#36 最後の答え

 ものすごく当たり前の話ではあるのだが。

 カノプスの配下連中は、人質となった俺に優しくなかった。

 便所に行ったところを見つかるや後ろからぶん殴られて気絶させられ、気がついた時にはもうここに監禁されていた。広大なスペースの中を用途のわからないタンクやらパイプやらが行き交っていることから考えるに、エーテルジャムの製造工場か何かだろうか。

 地下だからなのか、それとも低温の方が製造設備に優しいからか、空気は深夜の外気よりも冷たく湿っていて、それがしこたま殴られた傷にしみる。気休めに唾でもつけようかと思うけど、あいにく両手は手枷と鎖で磔刑台めいた器具に拘束されていて、俺にはその気休めさえも許されない。

 それにしても、わざわざ磔にしておくとは。カノプスめ、よくよく芝居がかったことが好きなヤツだ。心の中で毒づくよりはバーカバーカと声に出して叫び散らしたいのだが、そんなことをすれば周囲を巡回している黒ローブどもが面白半分に俺を痛めつけにくる。

 というか、今まさに来ていた。反抗的な目つきだと言わんばかりにこっちを睨みつけて、岩みたいな拳を固め――うわバカやめろ許してくださいお願いします!

 もちろん、俺の懇願なんてものが聞き入れられるわけがない。何かが潰れる嫌な音が鼻のあたりで弾けて、せっかく止まっていた鼻血が再発した。


「くそ、おまえらアイリスさんが来たら全員ボコボコだからな! 覚悟しろよ!」


 さすがに腹が立ってぶちまけるけれど、俺を殴った奴は一発で気が済んだらしく、せっかくのこけおどしを気にも留めることなく去っていく。

 そうして俺はまた、ひとりぼっちの晒し者になった。

 はああ、と人知れず痛みにあえぐ。さっきから言動思考ともにふざけることで平常心を保ってはいるが、正直言えば心細いにもほどがある。

 アイリスたちは無事だろうか。最悪、俺と同じように捕まっているか。捕まっていなくても、俺の居場所までたどり着いてくれるかどうか怪しい。

 思わず、考えがマイナスの方に向きかける。いかん。こんな状況でも諦めるな。できることを模索しなければ。

 素早く周囲に目を巡らせる。あるのはライトブルーの液体を貯蔵し注入する各種設備と、どこからか運び込んだとおぼしきカプセル状の物体だ。科学系のブログで見たことのある酸素カプセルによく似ていて、しかし外装には異世界的な呪紋や魔方陣がすみずみまで刻印されている。

 エーテルジャムはともかく、あのカプセルはなんだろう。目を凝らしていると、ふいに周囲で足音が聞こえ始めた。

 徐々にこちらへ近づいてくる三人分の足音に、俺は次はどこを殴られるんだろうと覚悟して――そしてまた、ふざける余裕を取り戻した。


「……ごめん、トイレを間違えたんだ」


 見れば、そこにいたのはアイリスとウロギリさん――そして未だに俺と同じ姿の男ことカノプスだった。アイリスの剣とウロギリさんのクナイに脅されているようにも見えるが、その泰然とした余裕はおよそ不利な側のそれじゃない。


「大丈夫?」


「たった今、大丈夫になったところだよ」


 二人に再会できて安心したのもつかの間、俺は胸の中に何か安心とは真逆のものが膨らみつつあるのを感じた。

 気になるのは、カノプスの余裕だ。どう見ても、ここに『連れて来させられた』という態度じゃない。むしろ勝ち誇るようにさえ見えるこいつのたたずまいは、自らの目的どおりに『連れてきた』者のそれではないだろうか。

 そう思った途端、目の前の空間がじわりと滲んだ。

 絵画に水を落としたような滲みはまるで人が忍び歩くようにゆっくりと、アイリスとウロギリさんへと迫り――俺は叫んだ。


「とッ、透明な敵!」


 たぶん俺がいなくても気づいていただろうが、叫んだ意味はあった。ウロギリさんとアイリスは俺の警告に一瞬たじろいだ敵の機先を制し、それぞれクナイの投擲と剣の大振りでもって透明な敵を迎撃する。


 ばらばらと紙吹雪が落ちるように、透明化を為し得ていた力の残滓が剥がれ落ちる。現れたのは二人の黒ローブで、そいつらはそれぞれ白と黒の魔方陣から、無数の光弾と毒々しい色彩の大蛇とを呼び出した。

