第4話:Bパート

 火星最大の鉱山都市オリンポス。その住民からサッカーボールと呼ばれるオリンポス行政ビルの地下に火星革命戦線の司令部はある。そこでは今、ヘリウム《首都》攻略部隊が全滅したとの報告を受けて、再び主要メンバーの四人が集結していた。


 革命軍の司令室は、首都攻略部隊が全滅したという報告を受け騒然としていた。情報端末を持ったオペレータの女性兵士が、右往左往と走り回り、火星各都市の革命軍からの問い合わせの対応に四苦八苦していた。


 そんな慌ただしい司令室で、サトシが両手を口元で組み深刻な顔でテーブルに着いていた。


「メガネ、首都攻略部隊が全滅したというのは本当のようだ。今首都に潜入していた工作員『への3号』から連絡が入った」


 某リンゴ印のスマートフォンにソックリなマルチプラットフォーム端末で話していたイスハークヘルメットが、通信を終えると深刻な顔でサトシにそう告げる。


 ちなみに工作員の識別番号はサトシの趣味で付けられており、『への3号』以外にも『いの一番』とか『ほほほの4番』と言ったふざけたネーミングだらけである。


「そうか。しかし、重機部隊はまだしも、巨人が連邦軍に負けるとは思えないのだが…。どうやって連邦軍やつらは巨人を倒したんだ?」


 サトシは姿勢を変えず、眼鏡越しにイスハークに視線だけを送る。


「今情報を精査中だが、…どうやら連邦軍の新型兵器?に倒されたようだな」


 サトシの視線に気押され、イスハークは慌てて端末で工作員から送られてきた確度の高い情報を伝えた。


「新型兵器だと…。そんな情報はうちはつかんでねーぞ。そんな兵器が軍に導入されたなら、俺の耳に引っかからないはずがない」


 革命軍の財政・経済担当のジョージアフロが、首都攻略部隊の被害状況をまとめた情報を表示したタブレット型端末をテーブルに叩きつけた。


「…チビ、いやズールイ。お前は何か情報を掴んでないか」


 サトシが、壁際に立つ小柄な男に目をやると、


「誰がチビだ。チーバ、次にそう呼んだらお前でも許さないぜ。…取りあえず、こっちでも新兵器が連邦軍に導入されたって話は聞いたことがない」


 ズールイチビが、ナイフをちらつかせて、サトシを睨む。

 オリンポスの犯罪グループの幹部であるズールイは、他の都市の犯罪グループと綿密に連絡を取り合い、裏の情報収集を行っている。ジョージの表の情報と合わせれば、連邦軍の動きは筒抜けのはずだった。その証拠に、地球連邦軍は大シルチス高原の戦いでほぼ全滅している。もし、巨人を倒すほどの新型兵器を連邦軍が持っているなら、それを高原の戦いで使わない理由はないのだ。


「となると、その新型・・というのは、連邦軍すら存在を知らなかった…ということか」


 そう言って、モニターを見上げたサトシのメガネがきらりと光る。


「馬鹿を言うなよ。一体誰がそんな兵器を持っていたんだ? まさか地球企業の何処かが持ち込んだとか言い出すのか? そんな映画のような話があるかよ。それにそんな兵器を売るなら革命軍に売るだろう」


 イスハークが好きなリアルロボット物の映像コンテンツには、揺り籠からロボットまで商売とする巨大企業が出てくる物があった。その企業は自社の兵器を売るために反政府組織に新型兵器を提供して、マッチポンプで戦争を起こす酷い企業であった。しかしそれは空想の話であり現実にはそんな企業は存在しない。もしそんな企業が存在するなら、地球連邦ではなく革命軍に売り込んでくるはずだとイスハークは主張した。


