第二十八話 それでも私は


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 休みが明けて、いつも通りに学校へ辿り着き、いつも通りに階段を上り、いつも通りに二階の廊下を歩いていき、いつも通りに教室の前に立つ。


 そして、いつも通り……ではなく、教室に入る前に廊下からおそるおそる教室内を覗く。


「こんなところで突っ立ってなにしている?」


「きゃあっ!」


 後ろから声を掛けられて飛び跳ねる私。振り返ると、不審者を見るような目つきの諏訪くんが立っていた。


「す、諏訪くん……おはよう」


「おはよう……じゃなくて、教室の前でなにやっているんだよ」


「ちょっと考え事をしていただけ」


 そう言って誤魔化しながら教室に入ると、真っ先に岩瀬くんと目が合い、手を振られる。私もひらひらと弱々しく手を振って返す。


 それを見ていた諏訪くんが訝しげに訊いてくる。


「岩瀬となにかあったのか?」


「なっ、何もないけど? それにしても今日はいい天気だね~?」


「幸野って嘘つくの下手だよな」


「…………」


 私の完璧な嘘を見破った諏訪くんは追及することなく、そのまま自分の席へ行ってしまった。ちなみに今日の天気は大雨。



 岩瀬くんと映画を見に行った帰り道、私は告白された。


「もしよかったら、僕と付き合わない?」


 人生で初めてだった。誰かに告白されるなんて思いもしなかった。もっと非現実的なものだと思っていたし、もっと必然的でロマンチックなものだとも思っていた。


 だから、私はとても信じられなかった。


「えーっと……岩瀬くん」


 はい、と答えて、力強く私を見据える岩瀬くん。


「誰に命令されたのかな……?」


「え、命令……?」


「それとも罰ゲームなのかな? ゲームに負けたから私に告白するように命じられたとか?」


「いや、幸野さん。そうじゃなくて僕は……」


「という事は映画に誘ってくれたのも罰ゲームの為で……そうだよね、私みたいな女子と映画に行きたいなんてありえないよね……」


「こ、幸野さん? 一回落ち着いて」


「岩瀬くん、ごめんね。私、こういうのに鈍いから気付かなかったよ」


 きっと岩瀬くんは罰ゲームで仕方なく私と仲良くしてくれていて、こうして告白までさせられている。一体、誰がなんの目的でこんな事をさせているのだろう。


 なんてあらゆる可能性を考えていると、岩瀬くんに両肩を掴まれて「幸野さん!」と大きな声で呼び戻される。普段は大人しい岩瀬くんらしからぬ大声で、周りにいた人達がこちらを向くほどだった。すぐに「あ、ごめん」と私の肩から手を離した。


「あんな告白じゃ伝わるわけないよね。もう一度だけ言い直させてほしい」


 そう言って目を瞑り、深呼吸をした岩瀬くんは頭を下げる。


「幸野さん、好きです。僕と付き合ってください」


「え、え、え、岩瀬くん、頭あげてよ」


 なんで罰ゲームでここまでするんだろう、という疑問と、周りの視線が恥ずかしくて混乱したものの、頭をあげた岩瀬くんの強張った表情を見て、ようやく私はこれが告白なんだと理解した。


「その、こういうの初めてだから、どうしたらいいのか……」


 私がオドオドしながら答えると、岩瀬くんは「いきなりごめんね。返事は今すぐじゃなくていいから」と照れた様子で、けれど真剣な眼差しで「考えておいてほしい」と口にした。


 それから二人とも特に会話がないまま解散して、今日に至る。だから、どういう顔で岩瀬くんと会えばいいのか分からず、廊下から様子を窺っていた。


 はぁ……と大きなため息が出てくる。返事は決まっているはずだった。その場で「ごめんなさい」と言うべきだった。なのに言えず、ずっと「考えておいてほしい」と言われた時のシーンが脳内で再生され続けている。


 当然、今すぐに自分の気持ちを伝えるべきではあるものの、昨日見た夢のせいで自分がどうしたいのか分からなくなっていた。


 不思議な夢だった。夢の中で、私は無数の鳥居が並んだ参道にぽつんと立っていた。それはこの間行った神社に似ていて、ただの夢とは思えないほどリアルな夢だった。


 鳥居が並ぶ参道を歩いていくと、次第に砂利道になり、そして「厄」と赤く書かれた大きな丸い石が目の前に現れた。


 あの神社で見た身代わり石と同じで、私は巫女さんの話を思い出す。


 思い出した瞬間、私の手には玉が握られていた。玉には『命』と書かれていて、ぞわぞわと背筋が凍るような嫌な感じがした。


 巫女さんの話が本当なら、これを身代わり石に投げれば、私が身代わりになれる。誰の身代わりになれるか、なんて考える必要もない。私の命と引き換えに諏訪くんの病気が治る。それ以外ありえなかった。


 いくら夢見がちな私でもそんな話を信じるわけがなかった。でも、その時は疑うことなく、本当に叶うだろう、という確信があった。諏訪くんの病気が治るなら、それでいい。彼が隣にいない世界を生きるくらいなら死んだ方がマシだ。本当でも嘘でも投げるしかなかった。


 でも、玉を投げようとした瞬間、諏訪くんとの会話が、岩瀬くんの告白が蘇る。


『なんで僕達が付き合うんだよ』


『好きです。僕と付き合ってください』


 私は――本当に身代わりになるべきなのだろうか。


 脳裏に別の人生の可能性がチラつき、玉を投げようとした手が止まった。


 憶えているのはそこまで。本当に気味が悪い夢だった。夢から醒めた後も罪悪感に近い黒い感情がべったりとこびりついて離れない。


 私はどうしたいのだろう。諏訪くんが私の事を好きになってくれるわけないのに、なぜ彼に拘ってしまうのだろうか。いつか諏訪くんに彼女ができた時、私は受け入れられるのだろうか。惨めな思いをするだけなのに、今のままの関係でいる事に意味なんてあるのだろうか。


 もし私の人生に諏訪くんがいなかったら、迷うことなく岩瀬くんと付き合っていたに違いない。岩瀬くんの事は嫌いじゃないし、それどころか私なんかと釣り合わないほど良い人だと思っている。


 崖に落ちるしかない未来に拘って、手を伸ばすだけで掴める未来を捨てるなんてどうかしている。どちらの未来を取るべきか、なんて分かりきっている。


 クラスには好きだった男子とは真逆のタイプの男子と付き合い始めた女子もいる。初恋が結ばれるなんてありえない、となにかで見た事もある。あまりこういう言い方はよくないかもだけど妥協したり、次の恋を探すのが普通なのかもしれない。


 なのに――私は諏訪くんの事を諦めきれない。


 これっておかしい事なのかな、と疑問に思う。どうして皆は妥協したり、諦められるのだろう。私も諏訪くんに彼女ができたら、諦めることができるのかな。とても想像できない。


 正直に言えば、私は自分の恋を一途で綺麗な物だと信じていた。これがピュアな自分に酔っているだけの恋だったとしても、諏訪くんへの想いがニセモノなはずがない。私はいつまでもこの気持ちを忘れないでいたい。


 だけど、現実と接しているうちに擦り減ってしまう。現に私は玉を投げる事ができず、岩瀬くんの告白を断れていない。本当は私の恋なんて綺麗な物でもなんでもなく、ありふれたどこにでもある薄汚れた量産品なのかもしれない。無価値でどうしようもない物なのかもしれない。


 きっと手放せば楽になれるのだろう。


 数年後には笑い話にもできるのだろう。

 

 だけど、それでも私は大きなため息をついて悩み続ける。

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