第6章 僕とイグニス

第39話

 顔に大きな傷のある隻腕の女性。

 僕は彼女と旅をしている。

 僕と彼女は炎の中で出会った。


 彼女の名はイグニス、かつて魔王との戦いに終止符を打った伝説の聖剣――

 その残骸が、人間の形を取った存在だ。


 僕は、1人の勇者に彼女を託された。彼は魔王を打ち倒し、世界に平和を取り戻した真の勇者だ。

 だが、世界はそんな彼に優しくしてはくれなかった。

 彼の存在が邪魔と見なされたどこかのお偉いさんに、命を狙われてしまったのだ。


 全く持って酷い話。そして、人間の弱さをこれでもかとあらわした話だ。


 そう、人間は弱いもの、弱くてもろい人間は何かにすがってないと生きていくことなんて出来やしないんだ。

 僕の場合は彼、アデルさんとの約束だ、僕はそれを軸に生きている。





 ―王国歴282年、国境の街トリステッド―


 オネリア姉さんに連れられて、近くの村まで行った事はあったが、こんなに大きな街は初めてだった。街にはしっかりとした城壁が張り巡らされ。門には槍を持った衛兵が背筋を伸ばしている。


 入街の為の検査も終わり、やっとの事で人心地だ。旅の資金はオネリア姉さんから貰っているので暫くは心配ない。とは言え行く当てもない旅だ、節約できるところはしていかないと、すぐにでも立ち行かなくなってしまうだろう。


「さてと、先ずは泊まるところでも探そうか」


 大道芸を披露するのは拠点を見つけてからでも遅くない。芸を披露する下調べの意味も兼ねて、僕は街を散策する。


 わいわいがやがやと、大通りは押すな引くなの人だかり、極々小規模なコミュニティーで育った僕には、目がくらくらするような賑やかさだ。


「人酔いってこう言う事を言うんだな」


 行列待ちで押しくらまんじゅうしていた時は、まだ街に入ると言う共通目的があったから何ともなかったけど、今ここにいるのは千差万別、考えていることがバラバラの人たちだ。フワフワしていて落ち着かない。


 こんなとりとめのない事を考えているのも、ガラになく緊張しているせいだろうか? あのゆりかごの中では味わえなかった感触を楽しみながら、僕はゆっくりと足を進めたのだった。





 宿屋に荷物を預けて身軽になった僕はリュート一つを抱えて、通りをぶらついていた。時ヒア丁度夕食時。どこか繁盛している食堂にでも入って一曲披露すれば、ただ飯にありつけないかなとの下心込みでだ。