 ウロギリさんは懐から取り出した大風呂敷を翻して光弾を防ぎ、宙へ舞ったアイリスはその隙に大蛇を両断した。


 その瞬間、紙吹雪のように散っていた力の残滓が渦を巻き、やがて二本の光る刃の姿を為した。空中から勢いよく射出されたその剣は完全に二人の隙を突き、アイリスはすんでのところで防御するものの、ウロギリさんは回避が間に合わずに装束の一部を切り裂かれる。


「驚きの三段構えでござるか。もしやこれが噂の複合能力か?」


 額を拭い、ふう、と息を吐きながら、ウロギリさんが憎々しげに口走った。いくらなんでもこんなのズルすぎる。初見殺しもはなはだしいぞ。


「やはり、そこにも気づいてくれていたか」


 混乱に乗じて二人から逃げおおせていたカノプスは黒ローブどもの間に身を置いて、芝居がかった動作で指を鳴らした。

 すると、忙しない足音とともに工場の各所から次々黒いローブの男たちが駆けつけて、たちまち俺たちを包囲した。最初からこうすればよかったものを、今のはアイリスとウロギリさんを使ってわざわざ遊んだということか。


 俺は歯噛みした。この状況はどう贔屓目に見たって絶体絶命だ。カノプスの手勢にはおそらく能力臓器を複数持つ人間が多くいて、そうでなくても人数では明らかに俺たちを圧倒している。

 そのうえ、俺という人質の優位さえあるんだ。このまま黙って見ていれば、アイリスとウロギリさんがなぶり殺しにされかねない。それどころか、今度はあいつらがレオナルドのような目に遭うかもしれない。


 気づけば、あの時と同じような状況になっていた。ローンニウェルにおける潜入が失敗し、敢然と戦ってくれたアイリスがアズエルの前にやられそうになっていた時と。

 あのときはたまたま強行班が間に合った。だけど今はどうだ? どちらがカノプスの本拠地かもわからない状況で彼らは待機状態、アイリスたちが事前に連絡していたならば動いてくれるだろうが、そうでなかった場合は……

 いや、違うな。どちらにしても、俺がするべきことはひとつしかない。


「……わからない」


 だから俺は疲れ果てた脳みそになんとか檄を入れて、その一言を絞り出した。

 状況があのときと同じなら、何としても強行班が駆けつけるまで時間を稼ぐしかない。一分でも一秒でもいい。手も足もロクに動かせないこの状況で、唯一自由の利くこの口で、できる限りの時間を稼ぐんだ。


「わからないんだよ。教えてくれ」


 質問を繰り返す。こう何度も演じ、直接関わればさすがにわかってくる。カノプスはいつだって自分自身を語りたがる。まるで物語の主人公たちに出会えば脳内解説せずにいられない俺の裏返しのように。

 だからこうやって問いを投げかければ答えたいと思うはずなんだ。たとえそれが俺の時間稼ぎにすぎないとわかっていても。

 沈黙が続いた。俺の問いなど誰にも聞こえていないかのように。俺はやけくそになって質問を続ける。これは俺自身、本当にわからないことでもあったから。


「何回考えても、わからないんだ。能力臓器の移植なんて、なんの意味がある?」


 カノプスは眉根を寄せ、じっと俺を見た。関心を示している。質問は届いている。


「だって、悪趣味すぎるだろ。グロいんだよ。金儲けならエーテルジャムを売れば充分で、魔法やスキルが使いたいなら使える部下を集めればいい。あんたならそれができるのに、どうしてここまでしてこんなえげつない真似をする?」


 そう。チート・ビジネスの存在が発覚して以降、俺にはそのあたりがどうにも上手く飲み込めなかった。

 もちろん金にはなるだろう。だけど臓器の移植なんて、それ以上の手間だってかかるはずだ。なのに、どうして……


 そんな俺の疑問は、突然の大爆笑にかき消された。

 カノプスは腹を抱えて笑いながら俺のそばまでやってきて、全身を嘲笑に震わせながら頬をばちばちと叩いた。


「よりにも……よりにもよって、他ならぬおまえがそれを私に訊くか! 未だになんの自覚もないか!?」


 自覚。聞き覚えのある言葉だ。ローンニウェルでもこいつは言った。おまえは無価値な人間である自覚がないと。

 だがカノプスが俺の眼前に指を突きつけ叫んだのは、それ以上の真実だった。


「おまえたちが求めているんだよ!」


 カノプスは俺の目を至近からまっすぐに見据えて問いかける。魂の奥底までえぐり取ろうとするような酷薄な声で。


「……なに?」


 俺が求めている? チート・ビジネスを? 異世界人の臓器を取り出して移植するなんていう、悪趣味極まる企みを?

