第22話 充実した異世界での日々・4
そこには強面の男性がいた。琴子は少し緊張しながらも、滞在許可がほしいと告げて、書類を差し出した。男性は何も質問せず、事務的に手続きを進めていたが、最後に保護者が必要になると琴子に告げた。
「保護者ですか?」
もし琴子が犯罪者であったり、もしくは経歴を詐称していたら、その保護者の責任になると彼は言った。もちろんどちらも該当しないが、保護者になってくれそうな知り合いなどマリアしかいない。だが、本人の同意なしに勝手に保護者に指名してもいいものかと迷う。
(どうしよう。マリアおばさんに許可をもらってから、また来ようかな。でも、滞在許可がもらえないと、その間は違法滞在になっちゃうよね)
どうしたらいいか考えていると、また何かトラブルがあったと思ったのか、アドリアンが近づいてきた。
「どうした?」
「保護者が必要と言われてしまって。知り合いはマリアおばさんしかいないけど、できるなら迷惑を掛けたくないからどうしようかな、と」
優しいマリアならすぐに承諾してくれるに違いない。でも住む場所、仕事まで世話をしてもらって、さらに保護者になってほしいなんて負担をかけ過ぎではないかと心配になる。思案しながらそう言うと、アドリアンはああ、と頷いた。
「保護者には俺がなる」
「え? でも……」
「マリアに迷惑をかけたくないのだろう?」
「……はい」
アドリアンにも、迷惑を掛けるつもりはなかった。
でも保護者がいないと滞在することができない。困っている琴子に、彼は優しく言い聞かせるように告げた。
「何かあったら俺の名前を出すようにと、言っておいただろう。もともと、ここで保護されるような者達には知り合いなどいない。そういうときは、関わった騎士が保護者になる。そう決まっている」
「……」
どうしたらいいか。
しばらく考えてみたが、他に良い案は浮かばなかった。
「すみません、お願いします。なるべくご迷惑をおかけすることがないように、頑張ります」
だからアドリアンに頭を下げて、お願いするほかなかった。
「団長、よろしいのですか」
「ああ。そのように進めてくれ」
心なしか、先ほどよりも柔らかい表情になった受付の男性が、滞在許可書を発行してくれた。
「ありがとうございました」
それを受け取り、礼を言う。
「この国の騎士が保護者になると聞いて、躊躇ったのは君が初めてだったよ。君なら何の問題もないだろう。早く故郷に帰れるといいな」
優しく声を掛けられ、もう一度頭を下げる。先ほどの受付の若い男性といい、どうやら騎士達も色々と大変のようだ。
(移住を希望している人達にも、事情があるんだろうけどね)
先ほど聞いたクスタニアという国は、内乱で大変だと言っていた。だから琴子が平和なこの国に辿り着いたのは、幸運だった。
(本当にわたしって、ラッキーなのかそうでないのかわからないな)
見知らぬ異世界に迷い込んでしまったのは不運。
でも優しいマリアに拾われ、好きな料理を仕事にすることができた。未知の食材、レシピもたくさんある。さらに知り合った騎士は目を瞠るほどのイケメンで、さらにとても優しい。
もちろん、早くもとの世界に帰りたい。
レシピサイトで色々な人達と交流しながら新しいレシピを開発したい。
もう戻れないかもしれないと思うと、胸が苦しくて、泣きたくなる。
でも悪いことばかり考えていたら、毎日がつらいだけだ。
幸運だったと思うことには素直に感謝して、今を精一杯生きるしかない。そう決意して、琴子は前を向く。
まずはこの世界で生きるための手続きをしなければならない。
「ええと、次は……」
「就労許可書。一階だ」
周囲を見渡す琴子を導くように、アドリアンが先に歩く。
「あ、はい」
彼のあとに付き従って、再び一階に戻る。
やはり一階のホールはとても混雑していた。また並ばなければならないと思っていたが、琴子の目的地である受付には、誰も並んでいなかった。見ていると、ほとんどの者は滞在許可も貰えずに帰っている。だから就労許可まで辿り着く者はいないのかもしれない。
受付にいるのは若い女性で、少し暇そうに周囲を見渡していた。彼女もまた、騎士服だ。
(この国では役所の仕事も騎士の仕事なのね。だったら剣が苦手でも、書類整理が得意だと騎士になれるのかな?)
そんなことを考えながら、受付に向かった。
するとアドリアンは今までのように背後で待つのではなく、琴子と一緒に受付まで歩いてきた。
「あの?」
「ここで最初にもらった書類と、滞在許可書を提出するように。最初から一緒にいたほうが、早く終わるだろう」
「う……。すみません」
この役所に来てから、二度も頼ってしまったのだから何も言えない。琴子はおとなしく、言われた通りにした。
「あの、就労許可を頂きたいのですが」
言われた通り、書類と滞在許可書を差し出すと、受付の女騎士は笑顔でそれを受け取る。
「はい、お預かりしますね。あ、働く場所の斡旋とか必要ですか?」
「職場はもう決まっている。マリアの店だ」
答えたのは琴子ではなく、隣にいるアドリアンだった。
「ああ、マリアさんの。だから団長が一緒にいるんですね。では、手続きをしてきますので、ちょっとお待ちください」
納得したように頷いた女騎士は、書類を持って奥の部屋に移動していく。琴子はアドリアンと並んだまま、そこで待っていた。やがて彼女は翡翠色をした、何の飾り気もないブレスレットと手帳のようなものを持って戻ってきた。
「お待たせしました。こちらが身分証明書。そしてこちらは確認のためにいつも身に付けておいてください。サイズを見ますね」
そう言って女騎士は、琴子の手首にそのブレスレットを嵌める。それは大きめで、腕を振ったら外れてしまいそうだ。
「あら、大きいようですね。もうひとつサイズが下のものをお持ちしますね」
そう言って彼女が持ってきたのは、先ほどのようなシンプルなものではなく、花の紋様が刻まれた可愛らしいものだ。
「すみません、もう少し小さいものだと子ども用しか……」
「あ、はい。大丈夫です。とてもかわいいですから」
さすがに子ども用はどうかと思ったが、彼女があまりにも申し訳なさそうなので、笑顔でそう言った。
「そうですか。よくお似合いですよ」
琴子が明るくそう言ったので、女騎士は安堵したように微笑む。
「また何かあったら来てくださいね。何でも相談に乗りますから」
「はい。ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をすると、隣にいたアドリアンを見上げる。
「お陰で無事に終わりました。ありがとうございました」
彼もまた笑みを浮かべて頷いた。
「店まで送っていこう」
「え、でもお城に用事があるのでは……」
だからアドリアンにここまで連れてきてもらったはずだ。そう思って首を傾げると、彼は真面目な顔をして琴子を見つめる。
「何だか目を離すとトラブルに巻き込まれていそうで、放って置けない」
「そ、そんなことは……」
ないと言いたいが、今までのことを考えるときっぱりと言い切れない。
「さあ、帰ろう。そろそろマリアも戻って来るだろうし、店の準備もあるだろう?」
「はい。お世話になりっぱなしで、本当にすみません」
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