最終話 自分で持った筆は自分で折る

「良かったの?」

「うん、良かったの」

 結婚式をしない私たちにとっての初夜は婚姻届を出した今日なのだろうか? 彼には午後から休みを取ってもらって2人で役所へ行った。出し終わった後は何か特別なことをするでもなく、近所のスーパーとコンビニへ行って2人で買い物をして、2人で並んで台所で料理をして、2人で仲良くカルボナーラを食べた。たまに泊まりに来ていた時と変わらない時間が過ぎている。時計の針は午後7時を指していた。明日は2人とも仕事だから、11時に先週末に新しく買ったクイーンサイズのベッドに入る。


 3月28日木曜日、私は彼と籍を入れた。突然の話だったにも関わらず、両親は彼に何度も会ったことがあったからかすんなりOKしてくれた。彼のご両親にご挨拶した際はもっと結婚は早いかと思ったと言われた。急に決めたので彼氏が1人暮らしをしていた部屋に先週末私の荷物を持ってきた。2人で住むには狭いと言われたら確かに狭いが、そこまで気にしていない。元々物はあまり持っていなかったし、引っ越しを機に断捨離できたし、ちょうどよかったと思っている。親からはミニマリストを目指しているのか? と聞かれたが、そんなつもりは全くなかった。きっと、気持ち的に色々手放したかったのだと思う。


「無期限休止、くらいにしておけばよかったのに。完全にやめなくても」

「中途半端は嫌だったから」

 思いつかなかったから逃げた、と言われても可笑しくないタイミングでのマドラースプーンを脱退した。女子会にもしばらく出られないと伝えた。結婚を機に辞めたいというのが建前で、大学の同期たちにも話していない本当の理由は、私が4月1日から無職になってしまうから。

 大きい建設会社と吸収合併する、その話をされたのは答え合わせをした女子会の3日後、2月最後の月曜日だっただろうか。社長夫婦は合併先には勤めず本州の娘さんの所へ行ってのんびり暮らすそうだ。そして、私のことを社長はギリギリまで交渉してくれたらしいが、その会社にぺーぺーの私なんか雇わないと断言されたという。その翌日に1日休みを貰って派遣会社の登録会に参加した。会社都合で3月末に退職、事務経験1年(外回りもした)はそれなりに有益なものらしい。登録してすぐに名前を聞いたことがある企業の事務の仕事内容がやってきた。世の中正社員にこだわらなければ就職先はあるのかもしれない。

「昨日も言ったけど、専業主婦でも良いんだよ? 2人とも子ども欲しくないしお金使うような趣味もないんだから、節約していけばやっていけるよ」

「でも、1年働いただけで専業主婦になるって怖いよ。何かあって私がまた働かなきゃいけなくなった時、人事の人は社会人経験1年の人なんて雇ってくれないよ」

「……まぁ、そうだけど。もう少し、頼って欲しいかなとは思う」

 午前中に3ヶ所の職場見学をして、最後に伺った場所で働くことになった。まずは3ヶ月間。こんなことになるなんて、1年前の私は思わなかっただろう。とりあえず退職金は貰えるらしいからよしって感じだ。


 ベッドへもぐりこみ、部屋の電気を消す。私の心にあった気がする小さな光も消えていく。

「これからよろしくお願いします、奥さん」

「おやすみなさい、元彼」

「元彼って、酷いな。まぁ、彼氏から旦那になったし良いか。おやすみなさい」

 そう言って数分もしないうちに寝息が聞こえてきた。役所へ行った時も緊張していたし、午前で抜けるからってかなり詰め込んで色々仕事やってたみたいだし、仕方ないか。深呼吸をしてから、意を決してSNSを開く。



「夜分遅くに失礼致します。この度ブルームーンはマドラースプーンを脱退し筆を折ることにしました。短い間でしたが、皆さまのおかげで楽しい時間を過ごすことが出来ました。今までありがとうございました。今後のことにつきましてはリプライ欄に続けて書きます。」


「(続き)

投稿サイトのアカウントは消さずに残しておきます。スローペースになってしまうかもしれませんが、メンバーを含め他の方の作品をこれからも読み進めていきたいと考えています。感想もこれまで通り積極的に書いていきます。私個人のSNSアカウントを作る予定はありません。ありがとうございました。」



 翌朝。いつも通り電車に揺られているとスマホが震えた。取り出して小さな液晶を見るとメンバーの1人が「マドラースプーンアカウント、通知やばい」とグループメールに送ってきていた。私は昨日メッセージを投稿したあとログアウトしていたから気がつかなかった。検索してみると私の投稿に何件かコメントが来ていたようだ。拡散もされていたため合計でまぁまぁな数の通知になったんだと思う。コメントが来ていたのは、よく私が感想を書いていた人たちだった。サイト内でマドラースプーンのSNSアカウントに繋がるURLを貼っていたので、そこから来てくれたのかもしれない。ありがたいな、と思いつつ申し訳なさに襲われる。外の景色は会社最寄りの駅近くになる。

「お降りのお客様は、忘れ物のないようにお気をつけください」

 でも、これで良かったんだ。旅立つときは手ぶらが良いんだ。身軽な方がきっと良いんだ。無謀な夢とか、やりたかったこととか、全部置いて行こう。


 ──私は、小説家にはなれませんでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

タイトルも何も決められない私は小説家になれますか? 【お世話になりました】そうま @souma0w0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