 んなわけないだろ、と言いかけて。

 しかし投げ返された問いに、俺は動けなくなった。


「才能に乏しい主人公が、努力で這い上がる物語を面倒と思ったことはないか?」


 ……少しだけ、身に覚えがあったから。

 努力と修行ばっかりで、いつまで経っても主人公が英雄になれない週刊漫画。それはそれでリアリティがあるけれど、それでも時々思ってた。ストレスばっかりだとつまらないと。もっと気楽に楽しみたいと。


「RPGのレベリング作業が億劫だと感じたことは?」


 それも、考えたことがある。もっと気軽に気楽に強くなって、最初から最後までなるべくリスクを負わずに物語を楽しみたいと思ってた。


「恵まれたチート能力を手に入れて、不幸になるリスクなどいっさい負わず。幸せになれる保証がされている……そんなふうに、人生をやり直したいと思ったことは?」


 ある。俺はずっとそう思っていた。何も望めなくなって籠もったあの暗い部屋のなかで、いつの間にか毎日のようにそう思うようになっていた。

 だけど。だからって。


「違う。俺はおまえじゃない! こんなの望んでない!」


 俺は鏡にそうするがごとく、カノプスの顔に叫び返した。俺はただ異世界転生ができればそれでよかったんだ。ほかの世界の誰かが傷つくことなんて――――


「違わない!」


 だがカノプスは鬼気迫る迫力で、俺の否定を握りつぶした。


「需要がなければビジネスは生まれない。能力臓器移植も、エーテルジャムも! ここまで拡大したのは、いずれの世界にもそれを求める者がいたからだ。成り代わり、お前の部屋を、生活を見た私にはわかるぞ。他でもないおまえもまたこの世界から逃避し、異世界での――それはそれは都合のいい――やり直しを夢想していた!」


 胸を抉る断罪を、俺は否定できなかった。違うんだと言いたかった。それでも俺はこんなことは望んでいないと。


「わかるか? 能力臓器の商品価値を高めたのは私ではなく、むしろおまえたちなんだよ。異世界への転生という奇跡の上にさらなる願望の実現を求める、強欲な転生者フォーリナーども……!」


 言うや、地下空間に静寂が満ちた。何の反論もできない俺を一瞥し、カノプスはまた語り始める。


「異世界への転生そのものは、もはやありふれた奇跡となった……が、転生後の人生はそうではない。何の保証もありはしない」


 確かにそうだ。俺はかつて経験した。やり込んだゲームの世界に生まれ変わっても、魔法ひとつ使えないことだってある。それはおそらくこの男の悪意とは関係ない、どこにでもあるつまずきだ。


「生まれ持った能力が不足すれば、生まれた場所が悪ければ、新たな人生もそこで終わる。転生に本人の資質などはほとんど関係ない。結局横たわっているのは、この世界以上の過酷な運命だ」