「そりゃそーだわ」


 ジョージが、おやつのポップコーンをほおばりながら、イスハークに相づちを打った。


「首都攻略部隊を再度送るにしても、もっと詳しい情報収集が必要だな。ジョージ、ズールイ、頼めるか?」


 サトシは手を組み直して、再度の情報収集を二人に依頼した。


「わかったよ。オリンポスの企業はこっちに寝返ったんだ。もう少し詳しい話が聞けると思うぜ」


「首都の奴らは金に汚いからな。金を準備しておいてくれよ」


 二人はサトシの言う通り情報収集を行う為に、司令室を出て行った。





 二人が出て行き司令室に残されたサトシとイスハークは、革命軍の女性オペレータが持ってきたコーヒーを飲みながら一息ついていた。


「サトシ、チャンのことだが…」


「ああ、分かっている。シャトルを撃墜したのは奴の間違いだった。今度はもっとましなパイロットを見つけることにする」


「頼むぜ。今回の件で他の都市の同士がお冠だ。次に同じ事をやらかせば、こちらから離反する奴らも出てくるだろう」


「最悪、俺が他の組織を説得・・する。これさえあれば、何とかなるだろう」


 サトシはそう言って、メガネを中指で持ち上げた。


「頼りにしているよ」


 イスハークは、そう言ってサトシの背中を軽く叩いて司令室を出て行った。


「ああ、任せてくれ」


 コーヒーを飲みながら、サトシはそう呟くのだった。



 オリンポス山の中腹に落盤事故が多発し、希少鉱物の産出も採算が取れなくなったことで廃棄が決まったその坑道が存在した。もう誰も見向きもしないその坑道に黒いローブを纏った一人の男が向かっていた。

 坑道の入り口には複数の多脚歩行型警備ロボットが配置され、頑丈な扉で封鎖されていた。坑道に近づいた男に対し、警備ロボットの一台がライトを赤く点滅させて前を遮った。


「この坑道は現在落盤の危険があるため関係者以外の立ち入りは禁止されています。なお、坑道はオリンポス行政局の管理下に置かれており、坑道に近づく方を実力で排除する許可が出ていますので、近づかれる方は御注意ください。この坑道は…」


「認識ナンバー0904304832049203」


 警備ロボットの警告音声に対して、男が認識番号を口にする。


「認識ナンバーを確認。パスワードを入力してください」


 警備ロボットの動作モードが変わったのか、ライトが赤から青に変わる。


「音声パスワード『だるまさんが転んだ、だるまさんが滑った、だるまさんが政治闘争を始めた』」


 男が警備ロボットへ音声パスワードを告げると、


「パスワード照合…声紋一致。網膜認証と生体認証を行ってください」


 警備ロボットのライトは緑に変わり、男の前から退いた。そして扉の一部がバタンと開くと、網膜認証と生体認証のためのコンソールが現れた。

 坑道の入り口にとは思えず、まるで軍事施設や政府の機密施設かというような厳重なセキュリティだが、男は黙って眼鏡・・を外し、認証装置に目を当て手を生体認証パネルに置いた。


「………網膜、生体認証、全て一致しました。登録者S・Tと認証完了しました」


 坑道を封鎖していた扉のロックが外れ、ギギッと音を立てて人が一人入れるぐらいに開く。


「御案内は必要でしょうか?」


「不用だ」


 坑道は、非常灯しか付いていないため暗い上に迷路のように入り組んでおり、うかつに入り込めば迷子になり遭難してしまう。警備ロボットの一台がガイドとして同行するかと訪ねたが、男は断った。


 扉をくぐった男は、薄暗い枝分かれだらけの坑道をすたすたと歩いていく。坑道を上下につなげるシャフトを何度も使い地下に潜っていく。そして小一時間ほどで男は目的の場所にたどり着いた。


 坑道の奥にあるのが不思議な普通の部屋に付いている扉。それを開けて入室した男は、そこでようやくローブを下ろした。現れたのは眼鏡をかけた男、サトシであった。


 サトシは部屋の奥に向かうと、平安時代の貴族が使っていたような御簾の前に跪いた。


「残念な御報告に参りました」


 サトシが恭しく御簾に向かって言葉を発するが、御簾の向こうにはまるで人気を感じられない。


「我が君に下賜いただいた宝珠にて作りし巨人ですが、残念ながら倒されてました。その際宝珠も失われてしまいました。…この失態、チーバはいかような処罰も甘んじて受ける所存でございます」


「…」


「許すと…。我が君の御寛大な処置に感謝の言葉もありません」


 サトシは、そのまま地面にひれ伏すように頭を下げた。まあいわゆる土下座であった。


「…」


「何と、宝珠をまた下賜いただけると。それは本当でございますか。あれは貴重な遺物と伺っておりましたが…」


「…」


「いえ、そのような事は…」


「…」


「すぐに軍を送るのは難しいかと。ヘリウム《首都》攻略にはもうしばらくかかます。こちらも戦力が整っておりませんので。まずは他の都市に援軍を請わねばなりません。それに巨人を倒した兵器の情報を集めないまま、次の軍を送るのは愚策かと…」


