盲目のフクロウ・ゼウス Zeus The Blind Owl

永久凍土

ゼウス・ザ・ブラインド・オウル

 その日、残業中だった僕は、同じく居残っていた先輩の斎藤さんに声を掛けた。


「ニシアメリカオオコノハズクって知ってますか?」


 さっき振り返った時に日報を入力しているのが見えたから、恐らく今日はもう終わりだろう。彼女の席は僕のちょうど真後ろ、通路を挟んで背中合わせである。

 隣の席の山下さんは半時間ほど前に帰ったのでオフィスには僕と斎藤さんの二人きりだ。


「もしかして、フクロウ……かな?」

「よく分かりましたねえ。当たりです」


 斎藤さんはオフィスチェアを滑らせて振り返ると、僕のMacのディスプレイを覗き込んだ。彼女と僕は列は違うが同じチームで同じクライアントを担当している。

 三年先輩の彼女は去年まで僕のお目付役だったから、付き合いは割とフランクだ。就業時間が終わって偉い人が退社した後、お互いの邪魔にならない程度に時々雑談をしている。

 実のところ、僕の密かな楽しみでもある訳だが……


「昨日、見つけたんですけど……これ」

「へえ、綺麗ねえ、この子。ニシアメリカなんとかってこういう種類なの?」


 僕はインスタグラムのアカウント「zeustheblindowl」をブラウザで開いていた。「ゼウス・ザ・ブラインド・オウル」、つまり「盲目のフクロウ・ゼウス」だ。

 ある日、南カリフォルニアの民家前に怪我をして弱っていたところを発見され、現在はシルマーにあるワイルドライフ・ラーニング・センターで保護されている。言わば動物園の人気者だ。

 体長は三十センチに満たず二・五頭身のヌイグルミのようなフクロウだが、ゼウスを最も特徴付けているのは虹彩がなく全体が黒く変色した眼だ。キラキラと光る無数の星のような白点を湛えたそれは、まるで満天の星空を丸ごと閉じ込めたかのよう。

 斎藤さんがフクロウの種類を尋ねたのはゼウスの個性溢れる両眼の所為だ。


「黒いけど白内障。血液の色素が固まった所為で視力は殆どないそうです」

「ふーん、可哀想ねえ、こんなに可愛いのに」

「もう野生に戻せないから動物園で飼ってるようですね。でもインスタグラムのフォロワーが三十九万人って凄いですよ。僕だって三百も無いのに」


 僕はさり気なくインスタグラムアピールをするも斎藤さんは聞き流す。だが、彼女はゼウスの愛らしさにすっかり気に入ってしまったようで、右後ろから僕のパーソナルスペースにその横顔を差し込んだ。ほのかに香る斎藤さんの匂い。慌てて僕は左へ身体を引く。

 時々さらっと距離感を無視するのは斎藤さんの悪い癖だ。聞けば弟さんが居るようで、僕を異性と見ているかどうかすら怪しい。


「で、付けた名前がギリシャ神話のゼウス。小さいのに随分と尊大な名前」

「この眼を神秘的って感じるのはアメリカ人も一緒みたいね」


 僕は一枚の動画を開いて三角マークをクリックした。その動画でゼウスはフクロウ独特の左右の動きをしながら、見えない眼でカメラの方をじっと見つめている。

 その深淵の宇宙のような宝石は、世界の全てを見通す全知全能の神の名に恥じないもの。斎藤さんが僕をどう思っているのかも見通してくれないかな。


「やーん、可愛いっ」


 斎藤さんは思わずマウスに右手を伸ばし、僕の右手の甲の上に被せた。

 ちょっと待って……と、声が喉を通る前に飲み込んだ。僕だって意識なんかしてない振り。息を乱さぬようにゆっくりと斎藤さんの掌の下から右手を抜く。ああ、柔らかい。心臓のバクバクを気取られませんように……


「はあ、この子ほんと可愛いし素敵よねえ、この瞳」


 係員の手に乗るゼウスは本当に小さい。僕はちょっと夢中になり過ぎじゃないかと嫉妬する。だが、小さな彼の話題を彼女に振ったのはある企てのためである。

 僕は斎藤さんの横顔を見ながら声をかけた。


「ところで斎藤さん、フクロウカフェ……って行ったことあります?」


 斎藤さんは少しだけ考え込んで、ふふっと笑って口を開いた。



◆◇◆



「で、どうだった?」


 翌朝、声を潜めて尋ねてきたのは隣に座る同期の山下さんだ。


「え……」

「誘ったんでしょう? フガフガさん」


 僕は後ろを振り返って、斎藤さんが席を外していることを確認する。実はフクロウカフェは山下さんの入れ知恵だったのである。


「えーと、まあ、振られた」

「はーっ! なーんだつまんないなあ。良い案だと思ったんだけど」

「なんか、動物虐待みたいで趣味じゃないって」

「何気に私の切り札だったんだけどなあ、ゼウスにフクロウカフェの流れ」


 山下さんは露骨にがっかりした様子である。


「その代わり……」

「その代わり?」

「誘われた。プラネタリウム」


 しばらくの沈黙。横目で山下さんの口角が吊り上っていくのが分かる。


「じゃあ、今日一日の私の案件、全部肩代わりしてもらおうかな」

「え……って、丸ごと? いやそんな約束……」

「フクロウってさ、『苦労が無い』って意味で『不苦労』から転じたらしいね。フクロウは没になったんだから『苦労』は有って当然よね」


 山下さんは満足そうな口振りで言い、僕はもちろん拒否できない。




 *この物語はフィクションですが、「盲目のフクロウ・ゼウス」は実在のフクロウです。

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