民俗学者と唯一神徒

森目イクラ

海辺の神殿フィールドワーク

 その黒髪の民俗学者の隣には、

「ナッラー・カルボル!」

 と叫んで、自分が死にかけていることを喜ぶ色素の薄い女がいる。

 古びた神殿にフィールドワークに来て、最奥の部屋に足を踏み入れただけで、部屋の扉が封鎖されて水没し出すとは予想できなかった。

「信徒君、このままでは死んでしまうではないか、喜んでる場合ではないよ」

「愚かなり民俗学者。ここはカルボル様の神殿、疾く連れ給えと祈るべきです」

 色素の薄い女が、黒髪の女に応えて、自らガボガボと水を呑み込みながら、死の気配に上気した顔で反論した。そして、ジャブ、と音をさせて水に潜り、入水殉死をしにいく。さらに、神徒の女は水中へ民俗学者をひきずりこもうとするものだから、

「民俗学パンチ」

 と、学者風のパンチが放たれたが、水の抵抗にかなうはずも無く。民俗学者は腰にしがみついてくる女をひきはがすことはできなかった。せめて、口と鼻が水につからないように、目の前に突き出ていた石をつかんで足をばたつかせる。

 ここはとある無人島、低い山とだだっ広い砂浜の広がる中に打ち捨てられた海辺の神殿。助けが来ることもないだろう。


 民俗学者がこの神殿に目を付けたのは、今度の学会で発表するための資料が欲しかったからだった。やはり何事も実例を示すのが早い、というのが民俗学者のモットーだった。

 民俗学者の学説はあまり有名でもなく、真面目な教育番組からオカルト雑誌まで全く相手もされない華も無いものだったので、フィールドワークはほとんど自腹で行っていた。

 とある神殿を訪れた際に、殉死しようとしていた色素の薄い女を助けるまでは。

 その神殿には彼女の信じる神はいないようだと、教えてやったら、それはもう感謝して、「自分の信じる神の神殿を見つけること」を条件に、パトロンとなったのだった。その神徒が常に自分のフィールドワークについてくるとは思わなかったが。

 とにかく、民俗学者は眉をひそませ、水底にも聞こえるように大声で叫んだ。

「殉死するにはまだ早い、ここの神は、君の言うカルボル様ではないぞ!」

 声が水面と天井の狭い隙間にほんの少し反響し、肺には揺れて流れ込んだ水が落ちてくる。ゲホゲホと民俗学者がむせると、色素の薄い大きな目がガバリと浮かびあがってきた。

「カルボル様でない証拠はどこだ!」

 神徒は立ち泳ぎしているにも関わらず、堂々と胸をはって民俗学者を睨んだ。

「逆になぜ、君はここをカルボル様の神殿と思ったんだ?」

「あなたのつかんでいる石、私も先ほど見ましたが、それはフクロウですね?」

 民俗学者が手の隙間から石を見ると、確かにふくろうの形をしていた。

 神徒は恍惚とした顔で語る。

「偉大なるカルボル様が顕現された時、地上には貧しい漁師がいたのです。その漁師はカルボル様を襲って食べようとしました。優しいカルボル様は漁師を憐れみ、ウミフクロウをたくさん海に誕生させました。そして漁師はウミフクロウしか食べられなくなり、感謝の涙を流しながら神殿を建てたというのです……その石はフクロウの形ではありませんか、そしてここは海辺、貧相な神殿、いかにも!」

「なるほど、民俗学的に違うという指摘ができたんだが、話が早い。ウミフクロウというのはウミウシの仲間みたいなやつであって、ふくろうではないぞ」

 民俗学者が淡々と告げると、神徒はギョッとした。

「なんと! ここは邪教の聖地! では破壊します! ナッラー・カルボル!」

 色素の薄い腕が水中から飛び出したかと思うと、ゴン、と鈍い音がして、眼前に迫る天井にいびつな穴がくり抜かれた。

「うーん、まあ……でもね、その方法は、私たち、天井の破片と一緒に沈んでしまうのではないかな」

「信仰心があれば石ころなどよけれます、問題ありません」

 民俗学者は困り、ひとまず空いた穴の大きさを見てそこから抜け出ようか、と考えて、ふくろうの石像を握りなおした。そして――どうして海辺の神殿にふくろうなんだ? と気づいた。よく見かける動物こそが信仰の対象とされやすいはずだ。どうして森の生き物であるふくろうが――。

 民俗学者は、天井に掌を当ててさすった。慌てて少し口を水面に沈め、水を飲んだ。

 海水ではなかった。

「ふくろうは――その目が信仰の対象となることがある。人間の目には見えないものを見る。見つけてくる生き物。森の中で見えないものを見つけて運ぶ、ならば、」

 民俗学者はふくろうの両目を押した。わずかに動く気配があったばかりで、大きく動かない。立ち泳ぎすると鼻の下まで水が迫っている。それを見た神徒は微笑んだ。

「なるほど邪神の目つぶしですね、わかります」

 信徒は両手の人差し指で、コッコッという軽い音をさせながらふくろうの目をついた。

 水の勢いが増し、二人は水の中に呑まれる。天井は振動してはね橋のように開く。


「……なるほど。外見ではわからないが、入り口から奥の部屋まで、少しずつ傾斜して、奥の部屋は地下にある状態で……あそこは地下室、いや、井戸になってたわけか」

 水の中に呑まれたと思ったら、水流で上昇し、二人は神殿の二階部分へと流れ着いた。

 民俗学者がずぶ濡れの服を絞りながら階段を降りようとした時、神徒は神殿を壊そうとして、壁をぶち破ったが、空いた穴から見えたのは、床と同じ高さの地面と外の景色だったのだ。神徒がぶち抜いた穴も、どことなく綺麗なアーチを描いている。ドアとしてもともと開く場所であったのだろう。