 異世界転生は、万能の救済なんかじゃない。

 苦々しく吐き捨てるカノプスの言葉は、今までになく俺に響いていた。異世界転生を望み続けた俺に。世界に生きる場所をなくしていた俺に。


「すべては需要に応えただけのこと。望む者すべてに非凡な才能と能力を与え、異世界転生を盤石のものとするビジネス。誰もが人生という物語の主人公になれる世界」


 寒気がした。カノプスが語るそれは、間違いなく俺が求めた異世界転生だ。どうにもならなくなった人生の、完璧なるやり直しだ。

 ……だが、それを本当に実現しようとすれば。そのチートの基となる異世界の誰かが、理不尽にも臓器を奪い取られることになる。

 呼吸が荒くなる。かつての俺の願いが、できるならそれを叶えたいという欲望が、それが束ねられた需要が、こんなにもおぞましい企みを生み出したというのか。


「たとえ私が逮捕されようと、能力臓器の移植ビジネスはけして絶えないだろう。お前たちがそれを望み欲する限りはな」


 その言葉に、いつかのアイリスに言われたことが蘇る。


 『――それでも、転生やチートやハーレムという幻想を叶えたいと望むのなら。その究極は、きっと――』


「……ああ、そうか。そういうことか」


 俺の願いは。理想の異世界転生は。どこかで、この残酷に繋がっていたのか。

 だから、カノプスは最初から嗤っていた。チート・ビジネスを形作る需要の一人でありながら捜査局と一緒に正義を気取るこの俺が、愚かしくてたまらなかったから。

 今さらに納得がいく。そりゃ嗤うわけだよ。ただの引きこもりが異世界転生なんて夢を見て、その先で誰かが割を食うことからも目を背けてさ。挙句の果てに、ちょっとアイリスたちと一緒にいたからって、自分もあいつらの仲間になれたような気がしてて。


 そんな奴は滑稽すぎる。


 嗤わずにはいられない。


 こんな哀れで、愚かで、惨めで――


 何者でもなさすぎる俺なんて。


「ようやく理解したか」


 震える俺の耳元で、カノプスが囁いた。抱きつくような気色の悪い体勢で。ぞぶり、と変な感触が腹を伝い、そこから何か硬くて冷たいものが体中を凍らせる。

 全身を寒気が走り、激痛に視界が歪んだ。目玉を握りつぶされるような頭痛がして、それから涙が噴きだしてくる。勝手に体がくの字に曲がろうとし、焼け付くような痛みが俺を支配する。


 ゆっくりと離れていくカノプスの右手には血に濡れたナイフが握られていた。俺はそれを目にしてやっと、腹を刺されたんだと理解した。


「質問には答えた。もう君に用はなく。ここにいる理由も、もはや無い」


 血が流れ出ていく。その痛みをごまかすためなのか、目から滂沱の涙が落ちた。カノプスは血と涙が混じり合う床にうずくまる俺を尻目に、鷹揚に両手を開いて高らかに語り出した。


「ただ、唯一の悔いがある。君たち捜査局に、今回の一手を許したことだ」


 そして、あさっての方向へこつこつと歩き出す。アイリスとウロギリさんが構えているそことはまるで逆の方向へ。


「私の偽者を送り込む。あれは実にいい考えだった。万が一ユイリィが気づかなければ、今ごろ私は牢の中だったかもしれない」


 そして、カノプスはカプセルに手をかけた。すみずみまで魔法的魔術的な紋様が描かれた、ちょうど人ひとりが収まりそうな大きさのカプセルに。

 そばに控えていたアズエルがうやうやしくヘッドギアを差しだし、カノプスはもったいぶったような緩慢な動作でそれを装着する。


「だからこそ。もう二度と追ってくる気がなくなるように、追っても無駄だとわかるように。君たちには決定的でわかりやすい敗北を叩きつけなければならない」


 ゴウン、と洗濯機みたいな音がして、カプセルが振動し始める。全身を苛む寒気と痛みに嫌な予感が混じった。


「――――今、ここで」


 確信に満ちた言葉が響くや、カプセルを覆う紋様が光を帯びた。同時に、カノプスが装着するヘッドギアも。奴の体はカプセル同様に震えだし、やがて雷に打たれたようにびくりと跳ね上がり。そのまま、力なく冷たいコンクリの床に倒れ伏した。

 死んだように動かなくなったカノプスの――いや、俺の姿を見るなり、俺は不吉な悪寒を覚えた。腹を刺されて今も血を流しているせいもあるだろう。だけどそれ以上に嫌な予感がする。奴の姿はまるで、そう、魂が抜けてしまったかのような。


 ぎい、と軋みながら、カプセルが開かれた。中には誰かが横たわっていた。そいつはたった今目覚めたかのように気怠げな伸びをして、それから枕元に置かれていた眼鏡を手探りで手に取り、かける。

 白いジャージのような服をまとい、のそりと身を起こした、そいつは。


 ――普通の、大人だった。


 もしも俺が大人になったら……普通に高校に行けてて、大学にも行って、無難になんとか毎日を過ごして、就職して……結婚はどうだろうか。とにかく、俺がもしもまともな大人になれたとしたら、こうなっているんじゃないだろうか。

 カプセルの中から現れたその男は、そんなおかしな親近感を抱いてしまうくらいに普通で、無害そうで。会社に勤めて、日々を誠実に過ごしていそうな――そんな、どこにでもいるような大人だった。


