#29 彼らの特別に課されたルール

 倒れたマリナ先輩の遺志を受け継いだ、というわけじゃないが。

 それからアイリスはちょっとだけ元気になった。

 ナイトラスやウロギリさんとの議論にも積極的に加わるようになったし、捜査局中からカノプス関連の資料をかき集めては(手伝わされたおかげで筋肉痛が未だにとれない)、今この瞬間も可能性の検討を続けている。

 一方で、俺はといえばヒマを持て余した挙げ句に自分のデスクで落書きに勤しんでいた。鉄騎姫アルティアのヘタなデフォルメだ。

 燃え上がるような紅の髪、鋼のような強い意志を宿した瞳、申し訳程度にお姫様らしいドレス風の戦闘服。今よりバカだったころに山ほど模写したおかげで、一年や二年のブランクがあってもこうして手癖で描けてしまう。

 そこに頭からドラゴンの角を生やし、禍々しき凄竜剣アンベルドルクを持たせると……物語中盤から変身が可能になるパワーアップ形態、凄竜合身ドラグニアバージョンの出来上がりだ。

 我ながらなかなかいい仕上がりだよな、なんてほくそ笑んでいると、対面のデスクからアンデッドじみたうなり声が響いてきた。アイリスだ。

 見れば机上にカノプスやアズエルたち、つまりは消失した構成員たちの資料を並べて、ああでもないこうでもないと呟いている。


「どうしたの?」


「考えてるのよ。どうしてカノプスが、あんなに良いタイミングで現れたのか」


 ……現れたこと? 今の最重要問題はカノプスが消えたことじゃなかったか。それに、カノプスがあの局面で登場した理由なんて、ひとつしかないだろうに。


「そりゃ、俺が偽物だってバレたからじゃないの? ……申し訳ないことに」


「そうなんだけど……そもそもね。バレたとしても、あんなに早く本物が現れるはずがないのよ。行動予定では別の拠点にいるはずだったんだから、潜入がバレたあとはおっかなびっくり駆けつけてきていないとおかしいの。なのに奴は余裕たっぷりであなたを待ち構えていた」


 ……確かに、言われてみれば妙だ。もしもあれが事後対応だったなら、あんな風に待ち構えていられるはずがない。だったらカノプスは最初からあの拠点にいたってことなのか?



「気が変わったとか虫の知らせで予定を変えて、偶然俺たちとかち合った?」

「そう考えればつじつまは合うけど。……可能性として、成り立つと思う?」


 俺はかぶりを振った。そうだよな。パーセントに換えたら小数点以下だろう。


「だからね。あの不可解な出現は、ひょっとしたら奴の消失と何か関係があるんじゃないかと思ったの。今はまだ、思っているだけなんだけど……」


 アイリスは残念そうに付け加えて、それからひとしきり黙考に入った。何か力になりたいけど、俺には何も思いつかない。せめてコーヒーでも入れるかと立ち上がると、躊躇いがちな一言が俺の背を打った。


「……あなたは、どう思う?」


 俺は右を向いて、それから左を向いた。ナイトラスもウロギリさんも出払っていて、いま風紀課には俺とこの銀髪の少女しかいない。 

 え。じゃあ、「あなた」ってのは俺のこと?


「いやいや。俺に訊いても仕方ないでしょ?」


 我ながら役に立てるとは思えなかったけど、アイリスはやけに熱のこもった視線でこっちを見据えて、


「いいえ。あなたはわたしや他のみんなとは違う。プレイヤーとか読者とか、そういう俯瞰的な視点から数多くの異世界知識に触れてきている。ローン二ウェルでレオナルドを捕まえたのだって、あなたの知識が活きたからじゃない」


 あれはまぐれ当たりみたいなもんだと思うんだが。それでもアイリスにここまで言われては、俺も本腰を入れて考えるしかない。間に合わせのパイプ椅子にどっかと座って、俯瞰的、プレイヤー的、読者的に考えてみる。カノプスが突然現れ、そして消えた理由。


 移動というキーワードでまず頭に浮かんだのは、オープンワールドによくあるファストトラベルだ。が、あれはゲーム的なシステムの産物だから、現実の異世界で使えるものだとは思えない。世界主なるチートの担い手の力添えがあればなんとかなるかもしれないが、カノプスにそんなバックがあるならそもそもお手上げだ。

 全員が薬を飲むなりアイテムを使うなりで透明化した……なら消えることも可能だろうけど、それでも足跡なりなんなり、痕跡は残るしな。そのうえでふわっと空を飛んだとしても、捜査局の警戒網に引っかかるだろう。ということでこれも却下。


