第8話

 次の日の稽古現場には、妙な空気がまん延していた。それは、リリアノと団長の姿が見えなかったからだ。


「にゃー、団長がほっぽり歩いてるのは何時ものこととは言え、リリアノは何処にいったんだにゃー」

「リリアノさんなら、今日は外せない用事があるから、怪我しないように練習は軽めにって」


 伝言を任されたホビットの新人は、不機嫌なチェミットにビクビクしつつ、そう言った。


「……マスター、嫌な気配がするな」

「……そうだね、イグニス」


 昨日までのここは、正に理想郷のようだった。だがそれは脆くも崩れつつあった。


「ねぇ君、リリアノさんがどこに行ったのか知らされて無いの?」

「はっ、はい、済みません」


 明日が本番と言う大事な時に、マネージャー兼、楽隊のリーダーである彼女が不在、たった一人が掛けただけなのに、平和な世界は脆くも軋みを上げていた。


「皆さんは練習を続けてください、僕たちが様子を見てきますよ」

「にゃっ、客人にそんな事をさせる訳にはいかないにゃ」

「いやいや、僕たちだからですよ。皆さんは本番を控えた大事な身、僕たちならば最悪何かあっても明日の公演は普通に行える。だから、今日は僕たちに任せてください」


 むずるチェミットさん達を言いくるめ、僕たちはテントを後にした。





「さて、大口をたたいたものの、どこに行こうかイグニス」

「そうだな、マスター」


 リリアノさん達の事を心配する皆が、寄ってたかって彼女が寄りそうなところは教えてくれたものの、土地勘がある訳でもない僕たちは途方に暮れていた。


「取りあえず、団長に声を掛けられたあの広場に行ってみようか」

「そうだな、マスター」


 僕たちは団長たちの姿を探しつつ、目を凝らしながら街を歩く。街は僕たちの心中なんかお構いなしに、何時もの賑わいを謳歌していた。

 僕たちは探した、探して探して探し回った。だけど僕たちの努力は徒労に終わる。青い鳥の話ではないが、探し物は直ぐ傍にあったのだった。





「客人たちは大丈夫なのかにゃー」


 気にせず調整を続けろと言われても、今の浮ついた気持ちでブランコになんて乗れるわけがない。チェミットは、テントの中を右往左往していた。


「あー全く鬱陶しいねぇ、ちょっとは落ち着きなよチェミット」

「みゃー、そうは言ってもどうしょうもできにゃいにゃエリシア」


 チェミットの様子に呆れ声を出すエリシアも、その内面は同じこと。彼女はこの団では一番の古株だ、団長とリリアノと言うかなめが居ない今、精一杯の虚勢を張って落ち着いて見えるように振る舞っていた。


「まぁなんさね。練習出来ないって言うのならそれでいい、そんならここで油を売って泣いて自室で目を瞑って大人しくしてな」

「にゃー……」


 エリシアがそう言ってチェミットをテントから追い出そうとした時だった。


「おい! 大変だ!」


 テントの入り口から、団員の焦り声が聞こえて来る。


「なんだい! いったいどうし……って、くそっチェミット! 先走んじゃないよ!」


 団員の焦り声を聞いたチェミットは、一目散にその声の元へと駆け出す。その速度は正に電光石火。団のエースの名に恥じない速度だった。


「どうしたにゃ! ってリリアノ!?」


 飛ぶように駆けたチェミットが、テントの外で目にしたのは、筋骨隆々の刺青男の足元に転がされたリリアノの姿だった。


「ちょっと、チェミッ……おいアンタ、そいつはどういう了見だい?」


 エリシアは、頬にあざを作り、縄で縛られ地面に転がされたリリアノを見て、静かに、静かにそう問いかけた。

 だが、刺青男はニヤニヤと笑うだけで何も答えることは無かった。それに答えたのは別の声だ。


「ほっほっほ。どういう了見でございますか」


 その声は、とびっきりに悪趣味な馬車から聞こえて来た。如何にも無駄に金がかかっていそうなその馬車のドアが開き、中から降りて来たのはでっぷりとした二重あごを揺らした中年の男だった。


