#31 二枚の百円玉

 これ以上、あいつらを好きにならない。


 別れが辛いだなんて言わないし、悟らせない。

 だからもう、あいつらとは関わらない。

 俺はそんな固い決意を胸に、朝からずっと捜査局ビルの屋上でたたずんでいた。

 手すりに顎を乗っけて気怠い息を吐きながら、眼下の風景に思いを馳せる。地上には俺と同じようなオタクたちがたくさん居て、そのみんなが存在しないとわかってる幻想との触れあいに興じているはずだ。


 アニメ、ゲーム。小説。映画。そんな物語の数々は、ある意味で『彼らが存在しない』証でもある。画面と紙面の出来事は絵空事だって、誰に言われなくてもみんなが知っている。

 だから、物語を愛する者で溢れてるこの街のこんなところに、本物がいるなんて誰も思わない。すべての物語が異世界における真実で、俺たちの世界と繋がっているだなんて誰も知らない。 今の俺にはそれが無性にうらやましかった。


 最初から、何も知らずにいればよかったんだ。こんなところに来ないで、異世界転生なんてしないで、ずっと引きこもっていればよかった。そうだったなら俺は何も知らないまま、ただ画面や紙面の向こう側に夢だとわかっている夢を見ているだけでいられたのに。

 なまじあいつらと関わってしまったばっかりに、こんな風に胸が痛くなる。

 ああ、くそ。いっそその辺のビルにカノプスが雇った狙撃手なり殺し屋なりがいて、俺の頭を撃ち抜いたりしてくれないものか……


 ぱかん、と、頭を叩かれた。


 命を粗末にするようなことを考えたからか。とすると犯人は神様か。なんて空想を遊ばせながら振り向くと、そこには今一番会いたくないやつが立っていた。

 ミリタリージャケットにスカートの銀髪少女。アイリス=エアルドレッドの暗い空色の瞳が、俺をじっと見つめていた。


「アイリス!? ……さん!?」


 考えうる限り最も今の自分を見られたくない女から慌てて逃げようとするけれど、あいにく背後は手すりと虚空で、行き場はどこにも残されちゃいなかった。サスペンスのラストかよ。


「朝からずっと見ないと思ったら、ここにいたんだ。どうしたの?」


「……どうもしないよ。理想の異世界転生の予定を練るのに忙しいんだ」


 我ながら上手い言い訳を考えたもんだ。何しろアイリスは転生者が嫌いだからな。こんなことを言おうものなら、きっと腹を立てて立ち去ってくれるに違いない。

 だというのに、どういう風の吹き回しだろう。事もあろうにアイリスは、俺の隣に寄ってきた。そのまま二人して手すりに寄りかかり、秋葉原の街路を睥睨する。


「さっきからしばらく見ていたけど、とても楽しそうには見えなかった」


 そうか。だからって、正直に話してやる義理はない。さっさと飽きて去ってくれることを願って、俺はひたすら沈黙に身を委ねた。


「……悩んでるのは、カノプスのこと?」


 ……なんだよ。今日は妙に深入りしてくるな。

 それも心残りのひとつではある。俺と同じ姿を、俺の人生を弄びながら、俺の大切なものを傷つけたカノプスは、やっぱり許せない存在だ。できることなら捕まえたい。あいつにこれ以上俺や他の誰かの人生を悪用させるわけにはいかない。

 でも、今さら俺にできることはない。ヤツを捕まえたところで、俺の人生に何か変化があるわけでもないんだ。無駄なあがきをするぐらいなら、屋上でぼーっとしているさ。


「確かに捕まえられなかったけど、知ってる? あなた、異世界転生するのに充分な功績が認められたのよ」


「……そっか。よかった」


 ナイトラスから聞いている、と言うことすら億劫おっくうだった。

 気のない返事を返したというのに、アイリスはまた食い下がって、


「これでも充分な結果じゃない。あなたはちゃんと役目を果たした」


 ウソだ。俺は何もできなかった。頑張ったのは全部アイリスだ。


「そうだよな。あれでも及第点。俺は別に、主人公でもヒーローでも、なんでもないからな……」


 情けない自虐を口にした途端、また胸がうずく。何もできない自分が悔しくて、みんなと仲間になれない自分が憎たらしくて。


 でも、結局、俺は。


「……わかった」


 やっと俺の無気力ぶりが伝わったのだろうか。アイリスは諦めたように嘆息した。

 そうか。置いていってくれるのか。俺がほっと息をついたのもつかの間、次の瞬間には背後から襟をぎゅっと掴まれていた。

 アイリスはそのまま建設重機じみた力で俺を引っ張っていく。やめろとか離せとかやめてください離してくださいお願いしますとか言ってもどこ吹く風で、ついには俺を引っ張ったまま一階のゲートからビルの外まで出てしまう。


 いや、あの、ちょっと待て。


「俺って今捜査局から出たらダメなんじゃないのか!? 一応協力者って身分なのに!」


 ビルの前を行き交う公衆の面前でもがきながら異議を申し立てると、アイリスはやっと襟を離して俺を解放してくれた。


「いいのよ。どうせレプリカ作戦は終わったんだから。一日くらいは気晴らしに行ってもいいじゃない」


 気晴らしに行くって……俺が? 流れからして……まさか、アイリスと?