 じゃあ、いわゆる街から街へのワープ的な魔法ならどうだろう。あれはパーティの一人が使えさえすれば全員を運べるし、けっこういい線行ってそうだ。だけどカノプスのアジトみたいな閉鎖空間じゃ、使えませんってのが定石だよな。

 こんな感じに考えはいくらでも浮かんでくるんだけど、そのたびに現実的な制約がダメ出しを突きつけてくる。これは捜査局で学んだ貴重な教訓のひとつだが、スキルとか魔法ってのはどうも俺たちが思うほどには万能じゃないらしい。

 しかし。


「……ワープ、か」


 その単語が、ひとつの映像を脳裏に呼び起こした。黒い稲妻となって、カノプスのそばに現れたアズエルの姿。考えてみればあの女はあのアジトの中で、比較的ワープや瞬間移動、長距離転移に近い離れ業を成し遂げていたのではなかったか。

 連鎖的に、アズエルが魔方陣から放った蛇のような禍々しい光流が思い起こされる。あの魔方陣とあの魔法は何かに似ていた。確かちょっとにインディーズで発売された新感覚なアクションRPGで、拳銃を携えた魔女が使っていたやつだ。

 そういえば、あのゲームにはものすごく便利な転移魔法があったっけ。あらかじめ任意で地点を登録しておけば何度でもそこにワープすることができるし、ある程度の時間内ならすぐさま元の場所に戻ることだってできる。

 おかげであのゲームのプレイはものすごく快適だった。斬新すぎて難易度を著しく下げてしまったががゆえに、やり応えに関してはちょっと微妙だったんだけどさ……と、一通り想い出に浸ってから、俺は自分が天才じゃないかと思った。


「事件解決だ」


「……はい?」


 俺はアイリスにすべてを話した。タイトルがヴェノムレイダーズというイカしたものであることとか、主人公がとびきりハードボイルドなデザインで通好みにはたまらない青年であることとか、何度か脱線を繰り返しながら。

 だけど、そのあたりは事件解決のための経費と考えてほしい。だって、


「仮にアズエルがあのゲームから繋がる世界の魔法を習得していたとしたらさ、あの女が現れたことにも消えたことにも、全部説明がついちゃわないか?」


 アイリスは辛抱強くも語り始めから終わりまでをじっと聞いてくれていたが。

 返ってきた反応は極めて冷淡だった。


「……それは、無理があるわね」


 意気消沈した態度の中に、間違えただけならいいもの余計なことまでさんざん語って聞かせやがって、という文句まで見て取れる。


「ごめん。まあ、そうだよな。俺もちょっと、ないと思った」


 本当はこれで事件の何もかもが解決してハッピーエンドに至るんじゃないかと本気で考えてたけど、恥ずかしいから墓場まで持って行くことにする。


「……でもさ。やろうと思えばできるんじゃないの? 魔法とかスキルとか……呼び名は色々だけど、異世界にはそういう力が使える人はごまんといるでしょ」


 無理があるならあるでいい。だけど、その理由はなんなんだろう。これは俺としてはかなり真面目な疑問だったのだが……アイリスはなぜか狐につままれたような顔をして、それからくすっと笑った。


「ああ、そっか。あなたから見ればそうよね。異世界人はみんな万能の魔法の使い手か……」


 何も知らない俺の考えを皮肉に笑うアイリスときたら、いかにも楽しそうである。別に万能とまで言うつもりはないけどさ。実際、地球人に比べたら神様みたいなもんだろう。


「違うのよ。神をも殺す魔法にも生まれながらの異能にも、実は厳粛な界律ルールが在る」


 アイリスはそう言いながら、複雑な微笑みを浮かべた。自嘲するような。諦めるような。


「……簡単に言うとね、魔法であろうと異能であろうと、基本的には誰もが皆『生まれた世界に存在する能力しか使えない』ようになっているの」


 俺はアイリスが語ったその言葉を一字一句違わず飲み込んで、頭の中で何度も咀嚼してみたのだが。どうにも知能が足りないらしく、イマイチ理解が及ばなかった。


「もうちょっと素人向けにお願いしてもいいですか」


「たとえば、転生する前のあなたで考えてみましょうか。あなたは地球の生まれだから、『ファイアランス』のベルグ魔法は使えないわよね」


 ベルグ魔法とは、懐かしい話を持ち出してきたな。アイリスと初めて会った日の想い出が蘇る。剣と魔法の世界に転生したってことで喜び勇んで修得したはよかったけれど、結局は魔力不足で使えなかったんだ。


「それは当たり前なんじゃないの? 地球ってのはつまり、魔法もスキルもアビリティもない世界なんだから」


「そう、当たり前。同じように、今のこのあなた……ファイアランスの舞台であるエストゲイトに生まれた人間の肉体には、さっき言ってた……ヴェノムリーパーズだったかしら? その世界の魔法は使えない」