「…」


 サトシは驚いた表情で土下座から顔を上げる。


「我が君が気になされるような者が、ヘリウム《首都》に在ると…。承知しました。このチーバ、一命を賭してその者を探し出して参ります」


 サトシは再度頭をこすりつけるように下げるのだった。そして御簾の向こうで何かが光り輝く。そのとき御簾に映し出されたのは、女性とおぼしきシルエットであった。

 輝きが収まると、御簾の下から押し出されるように宝珠…直径一センチほどの赤いビー玉のような球体…が転がり出てきた。サトシはそれを恭しくつまみ上げると、宝石を箱のような小箱を取り出して納めた。


「我が君、今度こそ吉報を持って参ります」


 サトシは恭しく礼をする。そして御簾の向こうを名残惜しそうに見つめると、黙って部屋から部屋から出て行くのであった。


「…」


 サトシが部屋を出て行くと、御簾がスルスルと持ち上がる。そこには赤い一つ目を持った暗い影が、たたずんでいた。





 ヘリウム《首都》の研究所の格納庫であお向けに横たわったアルテローゼ。その周りでは研究所に残った所員や作業員とレイチェルの父であるヴィクターが、機体の修理というか調査にかかりっきりであった。


「お父様、アルテローゼは…レイフは大丈夫なのでしょうか?」


 レイチェルもヴィクターの手伝いをしているが、彼女ができるのは部品や工具を手渡しするぐらいしかない。もう大破といって良いぐらいに破壊されたアルテローゼの機体をレイチェルは不安そうに見上げた。


「レイフというのは、アルテローゼのAIの名前だったな。…それに関しては私には何ともいえない状況だ。何しろアルテローゼの機体は見ての通りだ。はぁ、ここも駄目か。…レイチェル、A-35番ユニットを持ってきてくれ」


 アルテローゼレイフは、自爆機能を流用した大砲を作り上げ巨人を倒した。爆発源であるキャパシターは大砲の砲塔で炸裂したが、砲弾を撃ち出すだけでなく、砲身も破壊していた。その砲身の破片は、周囲に飛び散りアルテローゼの機体をずたずたに引き裂いていた。


「はい、これでしょうか?」


 ヴィクターはレイチェルが差し出したA-35番ユニットを受け取ると、交換するために胴体にある破壊されたユニットを取り外す。


「レイチェル、これを見なさい」


「これは、…真っ黒焦げですわね」


 ヴィクターは破壊されたA-35番ユニットをレイチェルに見せる。それはレイチェルの感想通り、強化プラスティックの外装が通り真っ黒に焦げ歪んでいた。


「最後の爆発で飛び散った破片が超伝導バッテリーを破壊したんだ。そのために機体に過電流が流れたんだ。バッテリーの大部分のエネルギーは、キャパシターの爆発で使用されたが、それでも雷に直撃されるぐらいの電気エネルギーが機体を駆け巡ったのだ。アルテローゼの回路は、ほぼ再起不能の状態なのだよ」


 ヴィクターは、やれやれといった感じでユニットを交換した。


「自爆前にコクピットは射出されたので、コクピット・モジュールに付いていたブラックボックスは無事だったが、AIのデータ記憶の大部分は、機体のストレージ外部記憶装置に入ったままだったのだよ」


「一体それはどういうことなのでしょうか?」


 レイチェルは、ヴィクターの言っている意味が分からずキョトンとした顔をする。


「…つまり、レイフというAIの記憶のほとんどは失われてしまった、という事になる」


 ヴィクターは、そう言って機体の奥にある黒焦げの物体を指さす。ハードウェアに詳しくないレイチェルには分からないのだが、それがアルテローゼのストレージだった。


「データが記憶と言うことは、記憶が無くなった状態…つまりレイフは記憶喪失になったということですか?」


 人差し指をほほに当てて首をかしげるレイチェルにヴィクターは、首を横に振る。


「AIにおいて記憶がなくなるというのは、人間の記憶喪失とは比較にならない。AIにとってデータ記憶がなくなったと言うことは赤子に戻ってしまうと同意義なのだよ。言い換えれば、レイフというキャラクターが消えてしまったに等しいのだよ」


「赤子…レイフが、消えてしまった?」


 ヴィクターの言葉に事情を察したレイチェルの顔が青ざめた。


「ああ、赤子に戻ってしまったのだよ。自身をゴーレムマスターと名乗り、不思議な力でアルテローゼを再構築してレイチェルと戦いに望んだ。そのレイフというAIの人格は失われたのだ。制御コアを再びアルテローゼに組み込むことでAIとして動作することはできるかもしれない。しかしAIとして再び起動してもレイフとしてではなく、素のAIとなっているだろう」


