KAC1: TAIL-CUTTER

鍋島小骨

TAIL-CUTTER

――尻尾を切るもの。


 姿の見えない連続殺人犯について、最新の被害者である千葉が残した言葉はそれだけだった。

 死体となった千葉の口の中にはどんぐりの実。これは警察しか知らない共通項であり、一連の殺しは同一犯と見てよい。手口から、殺し屋は接近戦に長けた人物である可能性が高い。肋骨の間を綺麗に通したナイフが心臓に達している。

 千葉は数日前、殺し屋の手掛かりを掴んだと言っていた。それで一つだけ漏らしたのが例の言葉だ。


――つまり、そいつはなんだ。聞いてピンときたよ。どんぐりの意味も合う。


 そう言ってにやりと笑った千葉は、最近まで自分のひとり前の被害者、熊本と連絡を取り合っていた。聞いて、というのは熊本が殺される瞬間まで携帯で通話していた時のことを指すのだろう。

 その通話で、千葉は明らかに何か、殺し屋に繋がる情報を聞いたのだ。だから殺された。

 何を聞いた?

 普段の千葉は一匹狼で掴んだ手掛かりを周囲には共有しないことも多かったが、一方で最終的には我欲より犯罪摘発を優先する価値観だけは持ち合わせていた。今回の手掛かりも、自身が消される可能性を考えてどこかに残してあるのではないか。

 加えて、最後に言われたあの台詞が気になっている。


――広島、ここで警察官の自分を優先できるかどうかがお前の人生の分かれ目だよ。


 なぜ急に、『尻尾を切るもの』ではなく、熊本たち被害者の話でもなく、俺の人生の話になるんだ。

 問い質そうとしたが、千葉はしたたかに酔っていてそれ以上何も聞けなかった。

 そして翌日、遺体で発見された。




  * * *




「眉間のシワがすごい」


 下から伸びてきた手が眉の間をきゅっとつまんで離した。


「何。こんな時に」


「こんな時だからでしょ」


 離れた手を捕まえたまま首筋に顔を寄せると川崎はむず痒そうに身動きした。逆の手で腰を抱くと、子供時代に事故に遭ったせいだという傷痕が指先に触れる。


「……こんな時に、考え事しないで」


 抱きしめられて少し掠れた声で囁かれたら、いつもなら火が点くのに。今は思考と身体が綺麗に分離してしまっているようだ。

 川崎を抱きながら千葉の部屋のことを考えていた。不自然なほど何も手掛かりが残されていなかった。千葉は手持ちの切り札をどこか自宅ではないところに保管しているのでは。

 無いことに違和感がある。

 何だっけ、あれは。現場? 部屋ではなく、殺害現場? ……違う。現場から戻って、捜査会議で。

 逃がしてはいけない。思い出せ。

 身体の下で、川崎が身をよじる。肌が擦れ合う。火を含んだような微かな声が耳の中を炙っている。そしてそれら全てが身体を駆り立てながら、思考とは切り離されている。

 記憶を掴まえろ。

 逃がしてはいけない。

 思い出せ、

 ……それは。


 並んで寝転がって息を整えながら、ああ分かった、と呟いた途端に曖昧な力で頬を叩かれた。


「いてえ」


「やっぱり考え事してた」


「ちゃんとしたでしょ……」


「ちゃんとって。作業で私と寝てんの?」


 作業じゃないよ、と言いながら、確かに今夜は身体に作業を任せたかもしれない、と奇妙な気分になる。思考が止められなかった。本当は今すぐシャワーを浴びて着替えて外に飛び出したい。

 探したい場所がある。千葉は必ず手掛かりを遺している。

 川崎が抱きついてくる。汗ばんだ肌が全身に押し付けられて、身体はもう一度反応し始める。


「ねえ、広島くん、もう一回」


「すぐ?」


「できるでしょ。追試。今度は考え事やめて、私に全力出して」


 視線を逸らして時計を読んだ。午前零時。今日の川崎はどうやら逃がしてくれない。

 探し物は朝一番にやることにして、無理矢理思考を切った。まずは、ちょっと厳しそうなこの追試をパスすることに集中する。




  * * *




 結論から言うと千葉が何を考えていたのか分からない。このデータが本件に関わる手掛かりとして遺されたとすればである。

 全く関係のないデータという可能性もあった。何しろあまりにも脈絡がない。しかし、それにしても。


 遺体となった千葉が所持していたスマホにはメモリーカードが入っていなかった。そもそもの違和感の元はそこだ。今時そんなことがあるか。

 犯人が持ち去った可能性もあるが、千葉が隠した可能性もある。

 朝からとにかく探した。職場の千葉のデスク、椅子、ロッカー。何も見つからず当てが外れたかと思ったが、ふと千葉が扱った過去の事件を思い出した。何も知らなかった運び屋の話だ。自分が何かを運んでいることさえ気付いていなかった。組織は、無関係の人間のスクーターの見えにくい部分に運びたいモノを貼り付けていたのだ。出発地点と到着地点が確実に読めるスクーターとその持ち主を選び出した上での犯行だった。

 それで、千葉以外の人間のデスクを全て潜って調べた。

 メモリーカードは俺のデスクの脚に貼り付けてあった。

 すぐさま中身をチェックして、その結果がこれだ。


「ブラウンが来た」

 どんぐり

 イーニッド

 →川崎ひとみ


 保存されていたテキストファイルの中身はたったそれだけだった。

 千葉は何を考えていたのか。ブラウンって何だ、ブラウン神父か? かぎ括弧がついているのは、これが前の被害者である熊本の言葉なのか。どんぐりは分かる、被害者全員の口に突っ込まれていた。『イーニッド』は千葉と最後に飲んだ店だ。それよりなぜ川崎の名前が?