「レイダーズな」


 少し、わかりかけてきた。物語作品、つまりは世界が違うってことが何か影響してるのか? だからって、どうして使えないのかはわからないけど。


「……でも、分類的にはどっちも魔法だろ?」


 そうね、とうなずいたアイリスは、自分の胸を指でとんとんと突いた。


「肉体の構造が微妙に違うのよ、わたしたち」


 アイリスはよいしょ、とこちらのデスクに身を乗り出し、俺がアルティアを落書いたメモ用紙を取って、そこにふたつの人型を描き加えた。それから頭の上にそれぞれ「みゆきA」「みゆきB」と名前を置いていく。どうでもいいけどなんで俺の名前なんだよ。


「姿かたちは、ほとんど同じ人類だとしても――中身が違う。もっと言うと、一部の臓器ね」


 言いながら、アイリスはみゆきAの腹あたりに○を、みゆきBには△を描いた。これが二人のみゆきの体の中か。


「魔力、マナ、精気、霊力。言い方はいろいろあるけど、魔法やスキルはだいたいその世界に特有のエネルギーを操る器官がないと使えないのよ。で、そういう器官は原則として、その世界の環境に最適化されているから――」


 そういえばカノプスも似たようなことを言っていた。わざわざ輸血をすることでささやかなチートを得ていると。あれは地球人の体にそういう器官がないがゆえの苦肉の策だったのか。

 俺の理解を肯定するようにみゆきAのなかに○と△が書き加えられて、すぐに△は×で上書きされる。これがつまりは使えない、ってことか。


「この図だとみゆきAは○の臓器に対応する○の魔法しか使えないし、Bも同じく△のスキルだけを修得できるってわけ」


 ここまで丁寧に説明してくれたおかげで、さすがの俺もようやく理解に至った。


「日本人には海藻を消化する遺伝子があるけど、外国人にはないからノリ食っても消化できない、みたいなもんか」


 自分で言ってていい喩えだと思ったんだけど、アイリスはわかったようなわからないような表情で肩をすくめて、


「まあ、今さらなんだけど。ここじゃ人種なんて幾つあるのかもわからないし、そもそもわたしたちのボスなんて全身メタルだし……」


 そして、手元にあったアズエルの資料を俺に差し出してきた。受け取って読んでみれば彼女の出身世界は誰でも知ってる古典ライトノベルとして語られた由緒ある異世界らしく、転生者も多いとか。へー。


「残念なことに、アズエルがどこの世界の人間なのかは判明済み。だから今の説は成り立たないの。他の連中も……たぶん当てはまらないわね」


 本当に残念そうに資料をぱらぱらとめくって検証するアイリスの声を聞きながら、俺はふと何か思いつきそうになった。

 血液とかチートとか、たった今見聞きしたそれらが何かぐにゃぐにゃと曲がったいびつな線で繋がりそうな気がしたのだけど……結局はとらえどころのない靄のようになって、あっさりと散った。

 感覚的にはいいところを突きそうな気がしたんだけど、まとまらないということは何でもなかったのか。


 まあ、しょせん、俺は天才でも主人公でも、何者でもないしな――

 なんて、いつものように言い訳してから。


 俺は、それを妙に悔しく感じている自分に気がついた。


 なんだかおかしい。レプリカ作戦以降はこうなることが増えている。今までは適当に言い訳すればそれでどうでもよくなっていた自分の弱さや小ささが、最近はどうにも引っかかる。

 そのたびに気にしてもしゃあないだろと考えはするのだが、アイリスが頑張ってるその姿を間近で見ていると、やっぱり胸がモヤモヤとしてくるんだよな。

 なんだこれは。恋か。いや。恋というよりは単に俺が変なだけという気がする。他人への関心じゃなく、俺自身が内包する問題というか……


「そうだ。あなた、今日は空いてるの?」

 こっちが中学生みたいな哲学的自問に苦しんでいると、アイリスはデスクの向こうからそんな大人っぽい問いを飛ばしてきた。


「アイリスさん、俺がいつも空いてるのはわかってるじゃん」

 処遇が決まるまでは捜査局から外に出られない身分だからな。俺自身がここにいることに不自由を感じていないからいいんだけど、悪く言えば軟禁と変わらない。


「そうよね。わかってたけど、ボスには一応訊いてくれって頼まれたから」


 頼まれた……って、何を、どういう意図で、なんのために? 要領を得ない説明に首をひねっていると、アイリスは俺のそばにやってきて、手首をむんずと掴んだ。


「じゃあ、行くわよ」


 どこに? と尋ねる間もなく、俺はアイリスに連行されたのだった。

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