「儀式に使った、と考えていたんだがな。水がめは、どうやら文字通り、井戸で水をくむためのものか。学会で出せんなあー。残念」

「もういいですか? 学者様の考えごとは。もう壊していいですか?」

「あのなあ……信徒君、貴重な資料なんだから本当にやめてくれ、壊すのは」

 神徒は不満そうな顔をしながらではあったが、さすがに疲れたのか反論しない。

 二人で服を乾かしながら、迎えの船が来るのを待つ。

「結局、ウミフクロウはふくろうじゃないってことで、カルボル様と関係なかったし……紛らわしいもの付けないで欲しいですよね!」

「なかなかなの難癖の付け方だと思うが。ふくろうであることには意味があるんだよ」

 民俗学者は島の端にある、こじんまりした山を眺めた。

「信仰というのはね。神様がいて人間が信じて成立するんじゃなく、人間が生きて生活して、集団になって同じ神様を信じるから成立するんだよ。神様が本当にひとりいたとしても、集団の人間がいて、話をしたり形に残したりしないと忘れ去られてしまう……って怒るなよ、いいじゃないか、君はそりゃ他に信徒がいないけど、君が百人分ぐらいちゃんと語ってるんだから。……つまりこの島に、これぐらいのそれなりの神殿ができるというのは、人々が生活していたことの証でもあるんだね、当たり前だけど」

 途中、集団が信じないと神はいないのか、と信徒は怒りそうになったが、自分が百人分の働きをしているというように続けられたので、機嫌を良くして、同じく、民俗学者の見ている山を見る。

「人が生活するには何が必要か。火、食べ物、住処、空気、そして水。この島には、砂だけじゃなくて、あんな風に土と樹がちゃんとそろってる山がある。低くてちっぽけな山だけど、あの山はきっと水を作ってくれただろう」

「えー? 昔の人が、そんなこと、わかるもんですか?」

 神徒が考え無しにそう言うと、民俗学者は熱く語る。

「科学的な理屈はわからなかったかもしれない、ちゃんと仕組みを理解している者は一握りだけだったかもしれない、でも彼らはきっと、この島で生きている者なら誰だって、感謝はしていたし、そして自然を敬っていた、そして畏れて丁寧に扱おうとしていた。だから井戸をこんな風に神殿の一部にして、そして、森の奥底から流れてくる水が枯れませんようにと祈りをこめて、隠されたものを発見することができるふくろうを祀ったんだろう」

 ふくろうにはもっと他の意味があるかもしれないけど、そのあたりはちゃんと研究してみないと、と民俗学者はぶつぶつ呟く。

「ふーん……じゃあなぜ、あんな仕掛けを? 要は、ふくろうの目を押さないと水が出ないようにしたってことですよね、さっき私たちが陥っていた状況からすると」

 神徒は山を見るのに飽きて、砂浜にふくろうの絵を指で描いていた。民俗学者はぶつぶつ呟くのをやめて、少し考える。

「……この島から人が消えたのは、気候の変化で漁場の魚が姿を消したからだといわれる。実際は、昔から気候の変化は激しかったようだから、魚が取れにくくなったタイミングと、高齢化とか、漁師になりたがるものが減ったとか、そういう複合的な理由が重なったのがあるのだろうとは思うが。たぶん、ちゃんと子孫に残していくために、井戸水を貯めておく期間があり、蓋が必要で……そして蓋を開けるのも、きっと名誉な儀式だったのだろう」

 そうでなければ、わざわざあの部屋に閉じ込められ、内側から開けるような造りになっていないだろう、と民俗学者は思った。水が蓋の内側ギリギリまで溜まっていることを確認してから、あの蓋を開けるのだ。

「……開けちゃいましたけど、蓋、し直してきましょうか?」

 もじもじと、砂浜に絵を描く手をとめて、神徒は言った。

「先ほどまでは破壊したがってたくせに」

 民俗学者が黒髪を揺らしながら少し笑うと、神徒の顔は赤くなった。

「単に、邪教の施設ではないと思ったので……」

「そうかそうかー」

 優しい奴なんだなあ、と民俗学者は笑う。

「壊しちゃったの、悪いですし……でも材料が無いですね。あっ私たちは泳いで帰れますよね、だから船が来たら壊して蓋しましょう」

 色素の薄い顔が名案に輝き、生き生きとし出した。民俗学者は固まる。

「ちょうど、船来ましたよ! 船長さーん、降りてー! カルボル様の慈悲をカルボル様に代わって私が――」

 船に向かって駆け出した神徒を砂浜に引きずり倒そうと、今度は民俗学者が腰にしがみついた。

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民俗学者と唯一神徒 森目イクラ @hentaima

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