「にゃんだてめぇ! 今すぐリリアノを離すにゃ!」

「落ち着けチェミット! アイツはヤバイ!」


 今にも襲い掛かりそうなチェミットを他の団員が羽交い絞めにする。


「五月蠅い! 離すにゃ! リリアノが! リリアノが!」

「駄目だ! アイツは駄目だ!」

「なんでにゃ! お前はリリアノが!」

「あいつは駄目なんだ! アイツはカザット、悪魔のカザットだ! 奴に手を出したら牢屋じゃ済まねぇぞ!」

「ほーっほっほ。それはそれは人聞きの悪い」


 カザットは酷く愉快そうに、腹を揺らした。


「私は被害者なのですよ皆さん」


 カザットはそう言って両手を広げる。


「ほーう。それは一体どういう案件さね」

「おや、貴方は冷静なのですな」


 暴れふためくチェミットを庇うように前に出たエリシアは、静かにそう問いかける。


「ご託は良い。さっさと質問に答えな」

「ほっほっほ、怖い怖い。ではお答えしましょう。そこの薄汚い小人族は在ろうことか私の屋敷に忍び込んで盗みを働こうとしたんですよ」


 その答えに、リリアノは歯を食いしばって団員たちから視線をそらす。ジャリと砂を噛む音がした。


 リリアノが訳も無くそんな事をするはずがない。そしてその相手は悪名高い投資家のカザット。エリシアはその訳を察し。強く拳を握りしめる。


「……そうかい、そいつは悪かったね」


 エリシアはたっぷりと一息ついた後、何とかその言葉を発することが出来た。自分はこの団では一番の古株だ。本来ならばリリアノの立場には自分が立っていた筈だ。だが、金勘定が得意なリリアノに甘えて自分は現場に掛かりきりだった。その事を今ほど後悔した時は無かった。


「まったくですよ、この薄汚い小娘が」


 カザットはそう言ってリリアノを足蹴にする。


「ふざけんじゃねぇぞてめえ!」

「くっ! チェミットを押さえろ!」

「違うにゃ! あちきじゃない! ミランにゃ!」


 その暴行に猛ったのは、団一番の怪力の持ち主。リザードマンのミランだった。彼は羽交い絞めにしていたチェミットを仲間へと放り投げ、一直線にカザットの方へと突進した。


「エンバック、頼みましたよ」

「オーケーボス」


 だが、カザットは微塵の余裕たっぷりに、リリアノの背から足をのけることは無かった。


「ああああああああ!」

「こいよ、蜥蜴野郎」


 ミランは2m30cm近い巨体を誇る。それが高速で突撃をして来るならば、その威力は分厚い鉄扉をもへし曲げる。


 だが――


「はっ、そんなもんか蜥蜴野郎」

「がっ!?」


 だが、その突撃はエンバックにより片手で止められていた。


「そんなもんかと言ってんだ!」


 ズドンと言う鈍い音が響く。


「ミラン!」


 エンバックの拳が、ミランの腹に深々と突き刺さり、ミランの巨体が宙に浮く。


「がああああ!」


 ミランは苦悶の表情を浮かべつつも、目の前の障壁を打ち砕くべく。固めた拳を振り下ろ――


「遅えよ蜥蜴」

「がっ!」


 ベキリと嫌な音が響いた。エンバックは振り下ろされた右手を左腕で受け止め、その肘に手刀を一撃。ミランの腕はあり得ない方向にへし曲がっていた。


「ミラン!」


 団一番の怪力の持ち主が、否、大切な家族の一員が弄ばれているのを見て、団員たちは悲鳴を上げる。


「オラオラ如何した蜥蜴野郎! 威勢がいいのは最初だけか!」


 だが、エンバックの嗜虐性はそれだけでは収まらない。彼は子供がおもちゃを振り回すように、一方的に解体――


「そこまでだ、貴様」


 振り上げたエンバックの手を止める、華奢だが、傷だらけの手があった。





「大丈夫ですか、ミランさん」


 僕はボロ雑巾の様に痛めつけられたミランさんの元に駆け寄った。彼は酷い有様だ、これでは暫く動くことすらままならないだろう。


「なんだテメェ!」


 ミランさんをいたぶっていたおっかない刺青男は、イグニスに向け拳を振るう。イグニスは隻腕だ。片手で彼の手を塞いでいても、もう片方は完全にフリー。彼は開いた片手で、好き放題イグニスを殴り飛ばす。