「こんばんわー。席空いてますかー」

「あいよいらっしゃい!」


 ドアを潜るとがやがやと心地のいい喧騒が大きくなる。僕の見立て通り繁盛しているお店のようだ。


「あー坊主。すまねぇが見ての通り、いっぱいでな、相席で良いなら用意できるぞ」

「ええ、僕は構いません」


 待つことしばし、僕はウエイトレスさんに案内されて、奥のテーブルに足を運んだ。


「やあすみませんね、相席させてもらっちゃって」

「いやいや、うちは構わないにゃ。丁度人寂しかったところだにゃ」


 僕のお相手はキャットピープルの女性だった。彼女は冒険者何だろう。壁に立てかけられている使い込まれた剣が目についた。


「にゃしししし。見てても何も出ないぞ少年。それにしても少年も中々面白そうなものをぶら下げているじゃにゃいか」

「ああ、これですか」


 僕は腰に下げたイグニスを軽く持ち上げる。刀身が半ばから折れているのでそれに合わせた鞘に新調しているが、見る人が見れば一発で不自然なものだと分かるのだろう。


「それは元々ブロードソードにゃ? にゃんでそんなものをぶら下げてるのにゃ?」

「んー、恩人の形見みたいなものでして」

「それだったらそれで、短剣として打ち直せば……いや、わすれるにゃ、初対面の少年に踏み込み過ぎた質問だったにゃ」

「いえいえ構いません。不自然なのは自覚してますから」

「きひひひひ。不躾な質問をしてしまったわびにゃ。今日はお姉さんがおごってやるから好きなものを食べると良いにゃ」


 こいつはラッキー。頂ける者は遠慮なく頂いておこう。僕は何やら上機嫌なお姉さんの言葉に甘え、この店のおすすめを注文した。


「にゃんと、その年で優雅な一人旅とは随分と気前がいい話だにゃ」

「まあ色々と条件は付けられましたけどね」


 その一つが、ミコット姉さんとの腕試し。姉さんは義手・義足の身でありながら、並みの冒険者など歯牙にもかけない程の腕前だ、そんな彼女から一本取るには随分と時間が掛かってしまった。まぁ最後の方は大分おまけしてもらったような気もするけど。


「所でお姉さんは、何か良い事でもあったんですか?」

「みゅ? ああ、たいしたことないにゃ。一仕事終わったんで浮かれてるだけだにゃ」


 お姉さんはそう言ってエールを煽る。


「それはおめでとうございます」

「みゃみゃみゃ、そう大した仕事じゃにゃかったにゃ。その割には物入りの良い仕事だったんで、ウチとしては大儲けにゃ」


 お姉さんはニンマリと口角を上げる。仕事内容について突っ込んで欲しいのかとも考えるが……あまり深入りするのも得策ではないだろう。


「ところで少年。そっちの持ち物も飾りなのかにゃ?」


 僕が話に乗って来ないと分かると、お姉さんは少し残念そうな顔をして、今度はリュートの方を指さした。


「いえ、こっちは現役ですよ」


 僕はそう言ってリュートを上げる。


「にゃー。それじゃ、おごってやったお礼をするにゃ」

「ええ喜んで」


 僕は、大将の方へ振り向き、リュートを上げる、すると大将は、笑顔で親指を上げてくれた。

 僕が奏でるのは聖剣を謳った歌。この国の住人ならだれでも知っている聖剣伝説だ。





「にゃー、にゃかにゃかやるじゃにゃいか少年」


 タップリとエールが入って上機嫌なお姉さんは、拍手で僕を迎えてくれた。


「あはははー。ありがとうございます。家族以外に披露したのは初めてだったんで緊張しましたよ」

「これがはじめてにゃ!? 少年は余程太い肝っ玉を持ってるにゃ!」


 ははは、と僕は愛想笑いを浮かべる。そこら辺のブレーキが少しゆるいのは人間爆弾にされた後遺症だ。僕は他の人よりも、感情が薄くなってしまっている。だから、その事を悟られないように常に笑顔を心がけているのだ。


「はっはっは、坊主! 中々いい演奏だったじゃねぇか」


 大将はそう言って、ドリンクをサービスしてくれた。火照った喉に、冷たいドリンクが染み込んでいく。

 僕の演奏なんて素人に毛が生えた様なものだ、それなのに、こんなに喜んでもらえるのは食堂の雰囲気もあっての事だろう。皆が笑いあえる良い空気。この場所、この瞬間だけ切り取れば、ここは正に平和な世界そのものだった。


「にゃししししし。いいか少年よく聞くにゃ」


 あれから何曲か披露したら、お姉さんはすっかりと出来上がってしまっていた。


「あははははー。どうしたんですか、お姉さん」


 そう言ってお姉さんは僕の首に手を回す。間近で吐かれる息がとてもお酒臭い。

 本格的な酔っ払いを相手にするのは初めてだ。ウチでお酒を飲むのはミコット姉さん位だけど、彼女は元凄腕の盗賊、一線を越える様な飲み方は決してしなかった。

 お姉さんは、息をひそめて「ここだけの秘密にゃ」と言って僕に耳打ちをしてきたのだった。

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