本気だから

「センパーイ、昨日ちゃんと関くんと仲直りしましたー?」


 次の日。きっと心の中では心配してくれているのだろう亜美ちゃんがそう聞いてきた。ピクッと体が跳ねて、でも私はすぐに笑顔を作った。


「うん、仲直りっていうか喧嘩もしてないし。平気だよ」

「……。なーんだ。せっかく修羅場が見られると思ったのにー。ざんねーん」


 そう言いながらも、亜美ちゃんは心配そうに私を見てきたから。ほんと、素直じゃない。そう思いながらもこれ以上心配をかけないように笑った。


「辻さん、ちょっといいですか」


 そろそろ昼休みかという時、珍しく関くんがうちの部署に来た。もちろん仕事の用件で、仕事中に関くんと話すのは久しぶりとはいえ慣れているから普通にできた。その間ずっと亜美ちゃんの視線を感じてそれだけが気まずかったけれど。


「はい、後は片瀬部長にお願いします」

「はい、分かりました」

「……」

「……」


 用件が終わっても、関くんはなかなか動かなかった。どうしたのだろうと首を傾げていると。


「……あの……」

「はい?」

「……、」

「関ー、俺今から出るから用あるなら聞くぞー」


 何か言いたそうな関くんに、部長が声をかける。関くんはハッとしたように私に頭を下げ、部長のところへ向かった。


「関くん、何か言いたそうでしたねー」

「……うん。ていうか亜美ちゃん、見過ぎ」

「だって修羅場を見逃すわけにいかないですからー」

「修羅場なんてないってば」


 チラッと関くんを見ると、関くんは仕事モードの顔で部長と話し込んでいた。……かっこいいな。うん、やっぱり私関くんが好きだ。こんなにときめくの関くんだけだもん。そう再確認して、私は仕事に戻った。



「センパーイ、今日はどこ行きますー?」

「え、えーっと、今日は帰ろうかなって……」

「えー?!自分が彼氏いるからって一人身の後輩置いて帰るんですかー?ひどーい」


 ぐすぐすと泣き真似をする亜美ちゃんのせいで、何故か私が周りから好奇の視線を浴びる。口の端を引きつらせて、私は亜美ちゃんの肩に手を置いた。


「……亜美ちゃんの行きたいところでいいよ」

「やったー!!さっすがセンパーイ!行きましょ!」


 泣き真似をやめて、亜美ちゃんは私の手を掴んで歩き始める。最近、亜美ちゃんは寂しいという理由でほぼ毎日私を晩ご飯に誘った。前なら男の人とデートとか合コンとかいっぱい用事があったみたいなのに、最近は全然ないみたいで。家路を急ぐ人の間をすり抜け、亜美ちゃんは私の手を掴んだままズンズン歩いた。



「亜美ちゃん最近デートしてないの?」


 ワインで乾杯して、前に関くんと来た創作料理屋さんで食事をする。そういえばここも亜美ちゃんに紹介してもらったところだなぁと思いながら亜美ちゃんを見ると、亜美ちゃんは深いため息を吐いた。


「もう全っ然いい男がいなくてー。合コン行ってもときめかないし。あー、センパイに彼氏いて私にいないのほんと理不尽ー」

「理不尽って……。どうして?タイプの人に出会えないとか?」

「タイプの人はたまに会うんですけどー。何かときめかなくて」

「ふーん。あっ、もしかして本気で好きな人ができたとか?」


 まさかねーと思いながら何気なく言った言葉。ステーキを口に入れ「美味しー」と微笑みながら亜美ちゃんを見ると。


「えっ?」


 亜美ちゃんは顔を真っ赤にさせていた。ええええ?!ほんとに?!


「だ、誰?!」

「っ、センパイの知らない人です!」


 そうなんだ、亜美ちゃんに好きな人が……。ふーん。


「っ、何笑ってるんですか?!」

「笑ってないよ!」

「どうせ弱み握ったとか思ってるんでしょ!」


 亜美ちゃんじゃないんだから……。ふふっと笑うと、亜美ちゃんは尚も私を睨みつけてきた。でも顔が真っ赤だから全然怖くない。


「好きだって気付いたのは最近なんです」


 真っ赤な顔で亜美ちゃんが言う。さっきからフォークでお肉をぶすぶす刺しているのが気になるけれど、今は照れ臭さがあって他のことは考えられないのだろうと気にしないことにした。


「でも無理なんですけどね」

「えっ、どうして?」

「心に決めた人がいるみたいで」


 切なげに歪み、今すぐにでも泣き出しそうな顔の亜美ちゃんに何も言えなかった。こんな時に自分が嫌になる。もしみやちゃんなら気の利くことを言ったのだろうなって。


「亜美ちゃんの気持ち、届くといいね」


 いつだって私は自分に自信がなくて、人と接するのも少し怖い。亜美ちゃんは少し微笑んで「はい」と言った。

 お店を出て携帯を確認すると、関くんから帰るのが遅くなるとメールが来ていた。仕事で何かあったのかな。心配だけれど邪魔はしちゃいけないと思って「分かった」と返した。


「センパーイ、寂しいからもう一軒行きましょー」

「ええっ、でも明日も仕事だよ?」

「ああー、そうだったー。ほんとクソみたいな人生だー」


 ……口悪いな。苦笑いしながらワインで酔っ払っているらしい亜美ちゃんを支えながら歩く。一人で帰らせるのは無理そうだな。それにしても亜美ちゃんお酒強いのに、こんなに酔っ払うなんて珍しい。亜美ちゃんの呂律の回っていない言葉を聞きながら、私はタクシーを呼んだ。その時。


「七瀬さん?」


 後ろから名前を呼ばれた。 振り向くとそこにいたのは関くんで、少し後ろに女の子がいて私を見ている。関くんと一緒にいた人だろうか。……まさか、元カノ……?心臓が嫌な音を立てる。


