第5話

 晩に使う部屋を整えてくれたのは翡翠だ。私が寝かされていたのは、普段は使っていない部屋だった。カーテンのかかった窓と、それ以外になにもないのはそのせいだ。

「この部屋、寒かったり暑かったりはなかった?」

「快適でしたよ」

 私はそう答えて微笑んでみせた。室温華氏七十五度、湿度三十九パーセント、現在の外気温を考慮しても、快適な部屋だった。

「よかった。ふだん使ってない部屋だから、どうだろうと思って」

 翡翠もつられたように笑ってくれる。その顔を見て、私は遠雷の金で服を買ったことを思いだした。袋から取り出して、パーティーに相応しいか翡翠にも見てもらった。

「なかなか良いと思う。遠雷は気に入らないかも知れないけど、ジェイドには似合ってるよ。遠雷は服の趣味悪いから、気にしないで」

 と言って、ハンガーを持ってきて、私の新しい服をかけてくれた。それから窓際に寄ると、閉めてあったカーテンを引いた。

「見て、ジェイド、地球だよ」

 翡翠がカーテンを開けて、窓の外を指さす。窓硝子ごしの夜の闇に、雲に霞んだ地球が見えた。私も窓辺の翡翠に近づき、同じように地球を見上げた。

「明日、晴れるといいなあ」

「そういえば、明日は地球最接近日スーパーアースですね」

「そうそう、ジェイドも知ってた?」

 翡翠は弾んだ声で私を振り向く。明日は一年のうちでもっとも地球が月に近づく、満地球フルアースの日だった。

「だから夜のガーデンパーティーにしたんだ。晴れる方に賭けてるんだけど」

 見上げる地球にはまだ雲がかかっている。私には天候予測機能も備わっている。だが、それは精度四十パーセント程度でしかなかったし、私が予測した結果を今、この場で翡翠に伝えるのは、最適な行動ではなかった。

 地球を見上げたまま、私が黙っていると感じたのか、隣で翡翠が小さく息を吸う。

 そして、理由はいろいろとあるんだと思うけど、と前置きしてから、私に言った。

「どうして自殺なんて」

 答えは決まっていた。

「私が不完全だからです」

「そんな」

 翡翠は首を振ると悲しそうに言った。

「完璧な人間なんていないよ」

 その通りです、翡翠。ただ、完璧ではない人間のために、私のような人造人間は完璧でなくてはならないのです。

 私の中にそう答える用意があったが、今この状況で翡翠にそれを告げるのは、やはり最適ではなかった。

「ありがとう、翡翠。あなたたちに助けられて、自分を壊そうと思ったのは、正しい行動ではなかったと思えてきました」

「そうだよ。すぐに気が変わらなくても良いよ。ゆっくり考えてみて」

 翡翠はそう言うと、おやすみ、と言って部屋から出て行った。私はカーテンを閉めると、この部屋で目覚めた時のようにしてみた。

 私には睡眠は必要ない。人間のように眠ることはない。ただ、私はそれをしてみた。シーツにくるまれたマットレスの上に横たわり、掛け布団を身体の上に重ねる。

 マットレスに自分の身体が沈みこむのがわかった。シーツと掛け布団、異なる質感が私の身体に触れている。時刻は午後九時三十七分四十秒。

 私の計画では今ごろ、熱の入り江の断崖から飛び込み、私の身体は海の中に沈んでいるはずだった。私の機能が停止しても、私の発する信号を受信して、身体は回収されると予測していた。その後に違うものに作り替えられるのだと予測していた。。

 その予測は、正しくなかった。

 私は海水ではなく、人間の使うマットレスに身体を沈めていた。横になり、十三時間前に目覚めてから今までのことを再生する。遠雷との会話、買い物へ行ったこと、パーティーの段取りを聞き、記録する。合間の時間で家の掃除を手伝い、翡翠が帰ってきた。彼らの食事の場に、私も同席し、一緒に時間を過ごした…。

 そう、やはり私は欠陥品だ。私の頭の中で、答えが導き出される。七分二秒前に、翡翠には別のことを言ったが、彼がいないところでこうして記憶を再生し、私は欠陥品だという結論に達すると、やはり私は私を処分する方が最適だと結論が出た。

 ただそれは、今ではない。

 遠雷に依頼された、明日のパーティーが終わるまではだめだ。それが終わってからも、彼らの生活圏内であるこの近くではだめだ。それは最適ではない。彼らに迷惑がかかる。

 とにかく明日、私は遠雷と翡翠の役に立たなくてはならない。そのためには十分なバッテリー残量が必要だった。待機状態に切り替え、明日の朝もう一度、私はここで目覚めることにしよう。

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