 ヴィクターは、そこで大きくため息をついた。

 ちなみに、ここまで重要なAIのストレージがどうしてコクピット・モジュールと一緒に射出されなかったかというと、アルテローゼが試作機以前の実験機体ということに起因する。人が搭載する機動兵器と言うことでコクピット・モジュールが射出される機構は組み込まれていたが、ストレージを一緒に射出するという設計を忘れていた、設計ミスがあった。

 本来この様な設計ミスは、試作機を作っていくうちに改善されるのだが、アルテローゼは実験機であり、そういった不具合が残っていたのだった。


「そうですわ。研究所にはアルテローゼのデータのバックアップはあるはずですわ。それを復旧すればよろしいのでは?」


 レイチェルは、データのバックアップが存在することを思い出し顔を輝かせて、ヴィクターにそれを告げた。


「首都の研究所のバックアップだが、メインサーバにあるデータは機密保持の為に消去してしまったのだよ。つまり、バックアップは存在しないのだよ。過去に戻れるなら自分を叱ってやりたいぐらいだ」


 首都が革命軍に占領される直前と言うこともあり、最重要機密である研究所のデータは持ち運び可能なメディアに移動され、サーバ上のデータは消去されていた。そのメディアに移動されたデータの中にアルテローゼの外部記憶は入っていなかったのだ。

 何故メディアにアルテローゼの記憶が入っていなかったかというと、アルテローゼのAIは一度も起動しておらず、外部データに入っていたのは基本的なデータだけど思われていたからであった。実際にはレイチェルの動画が入っていたように、研究所員が個人的に入れたデータが多数合ったのだが、そんなデータを機密情報としてメディアに移す必要はないだろうと無視されたのだった。


 ヴィクターとしてもまさか動かないAIのデータが必要とされる状況が発生するとは思ってもみなかったのだ。設計ミスとバックアップを残しておかなかったという二重のミスによって、レイフという貴重なAIが失われたと思うと、ヴィクターは過去の迂闊な自分を呪い殺したい気分だった。


「バックアップが無いのですか…」


 レイチェルが再びうなだれる。


「記憶も問題だが、それよりももっと大きな問題があるのだ。レイチェル…制御コアが再起動しないのだよ」


 ヴィクターが視線を送った先には、外部電源につながれたコクピット・モジュールがあった。所員がブラックボックスからデータを吸い上げているが、どうもそれが上手くいっていない様子だった。



 真っ暗な空間にぽつんとレイフが浮かんでいた。カッパ禿げの片目で出っ歯に身長が低い醜男という生前の姿のレイフは、周囲をキョロキョロと見回す。


『一体全体どうなっておるのじゃ。真っ暗で何もないのじゃ』


 レイフは、首を傾げて自分に何が起こったかを思い出そうとした。


『確か、至高のゴーレムを作ろうとして、帝国を出奔したはずだったのじゃ。いや究極だったかな?』


 暗闇にレイチェルの姿が浮かび上がる。


『そう、これじゃ、レイチェルを儂は作ったのじゃ。………いや、その途中で儂は殺されたのじゃったな?』


 レイフの前に彼を殺した勇者パーティの姿が浮かび上がる。


 勇者パーティは、レイチェルのコアを作成するため動けないレイフをいとも容易く殺してしまった。あの時レイフが賢者の石をあきらめれば、レイチェルを普通のゴーレムで我慢すれば、あんな事にはならなかったのだ。レイフは全くバカなことをしたのだった。


『うるさい。死んでまでそんな事をナレーションお前にに言われる筋合いはないわい』


 レイフは勇者パーティの姿を手でなぎ払って消し去る。


『大体、レイチェルは完成した…いや、あれはレイチェルじゃなかったのじゃ。レイチェルに本当にそっくりな人間…いや少女だったのじゃ』


 再びレイチェルの姿が闇に浮かび上がるが、今度はレイフの作ったゴーレムではなく、人間・・であるレイチェルの姿だった。


『どうしてレイチェルそっくりの少女が存在するのじゃ? レイチェルにうり二つの人間が存在するなど、ドラゴンが人間とハーフを作る方がまだ可能性があるのじゃ』


 ちなみにレイフが筆頭魔道士を勤めていた帝国皇帝は、一族はドラゴンの血を引いていると主張していた。まあ、敵対国からは帝国の貪欲な征服願望から先祖はスライムじゃないかと言われていた。現実として、ドラゴン・ハーフもスライム・ハーフも存在するわけがないとレイフは信じていた。


