やってしまった

梨花

第1話 断裂!

あっ、やってしまった!

その瞬間、そう思った。

「どうした?足捻った?」

とペアに聞かれた。

「いや、多分切れた。」

と答えて、這いながらコートを出る。

「大丈夫ですか?」

「立てる?」

色々言ってくれるが、

「多分、アキレス腱が切れたと思う。ごめんね。救急車呼ぶから」

自分でスマホから119番した。

プレーをしていた全員が、周囲に集まってくる。

長い付き合いの後輩I君に、

「悪いけど、車を家に持って帰ってくれない?」

「いいですよ。場所知らないですけど」

引っ越す前の住所は知っていたはずだが、今の住所は確かに知らない。

Mさんが知っているからとお願いする。

2月10日、3連休の中日。

小学校の体育館。

午後7時40分頃。

体育館の入り口が分からないということで、

救急車の誘導を頼む。

4,5人が出ていく。

実は、この体育館は、校舎の裏にあるのだが、入口が分かりにくい。

私も初めて来た時、入口が分からずに行ったり来たりした。

特に、夜になると駐車場は真っ暗で見えない。

財布などが入っているカバンだけを持って、

ラケットケース型のバッグは、持って帰って欲しいと頼む。

しばらくして、救急車のサイレンの音が近づいて来る。

このまま入院になったらどうしよう。

色々なことが頭を駆け巡る。

体育館の入り口まで、這っていく。

救急隊が到着。

「今日の当番はどこでしょうか?」

「井口ですね。」

近くだ、良かったと思ったが、

「あちらの受け入れもあるので、違うかも知れません。どなたか、病院まで来てもらえますか?」

I君が、

「僕が行きます。僕の携帯番号言います。連絡下さい。」

「迷惑かけてごめんね。皆さんもすみません。」

全員が、ストレッチャーに乗せられる私を見守っている。

全員男性だ。

そう、男性しかいないバドミントン部。

S社のバドミントン部。

かつて私が部長を務めていたバドミントン部。

弟子や後輩がいるバドミントン部。

日頃からケガしないようにと言っているし、自分も気をつけていたつもりだった。

救急車って2回目だな。

1回目は、追突事故に遭った時だった。

あの頃より、今は進んでいる。

担架もプラスチックのような2枚の板を身体の下に差し込んで接合させる。

それをストレッチャーに乗せるだけ。

簡単だけど、ツルツルしていて滑りやすそう。

「ケガの状況を教えて下さい。寒いですよね。」

救急隊が毛布をかけてくれた。

「切れてるかも知れませんね。」

「はい、そう思います。」

救急車に運ばれてから、色々装着される。

ベルトで固定。

それでもツルツルが気になる。

医療機関に連絡を取っているようだ。

「そうですか。連絡お待ちしてます。」

「うん?」

「実は、整形がいなくて。」

「井口じゃないんですね?」

「はい。どこかかかりつけとかあります?」

咄嗟に浮かばなかった。

診察だけなら、のぞみ整形外科がかかりつけだが、入院や手術は出来ない。

「県リハの連絡待ちです。受診されたことありますか?」

「県リハはないですね。医療センターで手術したことありますけど。」

「医療センター、今日は整形の先生がいないそうです。」

アキレス腱は、外科ではだめなようだ。

10分くらいして、

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

隊員の明るい声。

「県リハに決まりました。」

その頃、血圧計は、185を示していた。

「いつも高いですか?」

「いえ、こんなに高いことはありません。ドキドキしてますから。」

「そうですよね。」

救急車が揺れると、ツルツル担架から滑り落ちそうになる。

ベルトで固定しているから落ちないとは思うが、

担架の端を必死で握る。

今週末のゴルフ、その後のフグ懐石。

ああ、全部キャンセルだ。

仕事も出来ない。

会社に連絡しないと。

入院してしまったら、それも出来ない。

1人暮らしは、不便だ。

10分少々で県立リハビリテーションセンターに到着。

真っ暗だ。

守衛に挨拶して、ストレッチャーは3階へ。

エレベーターを降りると、そこはナースステーション。

「うん?」

その奥の部屋に通される。

看護師さんと救急隊が情報交換している。

「お友だちには連絡しましたんで。お大事に。」

救急隊は帰って行った。

若い男性医師が、

「何時頃でした?」

「7時40分くらいですかね。」

「1時間も経ってないな。」

超音波で見る。

「切れてますね。治療には、2つの方法があります。一つは、手術する。この場合、入院が必要です。もう一つは、保存療法といって固定して自然につくのを待つ方法です。こちらは、入院の必要はありませんが、手術よりは、時間がかかる可能性があります。今日は、固定して帰ってもらいます。」

「手術しなくてもいいんですか?」

「2日後に診せてもらって、出血とか少なく、はく離骨折がなければ、固定でいいと思います。早かったですからね。」

妙にホッとする。

色々しなくてはいけないことあるし、入院するにしても自分で準備が出来そうだからだ。

「うちは、夜間診療とか、整形の救急とか受け入れてないんですよ。たまたま、僕がいたし、どうもアキレス腱が切れているということだったので、診ましたが。」

なるほど、だからこんな部屋なんだ。

先生、ジーパンなんだ。

「まだ、出血すると思うので、足を30cm以上高くして安静にして下さい。」

「松葉杖を用意して。」

看護師さんが、松葉杖を持ってきた。

「これでいいですかね?外来分からないので」

「痛み止めはどうしましょう?」

「薬局いないか?」

「アキレス腱だから、そんなに痛くないですよね?」

その時は、ショックもあったのか痛みは感じなかったし、薬を出すのが難しそうな雰囲気だし、

「痛みはないです。バファリンくらいなら持ってますから。」

「今日は、会計もいませんので、火曜日に清算させてもらいます。」

看護師さんが優しく言ってくれた。

簡易だが、左足にギブスが巻かれた。

履けない靴を袋に入れてくれた。

「火曜日に来て下さいね。診察券が出せないので、このメモを受け付けに出して下さい。分かるようにしておきますから。」

その頃I君が、病院に来てくれていた。

産まれて初めての松葉杖。

荷物は、I君が持ってくれた。

エレベーターまでのわずかな距離でもゆらゆらだ。

1階に降りて出口までは、更に距離がある。

「車回します。」

とI君が走っていく。

「車椅子にしてあげれば良かったですね。」

あと少しのところで看護師さんが言った。

もっと、早く言ってよと思ったが、これから松葉杖だ。

慣れるしかないのだ。

「手術するんでしょ?」

車の中でI君が聞いた。

「しないで済むかも?火曜日に診て決めるらしい。手術すると入院しなきゃいけないし。」

「手術した方がいいんじゃないですか?」

「その方が、早く回復するらしいけど、どうやら病室が空いてないみたい。手術もいつになるか分からないしね。今日も、救急を受け入れる予定じゃなかったようだし。」

出来るだけ明るく振舞って、家まで送ってもらった。

「何でも言って下さいね。」

「ありがとう。皆にもよろしく言っておいて。」

松葉杖をついて家に入る。

座るのも立つのも難しいし、怖い。

あ~、やってしまった。

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