「皆さん! ミランさんを安全な場所へ!」


 何がどうなっているのか分からないが、僕たちが遅れてしまった事だけは確かだ。僕はミランさんを団員の皆さんに任せて、成金趣味のおじさんの方へと振り向いた。


「あのー。取りあえず、その足をどけてもらっていいですかね?」


 彼の足元には縄で縛られたリリアノさん。足蹴にされる女性を見るのはあまり気分が良いものでは無い。

 僕がそう言うと、そのおじさんは変なものでも見た様な顔をして僕を覗き込んできた。


「お前は何だ? 見ない顔だな?」

「僕は、昨日からここでお世話になっているしがない旅芸人です」


 そう言ってニコリと挨拶。ところが、折角挨拶をしたと言うのに、そのおじさんは気持ち悪いものを見た様な顔をして僕を見る。


「なんだ……気持ちの悪い小僧だな」


 おじさんはそう言って言葉を濁す。何だとは何だろう? 『初対面の人にはしっかりと挨拶を』姉さんから教わった基本的な礼儀作法だ。


「あのー、それで、何時その足をどけて頂けるのでしょうか?」


 リリアノさんが苦しそうだ。これは良くない。


「ええい、気持ちの悪い。ともかく、この団は私の物なのだ! それはこの契約書に書かれている!」


 おじさんはそう言って懐から紙切れを取り出した。


「いいか! この契約書にはこう書かれている! 期日までに借金を返済できなければ経営権を譲り渡すと!」


 カザットさんは自信満々に高々とその契約書を掲げ――


「これが、そうなのか? 何と書いてあるんだマスター」


 一瞬の早業、さっきまでエンバックさんの相手をしていたイグニスはカザットさんから契約書を奪い取った。


「なっなんだ? あの女は」


 エンバックさんはそう言って息を切らす。まぁそれは当然だ、彼女はイグニス。伝説の魔王を打ち滅ぼした聖剣だ。エンバックさんがどれ程強かろうが、魔王より強い事なんてありはしないだろう。


「にゃにゃにゃ! よくやったにゃイグニス! そんなもん破り去ってしまうにゃ!」


 にわかに景気付く団員達。だが、事はそううまく運ばなかった。

 カザットさんの背後、テントの外側が、妙に騒がしくなってきたのだ。


「カザット氏、これは一体どういうことなのですか?」


 そこに並ぶは、そろいの制服を身に纏った兵士たちの姿があった。


「示談で済ませようと思ったのですがね、こうなっては致し方ない。彼女の身柄は騎士団に預けさせてもらいますよ」

「にゃ! やめるんだにゃ!」


 チェミットさんの訴えも虚しく、リリアノさんの身柄はスムーズに兵士たちに引き渡される。

 その手際の良さから、彼らが裏で繋がっているのは一目瞭然。薄暗い事なんて簡単に揉み消されてしまうだろう。


「こりゃ不味いねイグニス」

「そうなのか? マスター」

「あれは多分この街の騎士団だ、リリアノさんが彼らに囚われたら、きっと多分、面倒くさい」

「ふむ、よく分からんが。リリアノを取り返せばいいんだな」


 イグニスはそう言うと剣を抜く。

 その思い切りの良さに、僕を除いた皆は動揺の声を上げる。


「にゃにゃ! そっそれは嬉しいけどちょっと不味いにゃ!」


 こうなったらイグニスは止まらないし、僕にそうする意思も無い。彼女は聖剣イグニス、正義の炎にして、悪を滅する破邪の刃だ。


 僕は懐から契約書を取り出した、これはリリアノさんが用意した僕たちの雇用契約書、僕はそれを破り捨てるとこう言った。


「チェミットさん、そして皆さん、短い間ですがお世話になりました」

「にゃにゃにゃ! 何をいってるかにゃ! 客人!?」

「それで、つきましては給金の代わりは、リリアノさんの体で払って頂きます」

「にゃにゃにゃ!?」


 僕は疑問符を浮かべるチェミットさんを無視して、イグニスの背中に右手を触れる。


「行こう、イグニス」

「了解だ、マスター」


 僕たちは炎に包まれる。それは聖なる炎、邪悪を滅する無垢なる炎。

 炎の中で、イグニスは一振りの剣になる、その剣は半ばからへし折れていて、剣身には無数の傷が刻まれている。


「にゃにゃにゃ!?」


 炎に包まれた僕は早変わりをする。黒髪は金髪になり、瞳の色も黒から金に。全身に力が漲り、世界が止まって見える程に、意識が広がっていく。


「きっ、貴様は何者だ!」

「言ったでしょう、僕たちはただの旅芸人。約束の地を探し求める旅人です」


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