「ただいまー、ジュエル、いるよな?」


「い、いるよー、おかえり」


 二人の生活スペースに繋がる扉を開け、テレビを見ているジュエルの存在を確認する。そして俺は、部屋の中心に置かれたテーブルの上に、綺麗な色をした欠片が置かれているのに気が付いた。


「これは……」


 手にとって観察する。一部分が白く、他の大部分は赤い鉱石で出来ている。白い部分はホワイトオパールで、赤い部分は恐らくガーネットだろう。ガーネットの赤さは兎も角、ホワイトオパールの白さには、見覚えがあった。


「ジュエル、お前っ!腕を見せろ!!」


 一も二もなく、俺はジュエルの腕を掴んで立たせた。ジュエルは抵抗したが、その力は弱々しい。俺の予想が正しければ、彼女の左腕に、それの跡が残っているはずだった。

 季節にそぐわない長袖を捲り、確認する。手の甲から少し離れた場所が欠け、彼女の肉の色を現すのだろうガーネットが露出していた。欠けた部分の破片が、テーブルの上に置かれている欠片なのだろう。


「ケガしたのか!?治るんだろうな!?」


 俺は彼女の体の構造を知らない。だが普通石というのは欠ければくっつかないものだ。一生残る傷になってしまったのなら、俺は後悔しても仕切れない。


「ちがっ、違うの、シン!」


「違うわけあるか!こんなに大粒で綺麗な宝石が、お前の体の破片以外でどこにあるっていうんだ!」


「だから違うの、これは、私が自分でやったの!私の体の破片を売れば、お金になると思ったから!」


「なっ……」


 俺はなんてことをしてしまったんだ。金に困っているなどと言わなければよかった。文字通り身を削ってまで、彼女が俺に尽くしてくれる必要などない。童話の『幸福な王子』のように、最後に彼女が体を無くすようなことになったら、俺は耐えられないのだ。


「だ、大丈夫だよ、ちゃんと治るから。人と一緒だよ。普通に今まで何度もケガしてきたけど、治ってきたし」


「そうか、それは良いんだ。一生残る傷でなくて安心したけど、もう二度とこんなことはしないでくれ。お前が傷つくところなんて見たくない」


 当たり前の事を言ったつもりだったが、ジュエルは目を瞬せ、小さく笑った。


「な、何かおかしいこと言ったか?いや、俺がおかしいのはわかってるんだけど……」


「ううん、そうじゃなくって、やっぱりシンは優しいなって。私こんな体だから、色んな人が私の体を削るために誘拐しようとしたり、暴力を振るってきたりしたんだけど、シンは絶対そんなこと言わないもん」


「そうだったのか……」


 どれほどの恐怖だろう。自分をヒトではなくモノとして見る人々に狙われるというのは。たしかに彼女の体を砕いて売れば、想像のつかない金額になるだろう。でも俺は今日まで、そんなことを一度も考えたことはない。なぜなら……


「俺はお前の体を売ろうなんて思わない。だって、お前はお前のままで十分美しくて、価値があるんだから」


 偽りの無い気持ちだった。彼女と過ごした記憶は、精々一ヶ月程だが、その間に、俺はジュエルに惚れていた。惚れ直していた、というのが正確かもしれないが、やはり未だ記憶は戻っていないし、それが存在しているのかどうかも疑わしい。しかし、俺は彼女のことを愛するようになっていた。


「ありがとう、これからもよろしくね、シン」


 彼女の存在は、どんな宝石よりも価値がある。

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