梟と或る女性

第1話

 頭の中にいる小さな虫は、ストレスが重なると途端に増えて苛立ちを更に増す――


「五月蝿えんだよ、このクソ餓鬼が!」


 白魚のような細い腕……ではなく、工場での作業で無駄に筋肉がつき、水洗いをしてあかぎれが酷い手で、神楽良子(カグラ リョウコ)は電車の壁を殴りつけて、目の前にいる、3歳ほどの子供がいる家族連れを思い切り睨み付けると、彼等は身の危険を感じ取ったのか、そそくさとと席を外して別の車両に移っていった。


 良子は電車の中なのにも関わらず、大音量でスマホの音楽を流しつける。


(なんでこう、無性にイライラするのよ? 生理? クソッタレ、一馬のバカとはやってないよ半年も!畜生、誰でもいいからやりたいんだよ!)


 良子の年齢は27歳、女性の性欲は年齢と共に反比例するというのだが、同じ年で彼氏の片岡一馬(カタオカ カズマ)とは疎遠になっており、半年近く仕事でのすれ違いでたまにラインをするだけで会ってはいない。


 電車が最寄駅の燕岳駅に着き、良子はまだ苛立ちが収まりきれないのか、地面に唾を吐き捨てて車内から出た。


 🦉🦉🦉🦉


 良子の両親は、良子が5歳の時に経営していた鉄工所が倒産して多額の借金を背負い、まだ幼かった良子を児童福祉施設に預けて失踪した。


 良子はその頃から世間への反逆心が芽生えてきて、頭の中で何か虫のようなものが蠢くと同時に苛立ち、周囲に攻撃を仕掛けるようになっていった。


 勉強は当然ながら壊滅的であり、なんとか入れた底辺高校を退学後に不良仲間に誘われるがまま暴走族に入り、喧嘩相手の腹を包丁で刺して少年院へ行き、退院後は職を転々として今のコンテナ洗浄の仕事に落ち着いた。


 一馬とは、暴走族からの付き合いで良子が少年院に入ってからでも付き合いは続き、一馬は苦学の末に一流大学へと進学をして今は大手の外資系企業にいる。


 転勤があり、良子の住む県とは離れてしまい別の県にいるのだが、急に昨日、会わせたい人がいるからと、良子の近所の燕岳神社へと来てくれと誘われたのだ。


 時刻は夜の23時、良子の職場はシフト制で夜勤がありこの時間になっていた。


(会わせたい人って誰よ!? まさか、新しい彼女ができたからその人と会わせるとかそんなんじゃないでしょうね!?……あーあ、んだよ、明日はパチ屋のイベントで早く帰って寝たい!)


 底辺労働者は大抵がパチスロをやるというのだが、良子もまたパチスロにはまり、毎月5万円以上を費やしている。


 良子は燕岳神社に足を進めると、梟が鳴く声が耳に入り、不思議に落ち着く気持ちに襲われる。


(お父さん……)


 良子の父、茂は梟が好きで、梟カフェという言葉が生まれてなかった20年前に、梟を飼っている知り合いが経営する喫茶店によく連れていってくれた。


 スマホが鳴り、液晶を見やると一馬からのラインの着信がある。


「何? どうしたの!?」


「おつ。お前の後ろにいるよ」

 

ホウ、とフクロウの鳴き声が聞こえて良子は後ろを振り返ると、梟を肩に乗せた初老の男性と女性が目に涙を浮かべながら良子を見ている。


「え? いや誰?」


「お前のお父さんとお母さんだよ……」


 一馬はニコリと笑い良子を見やる。


「え……?」


「俺たちな、借金を全て払い終えたんだよ……」


「ごめんね……」


 ホウホウと、梟は鳴き、夜の帳に飛び去り消えていく。


 神社には、良子たちの泣き声が響き渡った。

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梟と或る女性 @zero52

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