第3話 漫才


 <ありがとうございましたー!>

 俺らの一つ前のコンビ、819番の漫才が終わった。


 緞帳どんちょう一枚向こうは、まさに運命を決める大舞台。大袈裟ではない。

 観客の笑い声のボリュームで、あっさりとわかってしまう明暗。笑い事ではない。


「ふー。来たな」

 俺は今日はじめて、相方にまともな声をかけた。

「いつも通りにやろや」

 相方は少し目を細めて俺の目を見た。


 こなすだけのルーティンとは裏腹に、売れたいモチベーションが人一倍強い、硬くなった俺の体を緩まそうとしてくれたのかもしれない。



 俺らはいわゆる高齢化夫婦状態。

昔は仲良く飯に行ったりもしたが、今は昨日のタイガースの話すらしなくなっている。JFKとイナズマ7は僕らの中の貴重な思い出キーワードだ。



 819番の二人がソデに戻ってくる。一人の顔は完全に凍りついている。


「五分後の世界がああではないようにお願いします。」

 誰よりも意が乗った祈りを唱えながら、震えた両手を胸の前で合わせた。


《 823番!どうぞ 》


 人生で最も逃げたい時間。そして、人生一発逆転を秘めた唯一の時間!

 俺たちは舞台上のセンターマイクへ走り寄った。



どーもー‼︎

エイトカラーズレインボーです‼︎

よろしくお願いしますー


 凄い盛り上がってますねー!

そうか?笑

 なんて事言うねんお前!

安心してください、皆さん。審査されてるのはこっちなんで!

 あーたしかにそれはそうやね、リラックスして楽しんでくれはったら1番です。

 ちなみ彼は今日めずらしく気合い入ってますから!

そうなんですよー、今日は朝からカツカレー食べて、髪型ビシッときめて。

 おー、ほー。

コンタクト6枚入れてきましたからね!

 なんでやねん!笑

いや、今日はたくさんの人の前で漫才やるて聞いてから。

 気合い入れるとこおかしいやろ。

一人一人の顔を、よー見なあかん思てー。

 いやいや、入れたら入れた分だけ良うなるみたいになってるけど!

え、違うの? 0.8・1.2・1.8・3.2になっていくんちゃうの?!

 どんなんやねん!笑 それやったら皆、そうするやろ!

本町の御堂筋から難波方面を見たら、高島屋に人が挟まりそうなってて、危ない!    危ない!みたいな感じになるんちゃうの?!

 出来るかっ! ほんでちょっとふらついとるがな!笑

おかしいなー、バランス考えて入れてきたんやけどなー。

 ちゃんと左右3枚ずつしてきたんか?

いや、右5・左1やけど。

 右5!左1!逆によう立ってんな!


