異世界でレシピ本を作ろうと思います!
櫻井みこと
第1話 料理にしか興味のなかった日々・1
「ありがとうございました」
食事を終えて部屋を出ていく客に、琴子は明るい声でそう呼びかけた。
ここは繁華街から少し離れた場所にある、小さな喫茶店。
木造りの建物は少し古びているが、手入れが行き届いていつも清潔にしている。さらにメニューも多彩でデザートがおいしいとあって、常連の女性客も多かった。
今日も平日であるにも関わらず、ランチタイムは満席。調理担当の琴子も、ときどき調理の手を止めて、配膳や会計を手伝わなくてはならないほどだった。
そんな忙しさもようやく一息ついた。
テーブルに残された食器を片付けながら、琴子はちらりと時計に視線を走らせる。
(一時半か。そろそろ落ち着くかな)
店内に目を向けると、まだ食事をしている客が二組ほど。これならもう、任せても大丈夫だ。
「りぃちゃん、わたし、ケーキの準備に入るね」
「はーい、お願いしまーす」
接客担当の里衣にそう声をかけて、調理室に戻る。
午後からはティータイムの時間で、日替わりのケーキセットもランチと同じくらい好評だ。この店の調理を一手に引き受けている琴子は、今度はケーキの準備に追われていた。
まずはショーケースを確認する。
ケーキはランチのデザートに頼む人もいるので、朝に準備したぶんでは足りなくなってしまうこともある。とくに今日は、いつもよりもたくさん売れたようだ。
「レモンタルト、紅茶のシフォンはまだあるね。あと準備するのは……。モンブランかな」
日替わりのケーキはいつも三種類。それに好きなドリンクをつけることができる。ここの店主は紅茶に凝っていて、茶葉もかなりの種類が揃っていた。だから自然と客も、コーヒー派より紅茶派のほうが多かった。
(コーヒーなら何でも合うけど、紅茶に合うケーキってなかなか難しいのよね)
紅茶の繊細な風味を消してしまわないように、ケーキはあまり甘すぎてもいけないし、かえってあっさりとしていても物足りなくなる。こだわりのある店主にそう言われていて、気を付けるようにしていた。琴子は茹でた栗を裏ごし、生クリームを入れて固さを調整していく。
「あ、モンブランだ。おいしそう」
食器を片付けにきた同僚の里衣が、琴子の手もとを覗き込んで感嘆の声を上げた。
「旬だからね。りぃちゃんも食べる?」
「うん、食べる! ことちゃんのケーキ、おいしすぎるよ」
嬉しそうに声を上げた彼女のために、ひとつ余計にケーキを作る。もちろん、味を見てもらう意味も込めてだ。
そして手早くケーキを作り、ショーケースに並べる。
「よし、できた」
その頃には、店内にも客は残っていなかった。そろそろ昼休みを取ろうと思った瞬間、タイミングよく店主が顔を出す。
「琴子ちゃん、里衣ちゃん、お疲れ様」
「お疲れ様です」
「おつかれさまですー」
店主は五十代の男性で、穏やかで優しい人だった。
彼がこの店を開店したのは、今から十年ほど前のことらしい。
開店当初は妻とふたりで切り盛りしていたが、五年ほど前にその妻が病気になってしまい、調理担当として琴子を、そして接客担当として里衣を雇っていた。
「今日も大盛況だったね。ありがとう。ふたりのお陰だよ。あとは僕が店番をしているので、お昼休みに入ってください」
「はい。ありがとうございます」
「はーい」
琴子はエプロンを外して休憩室に入る。
持参したのは手造りの弁当だ。料理好きな琴子は弁当箱にも凝っていて、色々なサイズのものを持っている。今日のお弁当箱は、やや大きめのもの。それは一緒に休憩をとる里衣のためだ。
「あー、おいしそう。卵焼きの色とか、たまらないねー」
コンビニで買ってきたらしいパンと、紙パックのコーヒー牛乳。それが彼女の昼食らしい。琴子は弁当箱の蓋に卵焼きと温野菜、そして手造りの肉団子を乗せる。
「これ食べて」
「え、いいの?」
「うん。それだけだと身体に悪いよ」
栄養バランス、大事。
そう言って手渡すと、里衣は感激した様子で卵焼きを頬張る。
「おいしい! ことちゃんって本当に料理が上手だね。お母さんみたい」
「お、お母さん……」
料理が好きで、栄養バランスが足りていない人を見ると、つい口を出したくなってしまう。たしかに自分でも、おせっかいだと反省している。
でも同い年の友人にお母さんみたいだと言われると、さすがにこたえる。
固まった琴子の様子を見て、里衣は慌てたように付け加えた。
「あ、悪い意味じゃないよ。この卵焼きなんて、ベテラン主婦が作ったみたいだもん。子どもがふたりくらい、いるみたいな」
「そ、そう。ありがと……」
どうやら里衣としては褒めてくれているらしいが、ベテラン主婦どころか恋人もいない琴子には、地味にダメージを受ける言葉だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます