雨の夜

 月曜日。仕事中に意識しすぎるのでは、と色々心配したけれど意外と平気だった。関くんはもちろん普通だったし、私もちゃんと仕事に集中できたと思う。会話も普通だった。ただ、亜美ちゃんに


「辻センパーイ、なんかツヤツヤしてますねぇ」


 と言われた時は飲んでいたお茶を噴きそうになったけれど。


「えっ、そ、そんなこと、なんで?!」

「まさか彼氏でもできましたぁ?」


 ……彼氏。彼氏、なのか?


「えー、辻さん彼氏できたんですか?私たちも頑張らないと、ね、航佑」


 そして横谷さん、関くんに振らないで。かーっと顔が熱くなっていく。関くんはふっと笑い、私に向かって「おめでとうございます」と言った。私の顔は茹で蛸みたいに更に真っ赤になった。



「辻さんもたまには一緒にお昼食べませんか?」


 お昼休憩、横谷さんがそう言った。ちょうど今日はお弁当を作れなかったので、私は頷いた。


「辻センパイ、今日珍しくお弁当じゃないんですねぇ。あ、関くんも?」


 ……亜美ちゃんは何気に目敏い。え、と詰まる私とは反対に、関くんはうん、と普通に答えていた。こういう時は普通に受け答えしたほうがあまり突っ込まれないのね、なるほど。

 お昼を四人で食べていて、気付いたことがある。それは、横谷さんが確実に関くんを好きだということ。いつも隣をキープしているし、何より関くんと話す時とても嬉しそうな顔をする。分かりやすいし可愛らしいなと思う。関くんは普段通り。横谷さんの話に相槌を打ってたまに笑う。はたから見たら完全に付き合う前、いい感じの二人。

 私は亜美ちゃんと話していたから、四人でご飯を食べている感じがしなかった。ちなみに亜美ちゃんは既に関くんに興味を失っているようで、合コンで知り合ったイケメンと今夜デートなのだと言っていた。


「あ、そういえば今日同期で飲み会やるんですよ」

「へー、そうなんだ」


 何も聞いてないけど、関くんももちろん行くよね。じゃあ、晩ご飯はいらないかな。……今日は一人か。


「明日も仕事だからあまり羽目外し過ぎないようにね」

「はーい」


 横谷さんの隣にいる関くんは、何だか遠い人に見えた。



 関くんのいない家は何だかとても静かに思えた。関くんは無口だし、私もあまり話さないのに。関くんがいないだけでとても寂しい場所に思えてしまう。帰るまで寝ないで待ってようかな。……でも重いかな。

 いつもなら寝る時間。一度はベッドに入ったけれど寝付けなくて窓の外を見た。


「あ、雨」


 暗い空から雨がパラパラと降っていた。雨は見ている内にどんどん強くなってきて。……関くん、困るんじゃないかな。

 その時、携帯が光った。関くんからのメール。『今から帰る』と。私は着替えて傘を持ち、家を飛び出した。

 突然降り出した雨の中、傘を持っていない人たちが足早に家路を急いでいる。関くんの傘は家にあったからきっと困っているだろう。最寄駅に着くと、関くんの姿を探す。けれど関くんはいなかった。きっとまだ駅に着いていないのだろう。


『傘家にあったから駅で待ってるね』


 そうメールを送って、待っていた。傘がないと大変だろうと思った。でも本当は、私が関くんに少しでも早く会いたかった。飲み会なんて当然あるだろうし、それ以外の用事で離れなくちゃならない時だってこれから先沢山ある。でも、少しでも離れているのが寂しいなんて。関くんは重いと思うかな。

 それからどれくらい経っただろう。どんどん人気も少なくなってきて、駅の時計は深夜を指す。今から帰るって言ってたのに、急に二次会とか行くことになったのかな。あと5分したら帰ろう、そう思うのになかなか動けなくて。ああ、私何やってんだろう。そう思い始めた時だった。


「七瀬さん!」


 待ち望んだ声が聞こえた。でも、それは何故かホームの方からでなく家の方から聞こえて。振り向くと同時、私は少し濡れた腕に包まれていた。


「せ、きくん……?」

「ごめん、タクシーで家まで帰って。メール今見た。ほんとごめん」

「えっ、あ、そうなんだ。ごめん、私こそ勝手なことして。濡れちゃったね」


 関くんの腕を少し離して見上げると、濡れた髪から滴がポタッと落ちる。余計なことしちゃった。関くんやっぱり、重いと思うかな?


「ごめん、本当に。帰ろ?」

「何で七瀬さんが謝るの」


 関くんは申し訳なさそうに私の手を握った。私が勝手なことして、関くんが濡れちゃって、駅まで走ってきてくれて。早く関くんに会いたいからって私のわがままを、関くんは重いと思わない?

 一番怖いのはそれだった。でも私は関くんに上手に甘えることも、素直に自分の気持ちを伝えることもできない。もちろん恋愛経験がないこともあるけれど、一番は私が臆病だから。こんな私、関くんにすぐに嫌われちゃう。いつだって不安でいっぱいで、自信なんてなくて、怖い。

 私の手を握る関くんの手は温かくて。どうしても関くんの目を見れない私に、関くんは小さく息を吐いた。


「こんなに、冷たくなっちゃったね」


 関くんが私の手を握ったまま目線の高さまで手を上げる。それを見ていたら、必然的にその向こうの関くんと目が合った。


「同期と飲んでんのに、早く帰りたいって俺、最低だよね」


 自嘲しながらも、関くんは少し嬉しそうに微笑んだ。涼しげな目は透き通るように綺麗で、さっきとは一転して目が離せない。関くんはすぐに色気を纏ったり脱いだりするから困る。少し癖のある髪からポタポタと落ちる雫が手に触れる度、私の体温は上がっていくような気がした。


「でも早く、七瀬さんに会いたくて仕方なかった」

「関くん……」

「七瀬さんを待たせたの悪いと思う、でも、手冷たくなるまで待っててくれたのも嬉しい」

「っ、」

「帰ろう。早く七瀬さんにキスしたい」


 ふっと笑った関くんが、私の頭を撫でてそのまま抱き寄せる。関くんのスーツは湿っていて冷たいのに、温かい。不安になった私を丸ごと包み込んでくれるような、関くんの体温。私は関くんの胸に顔を埋めて背中に手を回した。

 手を繋いで家に帰った。関くんは少し急いでいるようで、でも私がキツくないか何度も振り返った。大丈夫だよ、と笑うと関くんはちゃんといるか不安になる、と言った。手も繋いでるのに。ごめんね、そう呟くと関くんは何も言わずに繋いだ手に力をこめた。

 家に着いてドアを閉めた瞬間、関くんにキスをされた。玄関のドアに押し付けられて関くんが私の顔の横に手を突く。それでもキスは優しくて、関くんらしいと思う。自分の体温が上がっていく毎に、関くんの体温が低いことに気付く。早くお風呂に、そう言っても関くんはなかなか離してくれなかった。


「一緒に入る」

「え」

「ごめん、嘘。今日は自分を抑える自信がないからやめとく」


 ふっと笑って、関くんは最後に一つキスを落とす。そして、


「七瀬さん、好き」


 私が真っ赤になるのを見て、嬉しそうに笑った。

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