「おはよう」


 あくび混じりの第一声は、ラブコメの導入みたいな緊張感のない台詞だった。


「ええ、おはよう」


 そばに控えるアズエルもまた、主人公を起こしに来た甲斐甲斐しいヒロインみたいに愛おしげに迎える。

 穏やかな絵面だった。とても悪の根城のド真ん中とは思えないくらいに。


「……カノプスか」


 アイリスが憎々しげにつぶやいた。状況を見ればそうとしか思えない。あの怪しい装置を使い、俺の肉体を捨てて次へ乗り換えたんだ。だが、今になってどうして。


 カノプスはそんな俺たちを「ああ、いたのか」という様子で一瞥し。アイリスとウロギリさんへ、何気なく手のひらを差し向けた。

 刹那、その向く先に幾つもの魔方陣が泡沫めいて描かれる。赤、紫、緑、黄金。色も紋様も明らかに異なる光の陣は互いに重なり合い、ほぼ同時に輝きを放ち――


俺は声を振り絞って叫んだ。


「避けろ!」


 頭の中をさまざまな作品のさまざまな魔法やスキルの知識が駆け巡り、来たる攻撃を思い浮かべたけれど、結局すべてに効果的な対処法なんてのはそれぐらいしか見当たらなかった。


 実際、カノプスの攻撃はそれくらいに圧倒的だった。放たれたのは魔法とかそういうレベルですらない、もはや光線とか熱線としか言いようのない光の柱だ。ギリギリのところで床を転がり回避したアイリスとウロギリさんがいたところには、クレーターめいた穴が煙を噴いて残されているのみだった。

 コンクリートが熱で溶けた臭いがのどを刺す。俺は咳き込むことも忘れて呆然としていた。普通の地球人にしか見えないカノプスが、こんな攻撃を放つということは、つまり――


「やはり、異能を総合的、俯瞰的に考える地球人の視点は厄介だな。失血死を待とうとも思ったが……」


 俺の想像を証明するかのように、カノプスが俺にその手を向けた。手のひらの先にはやはり系統を異にする多重魔方陣が展開されている。あとはカノプスの機嫌次第で、俺は一瞬後にもあの灼けたクレーターと同じになる。


「観行どの!」


「観行ッ!」


 ウロギリさんが、それから勘違いかもだがアイリスが、俺の名前を呼んだ。二人は俺に駆け寄ろうとしてくれているけれど、その道行きはカノプスの部下たちにふさがれていて、きっともう間に合わない。

 俺は半ば観念して、頭の中にこびりついていた推理を吐き出した。


「……能力臓器を埋め込んだのか、おまえ自身の体にも」


 状況からしてそうだとしか思えない。しかも、おそらくこいつが有する能力も尋常のものじゃないはずだ。俺がここで思いつくその最悪の発想を、以前からチート・ビジネスに携わっていたカノプスが考えないわけがない。


「そう。しかも、さまざまな異世界人から厳選した能力臓器をね。何しろこれまで地球人の体を幾つも乗り換えてきたから、実験と練習の材料には事欠かなかった」


 臓器を異世界人から奪うだけじゃなく。これまで乗っ取ってきた人たちまで……彼らの体まで、実験台としてもてあそんできたのか。

 考えていた以上の下劣な発想に怒りが胸に渦巻くけれど、本当は俺に憤る資格なんてない。このからくりを瞬時に見抜けたのがその証拠だ。

 

 俺は心のどこかで、カノプスとよく似たことを考えていた。

 身勝手な異世界転生の望み。チート・ビジネス。

 見抜けたのは、俺とこいつが似ているからだ。


「……では消えてもらおう、捜査局のコンサルタント。おまえの人生はやはり最後まで、何の意味も価値もなかったな」


 ぼっ、ぼっ、と。それぞれの魔方陣の直前に、火球が、あるいは魔力を凝縮した光弾が形を成す。それらは線香花火の玉みたいに互いに寄り集まって、太陽を思わせる熱の塊を形作る。


 ――さ、よ、う、な、ら。

 今や俺ではなくなったカノプスの口が、別れの挨拶を形作る。


 敵をひとしきり蹴散らしたアイリスが懸命な瞳で俺を見据える。力一杯に床を蹴って、手を伸ばして走り出す。だけど、ダメだ。来るな。


 カノプスが展開する魔方陣の半分程度の元ネタを知る俺だからわかる。こいつには勝てない。用いる能力は多彩かつ強大で、そいつを総合した力はもうラスボス級だ。捜査局が束になってもかなうかどうか。