『そうじゃった、儂はレイチェルと出会ったのじゃ。そして機動兵器ゴーレムとして戦ったのじゃ』


 レイチェルの横に同じサイズのアルテローゼの姿が浮かび上がった。


『うむ、こうして見るとアルテローゼは帝国時代の戦闘ゴーレムよりもスタイリッシュなのじゃ。科学とやらで作られたゴーレムは、動きが素晴らしかったのじゃ。次に儂が作るゴーレムは、あれを参考にして作るのじゃ』


 魔法で体を変形させて動くゴーレムに比べて、人間の体を模した内骨格と筋肉に替わる超電磁アクチュエータ。そしてその上に鎧となる外装を重ねるという構造は、人間と同じ動きをさせるには最適な構造だった。


『…しかし、そのアルテローゼも壊れてしまった…のじゃ。そうじゃ、儂は死んでしまったのじゃ』


 アルテローゼの姿がかき消すように消えてしまう。

 レイフは自分が…アルテローゼが壊れてしまい、二度目の死を迎えたのだと、ようやく自覚したのだった。


『しかし死んだはずなのに、何故儂はこんな所に存在しておるのじゃ? まさかこんな暗闇が死後の世界とでもいうのか?』


 レイフは再び周囲を見回すが、やはり真っ暗闇の世界が広がるばかりであった。


『儂の事じゃ、天国へ逝けるはずもないのじゃが、こんな真っ暗闇に一人で居るぐらいなら、地獄に落ちて悪魔に釜ゆでにされる方がましなのじゃ。…しかしどうしてレイチェルは消えないのじゃ?』


 アルテローゼは消えてしまったのにレイチェルの姿はまだ残っていた。


『どうしてなのじゃ』


 レイフは、レイチェルの姿に手を伸ばす。しかしレイチェルはその手から逃れ遠ざかっていく。


『ま、待つのじゃレイチェル。儂を…儂を一人にしないでほしいのじゃ』


 レイフは遠ざかっていくレイチェルの姿を必死で追いかけた。しかし小男のレイフは、必死に走るがレイチェルに追いつけない。


レイチェル・・・・・


 レイフがあらん限りの力を振り絞って、名前を呼ぶ。するとレイチェルが立ち止まった。そしてその頭上から光が降り注いだ。

 真っ暗だった空間に光を浴びてたたずむレイチェルは女神もかくやという神々しい姿であった。


 レイフはその姿に向かって走りだす。そう、レイチェルの側に行かなければならないという義務感までレイフは感じ始めた。

 再びレイチェルに向かって走り始めるレイフ。しかしレイフの脚が突然何者かに掴まれて、彼は転んでしまった。


『一体何なのじゃこれは?』


 レイフが自分の脚を掴んでいるモノを見ると、それは闇が凝縮したような黒い手であった。レイフは必死でその黒い手を振りほどこうとするが、手はなかなか脚を離してくれない。それどころか周囲の闇から無数の黒い手が現れると、レイフを掴みレイチェルから引き離そうとするのだった。


『ええい、離すのじゃ。儂はレイチェルの所に行くのじゃ』


 しかし黒い手はレイフを離さない。彼はそのまま闇の彼方に運び去られようとした。

 いや、その手の先には赤い目を持った漆黒の影がレイフを待っていた。


『アレは、一体…』


 レイフはなぜかその漆黒の影に懐かしさと、不快感の両方を感じ動きを止めてしまった。そしてレイフはそのまま影の方に引っ張られていく。


『…レイフ、返ってきて』


 レイチェルから光の筋がレイフに向かって伸びたのは、その時であった。その光の筋は、光の綱となりレイフの手を体に巻き付く。そして光の剣となり黒い手をことごとく切り裂いていった。


『レイチェル?』


 光の綱はレイフを包み込みまゆとなる。光に包まれたレイフは、再びレイチェルの声を聞く。



「お願い! レイフ返ってきて」


 レイチェルの声が闇を切り裂き、レイフを光りあふれる世界に押し出す。


『儂は…また生き返ったのか?』


「レイフ、本当にレイフですの?」


 レイフにはアルテローゼのコクピットで泣いているレイチェルの姿が見えた。つまり彼は再びアルテローゼとして蘇ったのだ。


『儂は儂だぞ。レイフ以外の何物でも無い。それでどうしてレイチェルは泣いているのだ?』


「誰が嫁なのですか。やっぱりレイフですわ。お父様、本当にレイフが戻ってきましたわ」


 そう言ってレイチェルは、うれし涙を流すのであった。

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