元町で死ね

@con

第1話

 おれが彼女と別れるきっかけとなった会話の一端は彼女からの「フクロウとミミズクの違いって知ってる?」という質問であり、おれは顔も上げずに「耳があるかないか」と返した。彼女は「そういうところだよ」といってアパートの部屋を出て行った。コンビニにでも行ったのかと思ったがそれっきりおれの部屋に戻ってくることはなかった。

 耳の何がお気に召さなかったのだろうか。いいや、実際のところフクロウ・ミミズク問答なんてことはほんの些細なことのはずで、ラクダの背を折ったのは一本の藁、というわけである。どちらが致命的に悪いということでもなくおさまりが悪かっただけのことだ。

 しかしそれはそれとして、なにゆえあの日あのタイミングで彼女はどういう気の向きようでフクロウなんて話題にしたのだろうか。おれはそのことを大学の友人らに話題として提供してみた。ほとんどの者は「わからん」と答え、いくらかの者は「フクロウとは厭世の象徴である」なんて訳知り顔で語り、そして極めて少数の者が「近所にフクロウカフェなるものができた」とニヤニヤして見せた。

 それで合点がいった。彼女はフクロウカフェに行きたかったのではないか。それで、自分からあけすけに行きたいとはどうにも口にしづらく、なぜならば彼女は彼女自身の嗜好をさらけ出すことが嫌いな性癖の人間であるようで、精神隘路をさまよった末におれにフクロウ・ミミズク問答を持ち出すことで、「そういえば世の中にはフクロウカフェなるものがあり、そこならば違いがわかるのではないか」という提案が出てくることを待ち望んでいたのかもしれない。あるいは世間一般的で凡庸な人生観に殉ずる(ママ)のであれば、当時はまだかろうじて彼氏としての地位にいたおれと二人で行くことに強い意味を持っていたとも分析できる。

 あれは最後のチャンスだったのだ。おれは彼女との三ヶ月の生活に良くいえば安定してありていにいえば飽いていたのだ。彼女が発する一字一句、彼女が作り出す一挙一動が特別な事象をもたらすものであると感じるにはシナプスを浪費し過ぎていた。ああ、あのとき友人たちとのLINE大喜利が盛り上がってなく、かつ、おれがもっと鳥類に興味をもつ人間であったなら。

 おれは泣いていた。彼女は同じ大学の人間であるから、これからも大学で彼女と出会うことはあるだろうが、しかしもはやおれと彼女との関係は以前のものではないのだ。おれが彼女を変えてしまったのかもしれないし、彼女がおれを変えたのかもしれない。もうむかしのおれたちは死んだのだ。

 おれはフクロウカフェとやらに一人で行ってみることにした。今日はテレビでいっていたとおりひどく寒い日だった。これは弔いであり罰でもあるのだ。突き刺さるような冷たい風がいまのおれにはお似合いに違いなかった。

「いらっしゃいませー」

 カフェーは薄暗かった。奥の壁際の席に人の気配はするのだがよく見渡せない。内装の雰囲気からすると夜はバーとして営業しているようにも感じられる。フクロウの店員に指を一本立てて見せると、店員はその指に噛みついてきた。こういうときに母親の手伝いが役に立つものだ。

 メニューは鳥語で書いてあった。おれはかろうじて「飲み物」という単語だけは読み取ることができ、店員にホットコーヒーを頼んだ。

「さようでございますか。そうなると当然ブラックということに……」

 注文を取りにきた店員は決まりが悪そうに語尾をぼかした。おれが黙ってうなずくとさだめし救われたという顔をした。

 しかしこのぉ、なんといいますかぁ、カフェーなんて有閑じみたところはぁ、わたくしのような浅学菲才で無趣味ないまどきの若輩にはぁ、まこと居心地の悪いものですな。こいつ昼間っから何を気取りやがってどこの開業医の御曹司殿でいやがる、なんてぇ目線をひしひしと感じますな。

 間がもたず、おれは煙草を吸った。無意識の動作だったがこいつは彼女に止められていたっけと思うと、いまではそんなお節介ですら身にしみて涙が出そうになった。

 ひさしぶりのニコチンは頭に効いた。脳内に閃光が走る。突然、おれの五感のすべてが危険を伝えて、反射的(膝蓋反射)に体を椅子から転げさせた。すぐにテーブルに重たい衝撃がぶち当たり、にぎやかな音を立てながらお冷のグラスが割れてマホガニーとアイボリーの合板でできたテーブルは木っ端微塵に砕け散った。逃げ出す客もいるのも当然で、彼ら彼女らが今後テーブルを食べたくなることは一生ないだろう。

 おれは床の上ですぐさま体をひるがえし、殺意の発信地を見据えた。フクロウとヒグマの過ちっ子のような生物が立っていた。ははあ、こいつがアウルベアというやつかと合点がいった。

 アウルベアはまだ立ち上がれていないおれ目掛けてバイクのような腕を振り下ろしてきた。一瞬見えたが、その手先には鋭く不潔な爪も生えているようだった。あんなものを食らって平気でいられるほどおれは心が広い人間でもなければ向こう見ずでもない。

 おれは必死で体を転がした。おれの頭の隣の床に、おれの頭と同じぐらいの大きさの穴が開いた。音と振動に三半規管がやられて気が遠くなった。すんでのところで避けられたが、これを十回連続で成功させたら百万円くれるといわれても無理に思えた。

 おれはこんなところでこんなことで死ぬのか。ひょっとしたら彼女は初めから何もかもこうなるとわかっていたのかもしれない。そこまでおれに愛想を尽かしていたのかと思うと、死んでお詫びするのも悪くはないように脳が感じようとしていることに内なるホムンクルスが気づいた。

 最期の瞬間、おれが感じたのは暖かさだった。いや、その液体は寒風と恐怖で凍えていたおれの顔面には熱湯にも感じられるほどの熱さだった。

「……バカ、そんなことあるわけないじゃない」

 首を一刀のもとにはねられたアウルベアの巨体が崩れ落ちると、そこには彼女が立っていた。両手で持っただんびらには赤い血がしたたっていた。おれは笑った。そうすることが正解のように思えた。彼女はあべこべに泣きながら、おれに甘えるように抱きついてきた。そうだ、彼女は初めから何もかもこうなることがわかっていたのだ。

 おれたちは二人で店を出た。今度は、そう、せめて一年ぐらいは。逃げ遅れた客たちが後ろから冷やかすような声をかけてくれた。少しだけ人類に興味をもてるようになれた気がした。(BGM:そして、神戸)

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