バードランドのモリーさん

小野木 もと果

バードランドのモリーさん

 私はフクロウと共に仕事をしている。

 でも、飼育員として――とかではない。


 私のバイト先は、小規模なバードランド。様々な鳥が飼育されている。

 動物園のような派手さはないが、都心のオアシス的な扱いなのか、最近は女性のふたり連れや、子供連れのママたちが、癒やされにやってくる。休日ともなれば、そこそこの賑わいをみせる。


 私は単純に、そこのチケット販売員なわけだ。

 フクロウと共に仕事、というのが、一体どういうことかというと。

 私がいるカウンターには必ず、園内で飼育されているフクロウたちが、お客さんをお迎えするためにスタンバイしている。


 フクロウズのメンバーはというと、コキンメフクロウのキンちゃん、ヨーロッパコノハズクのコノハちゃんと、モリフクロウのモリーさん。

 以上の三羽だ。


 三羽とも夜行性なので、開園時間内は止まり木に止まったまま、あまり動かない。

 チケットを買いに来たお客さんに「触らないでくださいね~」「びっくりしちゃうから、急に手を出さないでくださいね~」などと呼びかけるのも、私の仕事のうちだ。


 私は元々、鳥が好きだったわけではない。むしろ苦手だった。鳥って何だか、くちばしは痛そうだし、目も鋭い。

 どう考えたって、突然立ち上がるレッサーパンダとかの方がかわいい。

 だけど去年、無類の鳥好きの友達に誘われ、断り切れずにこのバードランドを訪れた。


 どこを見ても、鳥、鳥、鳥。

 友達をつついて「早く帰ろうよ」と言いかけた。

 でも次の瞬間、バックヤードから出てきた、涼しげな目元をした飼育員のお兄さんに――こともあろうか、一目惚れをしてしまったのだ。


 彼はカウンターにいるフクロウを優しく扱い、もう片方の腕に乗せていた別のフクロウと場所を交換させていた。無知な私にも、彼はあのフクロウの世話をしているひとなんだ、ということは分かった。




 一目惚れ――そんなこと、今まで生きてきて、一度だってなかった。私はどちらかというと、付き合う相手は慎重に選ぶ方。

 もしも、こちらから好きになるとしたら、それなりの理由を求めるタイプ。


 それなのに、私はその彼を忘れることが出来なかった。夢にまで出てくるんだから。

 せめて名前だけでも知りたくて、もう一度バードランドへ足を運んだ私は、そこで、チケット販売のアルバイト求人が出ていることを知ったのだ。

 もしかしたら、彼と仲良くなれるかもしれない、そんな淡い期待もあって、私はバイト先を変えた。それから、数ヶ月が経とうとしている。


 だけど、私たちふたりは仲良くなるどころか、全く会話をしていない。

 園長が、私の歓迎会も開いてくれたけど、結局、彼は来なかった。


 考えたら、フクロウなどを含めた猛禽類もうきんるいの飼育員である彼と、事務バイトの私に、接点があるわけがなかった。

 もし、チャンスがあるとしたらそれは、フクロウズが選手交代するときに、彼が無言でフクロウを出動させ、連れ帰る時だけだった。

 とはいえ、どうやって声をかけたらいいか分からなかった。

 彼は、フクロウ並みに静かだったからだ。



「お疲れ、荻野おぎのさん。休憩行っていいよー」



 私は、ふっと顔を上げる。私の指導担当である山口さんが、隣のイスに座りながら言う。

 彼女はお土産コーナーのレジ係もやったりもするから、私よりはるかに忙しいだろうに、私のお昼休憩の時間は決して間違えない。お言葉に甘えて席を立とうとしたが、彼女にひとつ聞いてみることにする。