 だから、俺に駆け寄っても無駄なんだよ。拘束を外している時間なんてないし、防ぐなんてことができるはずもない。こいつと同じぐらいのチート能力の持ち主ならどうにかなるかもしれないけど、きみはただ強いだけの、おれと同じ、残酷で退屈な世界の住人だろ。


 もう、もういいから。俺はきみが軽蔑するとおりの、浅ましくて罪深い転生者だったから。だから、こんな俺なんて、見捨て―――






 ―――なかった。


 未だカノプスの手の先には膨大な熱量の塊がある。存在する、ただそれだけで肌を焦がし、目を灼き潰しかねないそれが依然として燃えている。


 なのに、アイリスはただ俺を救うべく駆けていた。何一つ迷いのない瞳に、いつもの皮肉や冗談なんて欠片もない本気の思いを宿し。まるで俺が憧れた物語たちの、主人公にでもなったかのように。


 灼熱の風に銀髪がそよぐ。決意に握りしめられた拳が、迫る敵を打ち倒す。その姿に俺は、あり得ないことをまた想う。


 ――懐かしい、と。

 初めて出逢った、あの日のように。


 そして、ついに巨大な火球がカノプスの手から放たれた。空間を飲み込むように迫るそれを恐れて、黒いローブの男たちは蜘蛛の子を散らすように離れていく。


 しかしただひとり、その少女だけは。何を怖じることもなく、無価値な俺と凄絶なる火球との間に立ちふさがった。


 『KEEP OUT』のテープが巻かれた剣を携えた、くすんだ白銀の髪の少女。


 アイリス=エアルドレッド。


 アイリスは剣を力任せに床へと突き立て、裂帛の気迫で咆吼した。


 まるで。

 俺の大好きな、あの物語の中の彼女のように。




「目を醒ませッ! ――――!!」





 刹那、アイリスを中心として業風が吹き荒れた。竜の咆吼が響き渡る。竜なんてリアルに見たことはないけれど、俺はその咆吼を知っていた。ずっと前から。

 風と熱とに眩む視界の中、アイリスのいたその場所から圧倒的な力の奔流が放たれる。紅に燃える奔流はカノプスが放った苛烈なる熱量の塊――チートに次ぐチートの産物を真っ向から受け止め、押し戻し、殺し続ける。


 力と力の衝突は、この地下空間が崩落するのではないかというくらいの轟音を響かせた。行き場をなくしたエネルギーは天井を衝き、床を引き裂き、彼女と俺の周囲には余波によるチリや埃が渦を巻いて、しばし視界がふさがれる。


 やがて、徐々に静寂が戻ってくる。空に浮く煙のヴェールが地に落ちて、彼女の姿がやっと俺の目にも明らかになった。


 肩を落とし、荒く息をするその少女は、俺が知っているアイリスではなかった。


 腰まで伸びた煌めく紅の髪。捜査局の黒いジャケットを基本に構成された、漆黒と真紅に彩られた竜の鎧。艶やかな髪の間からのぞく角は、守護竜アンベルドルクの力を受けたその証だ。


 そして両手に握りしめるその禍々しい剣もまた、彼女の国を守護する竜と同じ名前を冠した凄竜剣――アンベルドルク。


 その外見が示すとおり、彼女はアイリスじゃない。だけど、俺は彼女を知っている。本当はアイリスに出逢うずっと前から、俺は彼女に出逢っていたから。


 いつものゲームを思い出した。

 『アイリスさんの出身地はどこでしょうゲーム』。俺が適当にそうと思われる出身地を並べて、そのたびにアイリスが違うと撥ね付けて、だけどなぜか楽しいという、いつものアレだ。


 今、俺はやっとその答えにたどり着いた。彼女の故郷に、彼女の物語の在処に。


「――グラス、タリア……」


 震える声で呟いた俺に、彼女はゆっくりと振り向く。これまでのクールなそれではない、明るく……なのに、今にも泣きそうなくらいに哀しげな笑顔をたたえて。


「……正解。とうとう、わたしの負けね」


 アイリスは――――いや。


 『アイゼンブライド』の主人公たる鉄騎姫、アルティア=ラム=グラスタリアは、そう言って儚く俺に笑いかけた。

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