 分からない。緊張か不気味、どちらかが内臓を絞り上げる。

 千葉に川崎の話をしたことはないのだ。

 付き合っている女がいることさえ、話してはいない。

 どういうことなんだ。


 釈然としないまま『イーニッド』に向かった。

 午前十時。夜は騒がしいビアバーの『イーニッド』は、朝から夕方は別の料理人が借りていて『咖喱工房ダイン』の立て看板が出ている。ENIDとDINEでひっくり返してあるんだな、と初めて気がついた。

 店内にはまだ客がおらず、料理人がカウンタの中で作業している。隅の席に夜の『イーニッド』のマスターがいて帳簿をつけていた。

 警察手帳を見せて客ではないと断ったあと、とりあえず千葉と一緒に飲んだ日の防犯カメラ映像を見せてもらった。自分が何を探しているのか分からないが、何か出てくるかもしれない。

 ここに来たのは一週間ほど前の夜だ。千葉が先に、俺がそれに続いて店内に入ってくる。話の内容が内容だったのでカウンタ席ではなくボックス席に座った。防犯カメラからは斜め後ろから見た俺と、その向こうにはテーブル越しに千葉の顔が見える。

 早送りして何度か停めながらチェックしていった。ジャーマンポテト。チキンサラダ。ビールのお代わりが何度か。千葉はペースが速い。記憶している通りだ。

 お開きの時間に辿り着く寸前、画面の中の俺が席を立つ。そう、一度トイレに行って席を外した。

 そしてボックス席に残る千葉は。

 早送り再生を停めた。少し戻して再生する。

 席を立った俺が画面の外に消える。

 千葉と目が合った。

 どこかぞっとした。

 防犯カメラ映像なんてものは職業柄、これまでいくらでも見ている。画面の中の凶悪犯と目が合ったことも死んだ人間と目が合ったことも、何度もある。それは被写体がカメラのレンズを見たというだけのことで、別に俺を見ている訳じゃない。

 それなのに。

 千葉はレンズを見た。それから席に座ったままこちらに一礼した。……何だというんだ。

 そのまま見ていると、画面の中の小さな千葉は、今はもう死んで一週間も経ってしまった千葉は。

 テーブルの上に、まるで映像を見ている俺に紹介するように、小さな白い板のようなものを乗せて見せた。

 俺は、その小さな長方形に見覚えがあった。




  * * *




 日が暮れたあと待ち合わせ場所で、千葉が保存した四行のテキストを見ていた。ここに来るまでの移動中もずっと見ていた。

 

 それを川崎に確かめることが自分にはできるのか。

 会うなり殺してしまえたらどんなに楽かと思う。そうして全てが迷宮入りしたなら。

 小走りにやって来た恋人を俺は見る。川崎は俺の前まで来て立ち止まり、ふわふわ笑って見上げてくる。

 聞かなければ。

 お前なのか、と。


――広島、ここで警察官の自分を優先できるかどうかがお前の人生の分かれ目だよ。


 千葉、お前はこのことを。

 声も出せずに俺は、刻まれた記憶の明滅を見る。

 川崎のピアスと、脇腹の傷痕。

 防犯カメラに白い表紙の小さな絵本を見せている千葉。


 どうして俺はこの人気のない場所で川崎と待ち合わせたのだろう。防犯カメラも人の目もなければ川崎が油断するだろうから? 周りに人がいなければ川崎が本当のことを言うかもしれないから?

 川崎が近付いてくる。青い硝子の眼をしたふくろうのピアスが目に入る。川崎のお気に入りで、俺と会う日はいつも着けていたピアスだ。

 息ができない。


 千葉が手にしていた小さな絵本は、ビアトリクス・ポター『りすのナトキンのおはなし』。生意気なリスのナトキンは、仲間たちが木の実を採るため島の主である梟のブラウンじいさまに贈り物を捧げて挨拶をするのに、自分だけはふざけて振る舞う。ブラウンじいさまはナトキンを捕らえ、無礼なリスの尻尾を切ってしまう。

 

――つまり、犯人そいつなんだ。聞いてピンときたよ。どんぐりの意味も合う。


――ブラウンが来た。



「How’s it going? My little Nutkin.」



 少し掠れた甘い声。こんな時でさえ、もう一度抱きたい、と思わされる川崎の声。災いの味が胸に染み通り、心の中に溜まっていた『何故?』が溶けて消えていく。


 もうどうでもいい。

 知ることはできない。

 いま全てが終わるんだ。

 刺し込まれたこのナイフだけが真実。



 それにしても川崎、お前がブラウンはないよ。



 耳元で梟は囁く。


「広島くん、おやすみ。またね」


 俺は目を閉じる。そして間もなく訪れるであろう未来を信じる。

 リスのようにどんぐりの実を口に含む未来を。






〈了〉

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