「山口さん、あの」


「ん?」



 山口さんは人柄のよさそうな丸顔を、私の方に向ける。

 大学生の私よりも年上なのに、ちょっと幼く見えるのも彼女の特徴のひとつだと思う。



「藤田さんってここ、長いんですか?」


「え? フジサン? どうだったかな。私よりも前からいるはずだけど」



 藤田さんというのは、私が一目惚れした飼育員のお兄さんの名前だ。

 なぜか、あだ名が "フジサン" らしい。完全に "富士山" のイントネーションなのだ。

 そんなに背が高いわけでもないのに、不思議でしょうがない。



「フジサンがどうかしたの?」


「いやぁ……ちょっと」



 私は曖昧に笑うと、山口さんにもう一度お礼を言って、休憩室に向かうことにした。




 休憩室は、廊下の突き当たりにある。

 古びた建物の中でもさらに古びた感じの部屋で、少々埃っぽい。


 どこかのリサイクルショップで買ってきたような、へたったソファに腰をかけると、私は「ううーん」と伸びをする。

 今日は土曜日なので、朝からのシフトだった。前のパン屋のバイトみたいに立ちっぱなしも疲れるけど、座りっぱなしでもやっぱり疲れる。


 誰も来なさそうなこの空間で、思いっきりリラックスしていると、休憩室のドアがキィと音を立てて開く。

 そのドアの向こうから藤田さんが現れて、私は身体をこわばらせた。

 