「どうしたの?え、門倉?」


 関くんは私に近付いてきて、酔っ払っている亜美ちゃんを見て驚いていた。そして私が支えている反対側の肩を支えてくれる。


「俺も一緒に送っていくよ」

「えっ、でも……」


 チラッと振り向けば、彼女は切なげに目を揺らし関くんを見つめていた。関くんは少しだけ振り向き彼女を見る。けれどすぐに目を逸らした。


「話終わったから」

「え……」

「航ちゃん!」


 お願い、行かないで。彼女の泣きそうな声が胸を貫く。彼女は関くんの元カノで、きっと関くんが彼女にもう会わないと言って、彼女が泣いているのだと。分かって胸が締め付けられた。行かないで。私の心も叫ぶ。俯く関くんの顔は見えない。


「七瀬さん」

「っ、はい」

「行こう」


 関くんは私に優しく微笑みかけるとタクシーに亜美ちゃんを乗せた。そして私の背中にそっと手を置き乗るよう促す。私は自分を選んでくれたことに安堵している自分に嫌悪感を覚えながら、それでも関くんが隣にいてくれることが嬉しくて仕方なかった。


「どうしてこんなに酔っ払ってるの?」

「あ……、うん、ちょっと飲み過ぎちゃったみたい」

「珍しいね」


 遅くなるってメールが来ていたから、きっと彼女と一緒にいたのだろう。彼女にもう会わないと言ったのかな。全て私の想像の中のことだから、気になる。でもこれで良かったのかな。恋愛って、こうやって切り捨てていくことなのかな。分からない。それ以来会話もなくて、私はぼんやりと窓の外を眺めていた。

 亜美ちゃんを家に送り届けると、亜美ちゃんは何故か私の服を掴んで離してくれなかった。センパーイ、もっと飲みましょうよー、もっと話しましょー、関くんの愚痴も聞きますよーとろれつの回らない話し方で言われた。関くんの愚痴は一言も言っていないと関くんに弁解するのが大変だった。


「……私、泊まろうかな」

「えっ」


 ポツリと呟いた言葉に関くんは大袈裟に反応した。え?と首を傾げると、関くんは慌てたように首を振る。……正直、関くんと二人になるのが怖い。何を話したらいいのかわからない。気まずい。亜美ちゃんが酔っ払っていることを口実に使うのは申し訳ないけれど、今の私に関くんと二人きりになる勇気はなかった。


「ごめん、やっぱり亜美ちゃん心配だし泊まる」

「センパーイ、冷蔵庫にお酒入ってますよー」


 首に纏わりついてくる亜美ちゃんを宥めながら、私は関くんを見た。関くんは何か言いたそうに一瞬口を開いたけれど、何も言わずに帰って行った。


「亜美ちゃん、ごめん、泊まらせてね……」


 そう言っても何も反応がないから顔を覗き込んでみると、亜美ちゃんは私の肩に頭を乗せて眠っていた。えええ、人騒がせな……。でも気が抜けて笑ってしまう。目を開けていたら関くんとさっきの女の子が一緒にいる光景が浮かんでくるから、必死で寝ることにした。

 次の日、亜美ちゃんは昨日のことを全く覚えていなかった。それどころか「センパイ何でいるんですか?!」と言われた。しばらく禁酒させたい気分だった。

 仕事中に関くんと会うことはほとんどない。姿を見ることはあっても遠くからで、当然すれ違っても挨拶のみ。そんな状況で、家に帰らなければ話す機会なんてない。


「センパイ、今日もご飯行きましょ」

「……お酒なしならいいけど」

「お酒ないとかほんとセンパイシケてますね」


 失礼だな!そう思っても口には出さなかった。亜美ちゃんと喧嘩しても勝てる気がしない。結局その日も酔いつぶれた亜美ちゃんの家に泊まって家には帰らなかった。

 そんな日々が続いて、関くんと話さない日が続いて。関くんと二人になるのが怖い気持ちはまだあったから助かった。でも、一つ思った。きっと、こうやってすれ違っていくんだろうなって。


「センパイ、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないですか?」


 今日は珍しく私が亜美ちゃんに慰めてもらう番だった。テーブルに突っ伏してぼんやりする私を亜美ちゃんが面倒臭そうに見る。私この数週間毎日亜美ちゃんに付き合ってたよね……?!


「気になるなら聞けばいいじゃないですか。元カノとどうして会ってたのーって」

「……会ってた理由は聞いたよ。別に関くんを疑ってるわけじゃないし」

「じゃあ何でそんなに落ち込んでるんですかー?」

「……もし私が恋愛経験豊富だったらさ、関くんともっと上手く付き合えたのかなって」

「センパイみたいな地味女が経験豊富になんかなれるわけないじゃないですか」


 いちいち一言多いな。でも慣れたからいちいちイラついたりしないけど。でもほんと一言多いな!!!


「それ、本当にそう思うんですかー?」

「え?」

「私モテるし恋愛経験も豊富ですけど、今悩んでますよ」

「あ……」

「いいですか、センパイ。悩むのは、相手のことが本気で好きだからです!」


 いつも淡々と恋愛について話していた亜美ちゃんが、真っ赤になったり、泥酔したり。亜美ちゃんでさえそうなんだ。私が悩むのは当たり前。だって、私は恋愛初心者であると同時に関くんのことが心の底から好きなのだから。


「亜美ちゃん、ごめん、私帰る」

「いいですよー。今日は一人で寝たい気分なんでー」


 ほんと、その言い方どうにかならないのかな。苦笑しながらもありがとうと言ってお店を出た。ちゃんと話さなきゃ。関くんと、ちゃんと向き合わなきゃ。

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