繋ぎ直すこと

 綺麗な星が輝いていた。癒される気がして、空を見上げて深呼吸する。どうしてだろう、今はそんなに怖くない。ただ関くんに会いたいとそう思う。

 ふっと息を吐いて気合いを入れて、私は走り出した。関くんはどこにいるだろう。家かな。電話したら一番早いか。走りながら携帯を取り出した時、ちょうど電話が鳴った。驚いて携帯を落としそうになった私の目に飛び込んだのは、関くんの名前。しっかりと電話を握り、一つ深呼吸をして。私は電話に出た。


「……もしもし」

『七瀬さん、今どこにいる?』


 もしかして関くんも探してくれていたのだろうか。携帯をまたぎゅっと握った時。大通りの向こうに、走る関くんを見つけた。人の波を縫うように走る関くんに、私は微笑む。同じことしてるなんて。


「関くん、止まって」

『え?』

「右」


 関くんがゆっくりと立ち止まって、右を向く。きょろきょろと動いた目が、私のところで止まった。


「関くん、避けてごめん」

『……』


 しっかりと関くんの目を見て言う。もう、逃げないから。


『俺、このまま自然消滅なんて絶対嫌だから』

「うん」

『ちゃんと話そう。七瀬さんのそばにいたい』


 こうやって、すれ違っても、喧嘩しても。私はきっとまた、こうして関くんを追いかける。ずっと関くんが私を追いかけてくれたから。もう勝手に自分の中で諦めてこの気持ちをなかったことになんかしたくない。

 その場で立って待っていたら、関くんが走って私のところまで来てくれた。関くんは当たり前のように私に手を差し出す。私も当然その手を握る。

 初めての恋愛で、全部初めてで戸惑ってばかりの私に、関くんは同じペースで向き合ってくれる。こんなに優しい人はいないと思った。

 家に帰ってくると、しばらくここで寝ていなかったから懐かしい気がする。私たちはテーブルに向き合って座った。


「ごめん、逃げて」

「うん」

「怖かったの。不安だったの。私、付き合うの初めてだし。他の人ならきっと関くんに嫌な思いさせなかったんだろうなって思ったら。怖くて逃げ出したくなったの」


 誰にも渡したくない。その気持ちばかりが大きくなりすぎて傷つけあうことしかできなかった。関くんが私を大切にしてくれているのは、いつも感じていたのに。


「でもね、亜美ちゃんに言われた。悩むのも不安になるのも、関くんのことが本気で好きだからだって。一番簡単で大事なこと、忘れてた」

「七瀬さんが不安になってる理由、気付いてたのに何もしてあげられなくてごめん」

「関くん……」

「俺も、一緒。悩んで、不安になって、どうしたらいいかわからなくなる。七瀬さんのこと、好きだから」


 まるで今までの不安がポロポロと剥がれていくみたいに、私の目からは次々に涙が零れた。


「これでいいんだよきっと」


 関くんが向かい側から手を伸ばし、私の頬にそっと触れる。久しぶりの体温に、心が凪いでいくのが分かった。


「こうやって、不安になったりすれ違ったりしても、仲直りしたらいいんだよ。だから七瀬さん、逃げてもいい。でも、俺のところ戻ってきて」


 関くんが微笑む。私はその優しい笑顔を見て、やっぱりこの人が心の底から好きだと思った。恋は、切り捨てることじゃない。何があってもこうやって、何度も絆を作りなおしていくこと。少なくとも私達にとってはそうだ。


「七瀬さん、抱き締めていい?」


 少し照れ臭そうに微笑む関くんに、私は大きく頷いた。ゆっくりと近付いてくる関くんを見つめたまま、その体に包まれるまで。私は関くんと付き合い出した頃のようなドキドキをまた感じていた。



「ふーん」


 根岸くんは全く興味なさそうにストローをくるくる回し揺れる氷を見ていた。まぁ、こういう反応になるよね。そう思い苦笑していると、根岸くんがまっすぐに私を見た。


「で、俺はハッキリスッパリ振られるわけね」

「……ごめんなさい」


 そう、今日は根岸くんにちゃんとお断りしようとカフェに来てもらった。もちろん関くんも知っている。いや、関くんも清算しに行っている。元カノのところに。向こうにも未練を残さないために。


「あんたらってほんと生真面目だな」


 呆れたように言う根岸くんにそうかな、と返す。生真面目でもいい。何と言われてもいい。関くんと話し合って決めたことだから。


「で、仲直りして更に絆が深まったから私のことは諦めてくださいって?勝手だな」

「……私が言うのも変だけど、無理に諦めてほしいとは思ってないよもう」


 根岸くんには随分振り回された。正直、関くんがいるの分かってるなら邪魔しないでなんて酷いことを思ってしまったこともある。でもきっと根岸くんには根岸くんの「想い」がある。私は本当に自分とことしか考えていなかった。関くんと離れたくないってそればかり。でも違う。私が関くんを好きなのと同じように、根岸くんも私を想ってくれていたなら。私はちゃんと、その気持ちと向き合わないといけない。関くんとずっと一緒にいるためにも。


「ほんと生真面目」

「うん、ごめんね。こういうやり方しかわからない」

「全然分かんね。俺モテるからわざわざ一人一人と向き合ってたら疲れるし」

「あはは、だよね。私はモテないからそう思うんだろうね」


 根岸くんがまた私をまっすぐに見つめる。氷はもう揺れていない。


「……分かったよ」

「え?」

「もう邪魔しない。もうあんたにちょっかいかけない」

「……」

「彼氏にもそう言っといて」


 根岸くんはそう言い、コーヒーを飲んだ。私も冷めきってしまった紅茶を飲んだ。二人の間に沈黙が流れる。でもどこか穏やかな時間だった。

 根岸くんと別れて一人歩く。見上げれば真っ青な空に一つだけ雲が浮いていた。高校の頃、根岸くんはあんな風に、絶対に手の届かない存在だった。幸せになってくれるといいな。そう思いながら、先を急いだ。


「七瀬さん」


 待ち合わせ場所に行くと、既に関くんが待っていた。関くんに手を振りながら、走る。


「お待たせ」

「うん、俺も今来たとこ」


 見つめ合って微笑む。今日もまた、私は関くんに出会えて幸せだと思いながら歩いている。差し出された手に手を重ねる。大きな手に包み込まれるような繋ぎ方。私はこれが大好きだ。


「帰ろっか」

「うん!」


 二人並んで歩く。ずっと隣にいられますようにと願いながら。


「……七瀬?」


 でも人生最大のピンチがこの後訪れることになるとは、私はまだ予想だにしていなかったんだ。

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