 ――えっ! うそでしょ? 待ってなになに、どうしよう――


 内心、慌ててしまう。

 だって、今まで休憩が一緒になったことなんて、一度もなかったのに。



「あ」



 私が熱くなる頬を見られないようにうつむいていると、藤田さんが声を発した。



「きみ、受付の?」


 それは、思ったよりもずっと気さくそうな声だった。

 パチパチと瞬きしか出来ない私が、黙って頷く。すると彼は「そっか」と呟いた。



「……モリーさんがさ」


「 ……え?」


「モリフクロウのモリーさん。よく、きみの隣にいる」


「あ、はい……。モリーさん。はい、わかります」


「なんか最近、人懐こくなったっていうかさ。こう、前は人間を寄せ付けないみたいなそんな感じだったのに」


「人懐こく……ですか」


「そう。きみが来てからなんだけど」


「……え? 私っ??」


「そう。心当たり、ある?」


「え……っと」



 そう言われても。

 私、何かしたっけ? と首を捻る。

 そして必死に "モリフクロウ" がどの子だったかを思い出す。確か、白っぽい身体に、薄茶色の模様が入った子だ……。


 あの子はとても大人しくて、いつでも寝ているみたいに見えるフクロウだ。

 私はお客さんがいない――つまりヒマな時、思わず彼を撫でたことがあった。本当に、何となくだった。


 無駄に触ると疲れちゃうから、と言われていたのに、ついつい撫でてしまった。すぐに手を引っ込めたけど、彼はクルリと首をまわして私を見つめてきた。じーっと。

 そのうちにむこうを向いちゃったから、気のせいだと思ったんだけど。モリーさんはまたクルリ、をやって、私をじーっと見る。彼はそれを繰り返していた。


 その "じーっと" には、何というか無言の圧みたいなのがあって。まるで "撫でろ" と言ってるみたいだった。

 だからまた撫でてみたんだ。そうっとね。そしたらモリーさんは圧をかけなくなった。満足した、みたいな。

 もしかしたら、それがよかったのかもしれない。



「あの、よく撫でたりしてます。気持ちよさそうにしてるので。止まり木から逃げる素振りもないし」


「そうなんだ。へぇ」



 そう言うと、彼はリュックからパンの耳が入った袋を取り出しながらもう一度「へぇ……」と呟く。


 そのパンの耳は、鳥たちの餌なのだろうと思っていた私だったけど、藤田さんはその袋から薄茶の耳を取り出し、おもむろにもぐもぐと食べ始めた。



 ――ええぇ?? それがお昼なの??――



 私のそんな視線に気付いたのか彼は、ずいっとパンを差し出してくる。



「食います?」


「……えっと。食い、ます」



 面食らいつつも、藤田さんの突然の登場で、完全にお弁当を取りに行くタイミングを逃してしまった空腹の私は、そう答えていた。

 実は、休憩が終わるまで、あと、三十分しかない



「俺……パンの耳、好きなんですよ」


「……そう……なんですね」


「でもこれ、マガモさんたちのご飯の一部なんだけどね」



 ――うっ……。やっぱり、そうなのか――



「見てると、食いたくなっちゃうんですよ。だから、たまに多めにもらって来て、分けたら……残りは俺が食う」



 そう言って、彼はにこっと笑った。藤田さんはどうも、無口なひとではないらしい。

 何だか、想像よりずっとよく喋りよく笑う感じというか。ぱっと見でいだくイメージとだいぶ違う。

 これはチャンスとばかりに――そして、何か話題を広げなくちゃ、と私は口を開いた。



「あの……。藤田さん、なんで "フジサン" て呼ばれてるんですか?」



 しかし私は一体、何本目のパンの耳を口に運んでいるだろうか。でも確かに……意外と美味しい。



「あー。それ? んーと、最初は普通に "藤田さん" だったはず。でも気が付いたら "フジサン" になってたんです。誰がつけたんだか。俺を表してるとも思えんし」


「……縦にも横にも……大きくないですもんね」


「まあ、デカくはないよね」


「あぁっ……いえ……そういう意味では……。通常の……あの……平均の大きさっていうか」


「なに、通常の平均の大きさって……」



 焦った私が言ったよく分からない発言に、藤田さんは笑った。彼はよく喋るけど、やっぱり物静かな声だから、何だか焦る。



「あれかなー。 "フジサン" は、俺の出身地のせいかもしれない。俺、静岡出身なんですよ。富士山のふもとの、冬はすっげー寒いとこ。まあ、そんなわけで、"フジサン" の真相は分からぬまま。……面白いからいいけどね」



 そう言った藤田さんが、お茶を飲みながら、私をちらっと見る。

 ヤバい、寝癖とかあるかもしれない。一応、気を付けてるけど、今日はあんまり鏡をちゃんと見てないというか。



「あのっ! 私、失礼します!」



 少し時間には早かったけど、私は立ち上がって、ぺこりと頭を下げる。

 そして、彼に答える隙を与えずに、そそくさと休憩室を出た。




 しかし、ちょっとびっくりした。

 あの藤田さんが、あんなに気軽に話しかけてくるなんて……。

 もっとクールな感じのひとだと思っていたけど、どちらかというと、天然ボーイみたいな雰囲気だった。


 物思いにふける私の目の前に、モリーさんがいる。そっと、彼を撫でてみる。とても柔らかい。


 ぼんやりと彼をなで続けていたら、突然、ひらめいた。藤田さんが、ああいうひとなら、もしかしたら笑ってくれるかもしれない。そんな、ちょっとした "いたずら" をしちゃうことにした。


 私はメモ用紙を小さくちぎると "またお話、出来るといいですね" という一文の下に "萩原より" と、自分の名字を走り書いた。そしてその紙を細く折りたたんで、モリーさんの足に繋がっている革紐の結び目の間に差し込んだ。

 もちろん、彼が怪我をしないように気を付けて。


 何でそんなことをしようと思ったのが、自分でも分からない。でも、気付いてくれるかもしれないなって。

 もしも、途中で紙が落ちてしまったりするのなら、それも運命かな――そんな風に思いながら。



 数日後、登園すると、モリーさんを肩に乗せた藤田さんと目が合う。



「あ。きみ、ちょっといい?」


「は、はい」



 目を細めて、私の胸元を見下ろしていた彼は、納得したように「やっぱ、そっか」と呟いた。

 あの紙のこと、気付いてくれたんだろうか? 彼を見上げながらそう思う私に向かって、藤田さんはやっぱり静かに言う。



「きみさ。……あのメモ見たけど。モリーさん、伝書バトじゃないんだから。それに俺、きみの名前教えてもらってないからね。しばらく悩んで、探しちゃったじゃんか」


「あ……。そういえば」



 考えてみたら、藤田さんに名前を言っていなかった気もしてくる。さっき彼が見ていたのは、私の名札だったようだ。

 いくら接点がないとは言え、受付嬢の名字も知らないのはどうかと思うけど。



「あー。でさ……ずっとこのまま伝書フクロウする感じ?」


「ええと……」



 私は口ごもった。別に伝書フクロウがしたいわけではなかった。ただ、藤田さんともっと話がしてみたいだけ。

 だけど、そんなこと、面と向かって言えない。



「じゃ、そしたらさ」



 そう言って彼は、ポケットから施設案内の冊子を取り出して、差し出してくる。



「ここに俺の番号、書いといたから。よかったら暇なとき、連絡して」



 何だか楽しそうに、彼はモリーさんを止まり木に降ろして、去って行く。

 本当に、彼は思ったよりもよく喋る。


 眠そうに、片方の目をつぶっているモリーさんを見て、私はふっと微笑む。

 私はモリーさんに感謝しなくっちゃいけない。取り敢えず、藤田さんと話せるようにはなりそうだから。



「ありがとね、モリーさん」



 彼は、聞こえたのか意味が分かるのか、少し首を傾げて目をさらに細めた。


 私はすっかり、鳥が好きになっていた。これからもっと好きになるだろう。


 ――やっぱりこれも運命なのかな?

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