 どう考えたって唐突すぎるイベントだとは思ったが、アイリスの目は極めてマジだった。いったいどういう心境の変化でこんな行動に至ったんだろう。


「というか、アイリスさんはどうなんだよ。これって仕事サボりになるんじゃないの?」


「午後休の申請ならさっきしてきたし。あなただって、前は学校をさぼり通しだったんでしょ? 言える立場かしら」



 どうやら、アイリスはどうあっても俺を外に連れ出したいようだった。いつもみたいにニヒルに笑う彼女に強引に手を引かれて歩いているうちに、俺はいつしか逆らう気がなくなってしまった。


 悲しいことに。アイリスとただ道を歩くというだけの、ただそれだけのことが、俺にはなぜか無性に楽しかったから。


 それから俺たちが辿ったのは、実に芸のないありがちなデートコースだった。

 もちろんアイリスは俺に気分転換をさせようと思っただけで、別に特別な感情なんかは何もないんだろうけど、せめて俺の中でくらいはデートに数えてもいいだろう。そうでもしなきゃ、俺の人生にこのカタカナ三文字を使う機会なんてそうそうないからな。

 最初は誰もが知っている家電量販店だった。買う気も金もない家電の間を適当に歩いてみながら徐々に上階へ進んで、ホビーコーナーでフィギュアを物色してみたり。捜査局にいるメンバーのマニア向けアクションフィギュアを見つけて、アイリスが目を丸くしたり。

 アイリスがDVDとブルーレイのコーナーから離れないので不思議に思って見に行くと昔の刑事モノ映画のリマスター版に釘付けになっていて、よくよく話を聞いてみるとアイリスはこの手のハードボイルドな作品の大ファンであることがわかったり。

 そんなことをしていると時間帯もあって腹が減ってきて、今度は有名なカレーライスの店に入ることにした。アイリスはここには入ったことがなかったらしく、一口一口を味わうたびにとても嬉しそうな顔をしていた。だから俺はついついそのおかわりを見過ごしてしまい、やつが食ったカレーの総数が二ケタに達するギリギリで慌てて止めた。さすがにあれ以上目立つと捜査局の存在がバレかねない。

 あとはどこへ行っただろう。レンタルショーケースを冷やかしているとその中にナイトラスのフィギュアを見つけたり、中古ゲーム屋でマリナ先輩の等身大ポップが仏像のごとく飾られているのを見つけたりしたな。

 そんな楽しい時間だけが過ぎて、やがて日が暮れた。



「……なんで獲れないんだ? 設定ミスってんじゃないのか!?」


 帰り際、俺は最後の戦いに挑んでいた。

 捜査局に帰ろうとしていた道すがら、アイリスがたまたまクレーンゲームの中に幽閉された気の毒なぬいぐるみに目を留めたんだ。

 単純にフワフワしていて、それ以外には何ら興味も関心もなさそうな顔をしたぬいぐるみだ。アイリスにはいろいろお世話になってきたわけだし、ここはひとつ俺がこいつを獲得して、これまでの感謝の印に進呈するのもいいかと思ったんだ。

 ……が、わなわなと震えながらの抗議が物語るように、結果は全敗だった。悔しい。とても悔しい。悔しくてたまらない。最後なんだから、ちょっとぐらい格好をつけさせてくれてもいいじゃないか。

 もうぬいぐるみには興味をなくしたんだろうか。アイリスは最初こそ期待と興奮に目を淡く光らせていたものの、今はもういつも通りの鉄面皮に戻っている。

「帰りましょうか。もう充分頑張ったわよ」

 残念そうに笑むアイリスの言う通り、俺はまあまあ頑張った。コンサルタントとして貰っていたささやかな日本円も、今の一回で尽きてしまったしな。

 こういうときは諦めが肝心だ。俺は仕方なく筐体に背を向けて――なのにどうしてか、その足を止めてしまう。


 ここでやめていいんだろうか。

 やめてしまえば、きっとこの今日はくしゃっと潰れる紙風船みたいに終わってしまう。俺はアイリスたちと別れるまでの貴重極まりない三日のひとつを、こんな半端な形で終わらせてしまうことになる。

 それで、本当にいいんだろうか。このまま何もせずに終わって、最後まで屋上でぼーっとして、仕方ないと諦めていいんだろうか。

 思えば俺は、今までずっと同じような諦めばかりを積み重ねて、後悔してきたんじゃないだろうか。


 何ひとつ変わらない暗い部屋の中で、今までずっとそうしてきたように。


「だあああああああクソ!」


 俺は今さらにして当たり前すぎる真実と自分のカッコ悪さに気づいて、いきなり頭をかきむしって叫んだ。アイリスを含めた通行人の、店員の、あらゆる視線が集中するが、どうでもいい。