まぁそれはそうと相方よ。最近、なりたい職業があるんですよねー


————————————————————



「辞めさせてもらうわ!どうもありがとうございましたー!」



 不思議だ。

 十年前、当時の彼女に言われた一言は片時も忘れられないのに。五分前の出来事を一切思い出せない。


 楽屋に戻った相方はパイプ椅子に腰を下ろす。キチキチという全力で体重がかかった椅子の音が、荷を下ろすどころか、さらに何かを背負わされた気にさせる。

そもそも手応えがある時なんてあったっけな。


 俺が力なく吐いたタバコの煙。

「何かもう、全部一緒に吸い上げてってくれや」

 俺の首もつられて上を向く。


 バイトのシフト。十五年目のベテラン。空白の五分間。見慣れた天井。先の見えぬ未来。慣れてしまったこの感覚。



 十三度目の挑戦はあっさり終了を迎えた。


 612番が呼ばれた後、さぁそろそろと背筋を伸ばそうと思った矢先、係員の低い声は 823番どころか900番へと飛び越えていった。

それくらい難しいことなのだ。奴らの手に引っかかるということは。



 俺と相方は特別、相性が良いというわけではない。どちらかと言えば悪い。

と、俺は思っている。でも、今から他の奴とコンビを組めるとも思っちゃいない。そして感謝もしている。

 俺の筋金入りの熱しやすく冷めやすい性格を、上手く操縦して十三年。『継続』という言葉を教えてくれたのは相方だ。


 ただ、そんな素敵な相方に唯一、注文をつけるとしたら賞レースの後にある。


「頑張った!結果はアレやったけど、やる事はやったし、まずは頑張った自分達を褒めようや」と彼は言う。

「頑張った!でも結果が残せてない俺たちの上に、頑張った俺たちが来ることは絶対にない!」と俺は思う。


彼の思考

 結果はすべて。でも頑張ったという結果がまずはある。

俺の思考

 頑張った結果がアカンかったんや。それがすべて。


 最近読んだ本にこう書いてあった。夫は励ましを求めて相談する。妻は共感を求めて相談する。

なるほど。で、俺たちはどっちなんだろう。


 ————————————————————


 鴨川にかかる橋を相方と、トボトボ歩く。

ポツポツ並ぶカップル。川の石をポンポンと飛び越える親子連れ。

 俺はどうしようもないイライラを抱えながら、本家より一回り小さい、蟹の看板がシンボルの店の前にいた。


「コーヒーでも飲みますか」

 なぜか敬語の相方に「飲みましょう」と自然に答えた俺がいた。


 寒い季節になってくるとアイスフラペチーノを頼むと時間がかかる。

 こんな時期に誰も頼まないと予想されていた材料を一から冷蔵庫から出す。つい最近、入ったであろう新人バイトさんは、まだ作った事がないと答え、先輩にやり方を教わる。

そんな一連の流れが何となく手に取るように分かってしまう、バイトばかりしている自分にムカついた。


 相方が先に出来上がったホットコーヒーを手に二階に上がっていく。


 いつもの様に飄々ひょうひょうとした態度

 いつもの様に尻ポケットから今にも落ちそうな財布

 いつもの様にフラペチーノが遅い事


『いつもの事だった。いや、今思えば相方との十三年間が特別だったのか。

なぜかイライラしてたんだ、あの時は。なぜか。

 戻りたいなんて思わないようにしている。でもあのイライラが無ければってたまに思う』



なんで、そんなポジティブでいられるんや!

 いや、もう終わったことやねんからしょうがないやん!

終わってしまったから言うてんのや!

 それは、分かる!でも俺たちはめっちゃ練習したやん。良くやったと思うで


 八月より五分ほど長めに待って出来上がったフラペチーノを握りしめ、二階に上がり、さらに五分ほど経って始まった喧嘩漫才は、予選でやれば合格したんじゃないかと思うぐらい盛り上がった。


 いつもの寄席よせより沢山の視線を感じた。

 養成所で習った発声方法のおかげで、俺たちの声は店内にこだまする。


 ほんならどうすんねん?!

もうええわ!辞めや辞め!

 辞めてなんやねん?

辞め言うたら辞めや!解散や!

 お前、本気で言うてるんか?!

当たり前やろ!お前なんかとやってられるか!解散や!辞めさせてもらうわ!!

 お前、ちょっと頭冷やしてこい。話にならんわ!

話にならへんのはお前や!おれは本気やからな!



 今、考えたら彼はYESとは言ってなかったかもしれない。


 人間は頭に血がのぼると自分も相手も、内も外も周りの状況も環境も優しさも、空気も後も先も生活も未来も、相手の心情もなにもかもを忘れる。

 さらに悪いことに、相手の言葉や気持ちを自分の都合の良い方にすり替えてしまう。



 全てを忘れた俺が一過性の記憶喪失から意識を戻した時には、寒さにも負けないカップルがポツポツいるだけの鴨川沿いの石畳をフラフラと歩いていた。


「辞めさせてもらうわ」って確かに俺は言った。



『いつも彼が言うセリフ「辞めさせてもらうわ」って確かに僕は言っていた。

でもわかってほしい。いや、今やから分かるのか。2人とも夢を叶えようとしていたんだ。』

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