二番目の憂鬱

淡 湊世花

二番目の憂鬱

 店の外の信号が、赤から青に変わった。たちまち、会社帰りのサラリーマンや、塾に向かう学生たちが、車道にどっとなだれ込む。横断歩道の白線は、すぐに見えなくなった。


 その時、グラスの氷が、カランと音を立てた。彼女は店の中に視線を戻し、店員が運んできた二番目のケーキに顔を綻ばせた。


「そっちのケーキの方が、嬉しそうな顔するね」


 彼女と向かい合って座る男が、面白そうに言った。

 カジュアルな服装の彼は、まだ学生。対する彼女の方は、パリッとしたスーツを着ている。二人は小学校からの幼馴染。いつのまにか、二人の服装に差がでていた。


「私ね、子供の頃からママに言われてたの。好きなものは、二番目に取っとけってね」


「あのおばさんが? 意外だなあ」


 彼はコップの水を一飲みした。氷がカランと音を立てる。彼女は、美味しそうにケーキを一口頬張り、満足そうに飲み込んでから言った。


「だってさ、好きなものから食べると、食べ終わっちゃった後の虚しさが長く残るけど、二番目に好きなものから食べると、まだ一番好きなものが残ってるぞって、気持ちが明るくなるでしょ?」


「そういうもんかな?」


「そういうもんだよ」


 彼女は自分の発言に感心したように頷いた。


「好きなアイドルが解散しても、まだ本命は残ってる! って思えば、活力湧くでしょ?」


「俺、そういうの興味ないから」


 彼は苦笑いを浮かべて、また水を飲んだ。

 彼もコーヒー付きのケーキセットを頼んだのだが、コーヒーは随分前に飲み干していた。

 ケーキは、彼女に譲るのが、いつのまにか二人の約束になっていた。

 彼は、頬杖をつきながら、彼女に言った。


「つまりさ、本当に食べたかったケーキは、その二番目のケーキだったわけだね?」


「そういうこと」


 彼女は、にっこり微笑んだ。


 その時、店内のBGMが切り替わった。夜仕様の、ムーディなトランペットが、スピーカーから歌うように流れ出す。

 すると、彼女が口調を変えて彼に尋ねた。


「同じ中学校だった、明美って覚えてる?」


「ああ、確か吹奏楽部の。2年まで、お前と仲よかったよな」


「そう、一番の親友だと思ってた。だけど明美は、裏で私の陰口を叩いてたの。ブスだの、でしゃばりだの、キモいだの」


「でしゃばりなのは、本当のことじゃん」


「うるさいなあ、黙って聞いてよ。あんたは違うクラスだったから、知らないかもしれないけど。私、それが原因で、一時期クラスの半分くらいの子に、ハブられてたんだ」


 すると、彼は何も言わないで、椅子の背もたれに、ゆっくり背中をつけた。言葉をかける代わりに、外の景色に目を向けて、制服姿の女の子たちを見ていた。

 彼女も、同じ女の子たちに目を向けた。


「あのくらいの歳に、仲良しの子にハブられるって、人生終わったって感じるもんでしょ。私もそうだった。だけどさ、あの時に、二番目に仲がいいと思ってた子が、声をかけてくれたんだ。一緒にお昼食べようって」


「2組の真由子だろ」


「そうそう、2組の真由子!」


 彼が当てた名前に、彼女も笑った。


「真由子はさ、2組の子に私のこと紹介してくれてさ。この子は走るの速いけど、球技は壊滅的に下手だとか、笑いのネタにして紹介したけどさ」


「3年で同じクラスになってたよな」


「うん、おかげで3年の時のクラスは、超楽しかった。九死に一生を得たって感じ」


 彼女は一人で笑ってから、ポツリと言った。


「だからさ、私は、何でも、一番目をあてにしない方がいいと思ったわけよ。一番いいものは、二番目なのよ」


「……今の彼氏も、だっけ?」


 彼が、背もたれに寄りかかりながら尋ねた。


「うん、私のこと、二番目に好きなんだって。私も、それぐらいの方が、気が楽だし、付き合いやすいの」


「そういうもんかね?」


「そういうもんだよ」


 彼女は、甘ったるい口を洗うように、水を含んだ。ケーキのクリームと一緒に、冷たい水が喉に落ちる。

 それが退席の合図。二人は席を立った。



 春の風が、少し強く吹いている。湿った匂いを含ませて、夜の繁華街は、一際、光って見えていた。

 その中を、スーツの彼女とジャンパーの彼が並んで歩くと、まるでちぐはぐだった。


「これからデートなのに、俺とお茶してよかったの?」


「だって時間持て余しちゃうし、あんたどうせ暇でしょ?」


「暇じゃないよ、研究とかインターンとか、色々あるし!」


 彼は口を尖らせて答えた。ムキになるところが、相変わらず子供っぽい。彼女が笑っていると、突然、彼が足を止めた。


「どうしたの?」


「さっきの、二組の真由子の話だけどさ」


 彼は、突然切り出した。


「お前にとっては、真由子は二番目に仲がいい友達だったかもしれないけど。真由子からしたら、お前は、一番気が合う友達だったんじゃねえの?」


「え?」


 彼女は、彼に向き直って、眉を釣り上げた。


「急にどうしたの?」


「だからさ、真由子にとって、お前は一番の友達だったんだよ」


 彼は、彼女との距離を詰めながら言った。彼女は、急に彼からグイッと見下ろされて、思わず身をよじった。


「さ、さあ、どうだろ。そんなことないんじゃないかな」


「俺は、お前が一番好きだよ!」


 彼は声を大きくして、彼女に告げた。

 彼女は、胸をギュッとつままれたように、彼を振り返った。

 彼の寝不足な目の下に、薄っすら隈ができている。でもそれ以上に、彼は顔を真っ赤にしていた。


「俺はずっとお前が一番好きだった! 二番目も三番目もいねえよ、お前だけが好きだったんだ!」


 そこで彼は、フーッと大きく息を吸い、飛び出しそうな心臓を押さえつけるように、背中を丸めた。

 彼女は、体が石になったみたいに凍りついている。

 すると、彼が彼女の手を握って言った。


「今の彼氏と別れて、二番目の俺と付き合わない?」


 その時、駅前の信号が、赤から青に変わった。たちまち、人の流れが動き出す。

“通りゃんせ”の音楽と、人の足音。架線の上の電車が走る音。

 二人の男女の姿と声は、その中にかき消えた。

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