 今の今までまったく気づかなかった俺のアホっぷりにも腹が立つが、それも却下。大事なのは、今このままじゃ終われないってことだ。


 このまま終わるんだとしても、何も変わらないんだとしても、何もしないわけにはいかないんだ。このクレーンゲームに限った話じゃない。それは今俺が抱えているすべてに言えることなんだ。


 みんなと別れることが決まっているからって、何もせずにやり過ごすのは間違ってる。やっても無駄だと決め込んで、カノプスに背を向けるのは間違ってる。

 確かに俺は何者でもない。物語の主人公でも、神様みたいな誰かにチート能力を授かっているわけでもない。何もできなくても仕方ないかもしれない。


 それでも、俺はここにいるんだ。本当はずっと、何かをしたいと思ってたんだ。


自分の無力がイヤでその都度誤魔化してきたけど、今までずっとそうだったじゃないか。アイリスのために。レオナルドのために。いつか砕かれた憧れのために、ずっと。


 そうやって勢いで筐体に向き直ってみたのはいいものの、よく考えてみれば金がなかった。

 いや、負けるものか。足掻いてやる。賢しくわかったフリをして、ビターエンドで満足するには早すぎる。

 俺は迷いなくゲーセンの汚い床に腹ばいになって、筐体の下に右手を突っ込んだ。


「……ちょっと!」


 もちろんアイリスからのお叱りが飛ぶが、そこは無視する。


「やめなさいってばみっともない!」


 アイリスの怪力が俺の足首を掴む。力じゃ絶対勝てないが、俺はほとんど左手だけでなんとか踏ん張った。みっともなくてもいいんだ。それでも足掻きたい。

 刻一刻とアイリスの引く力が強まっていく中、右手の指先に何か小さなものが触れた。最後に残った根性でなんとか指先にそいつを引っかけて、アイリスに引き抜かれながらそいつを照明の下へと持ち帰る。

 ホコリで真っ黒になったの手の中に燦然と輝くそれは、まさしく。


「あった! 百円玉!」


 喜びに任せて高く掲げるけれど、アイリスはものすごく疲れた様子で嘆息した。


「……この筐体。一回、二百円なんだけど」


「……あ」


 言われてみればそうだった。じゃあこの奇跡の百円は、完全に無駄だったわけか?

 愕然としていると、アイリスは渋い顔で財布を取り出し、「ん」と硬貨を差し出してきた。


 百円玉だった。


「言っておくけど。わたしの善意はここで品切れだから」


 俺はその台詞に籠もった優しさに全身を震わせて、すぐさま二枚の百円玉を筐体に叩き込む。反射の域に達したルーチンでボタンを押し、アームをぬいぐるみの真上に導いてやる。


 あとのことなんて、もう言うまでもない。


「ほら! ほら獲れた! 為せば成る! 俺ってやればできるんだよ!」


 取り出し口からぬいぐるみを掴み取った瞬間、俺はなんだかわけもなく嬉しくなって、バカみたいに飛び跳ねて叫んでしまう。

 心の中でぬいぐるみに礼を言う。こいつのおかげで腹が決まった。


「アイリスさん」


 俺はぬいぐるみをアイリスに手渡しながら、彼女の目をまっすぐに見て切り出した。


「俺も、カノプスを捕まえたい。だから、アイリスさんを手伝いたい」


 頭を下げる。できる限り低く低く。今さら都合がよすぎるかもしれないけど、それでもこれが俺の精一杯の誠意だ。


「だから、お願いします。あと二日、俺にアイリスさんを手伝わせてもらえませんか」


 そしていい加減膝が痛くなってきたころ、


「あなたが良ければ、最初からそのつもりだったわよ。でなきゃ連れ出したりしない」


「……いいの?」


 本当は聞くまでもなかったんだろうが、返ってきた答えがあまりにも望み通りだったので、つい確認をとってしまう。


「二度も言う必要あるかしら?」


 それが災いしたのか、アイリスはむくれてそっぽを向いてしまった。


「……ありがとう」


 アイリスは聞こえないフリをしたけれど、不思議とイヤな感じはしなかった。

 その背中について帰路をとぼとぼ歩いているうちに、ふと俺は足を止めて――気がついた。自分の脳裏に、雷鳴めいてあの最大の謎の答えが舞い降りていることに。


「――――バチカン市国!」


 俺はアイリスの正面に回り込み、颯爽と指摘した。どうだ! 今度こそ正解だろ! 思いつくようで思いつかないマニアックなところだし、国なのかどうかという微妙なラインがまた――


「違います。さっさと帰るわよ」


「くそ!!」


 またハズレか。今度こそは当たると思ったのに!

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