第4話 握り飯

 用を済ませて納屋に戻ると、ジナはいなくなっていた。

「あいつ、ちょっともじっとしてらんねぇんだから」

 エナンを下ろしながらサハが言うと、くすくすと笑う。


「ジナちゃんみたいな妹がいると退屈しなさそう。羨ましいな」

 ジナと一晩何を語ったのだろうか。昨夜に比べずいぶんと警戒を解いているように見える。


「…昨日は悪かったな、親父がいきなり怒鳴りつけて」

 困ったように首を横に振るエナン。

村長むらおさのお父さんが心配するのは、当たり前だよ」


「そうじゃない。親父は本当は、鬼の——トーダの連中とも、協力できたらって考えてんだ」

 さわわと雨が地面に吸い込まれていく音がする。


「ずっと昔みたいにさ、互いに行き来して、協力しあって発展していかないとな。若者は街へ出ていくし、このままじゃいずれ先細りだ。俺にだってわかる」


「どうして互いにいがみ合うようになったのかな。もともとは同じ養蜂を営む、一つの氏族だったのに」

 それはサハにも、サハの父にも分からない。


 しかし知らないからこそ、先祖代々受け継がれてきた陰性感情を超えられるのではないかと思っている。

 が、サハが口にしたのは別の言葉だった。


「だから、あんたを無事に帰すことで何か糸口になればってな」

「うん…ありがとう」

「よせやい。こっちはあんたを利用しようとしてんだぞ」


「役に立てるんなら、それでいい」

 春の日なたのようなこの少女が、はっきりした物言いをすることがサハには意外だった。


「ただいまー!握り飯持ってきたよ」

 妹が戻ると一気に騒がしくなる。


「これ食べたらさ、あたし出かけて来ていいかな。村のみんなにクリーム塗ってあげようと思って」

「うん、もちろん。そしたらこの小さい容器に入れていくといいよ。熊笹くまざさとか椿つばきの葉に包んでもいいんだけど、少しずつ分けてあげて」


「しょうちのすけ」

 むしゃむしゃと、それはもう獣のような勢いで飯を平らげていく。


「おめぇ一人で出かけて、エナンはどうすんだよ」

「あー、サハ兄留守番しててよ」

「なっ…!俺だって仕事があんだよ!」


「罠ならあたしが見てくるからさ。あとお母ちゃんが特別にくれたイザクの実もあげるから、ねっ」

 もう編み傘を被って紐をあごにくくりつけている。

 確かにイザクの実は魅力的ではある。皿を見て、よだれを飲み込むサハであった。


「夕飯に間に合うように帰ってくるから。行ってきまーす!」

 飯を食ってから出かけるまで一体何秒かかったろうか。


「もー、何なんだよあいつ…」

 がっくり肩を落とすサハに、エナンは心底楽しそうに飯を頬張るのだった。


「あんた、きょうだいは」

「きょうだいはいなくて、従兄の兄さんが一人だけ。でもサハさんの方がずっと面白い」

「俺がぁ!?俺は何もしてねぇ!全部ジナのせいだ」


 そう言うと、また楽しそうな笑い声を立てる。こんなによく笑う娘だったのか。その小さな唇がまるで花びらのようだと思った。

「それに、サハさんなんてよせや。サハでいい。むず痒くなる」

「うん」


 エナンは握り飯を美味そうに食べた。今日の具は沢庵たくあんときゃらぶき煮をみじん切りにした、別段特別なものではなかったが、トーダの娘が笑いながらうちの握り飯を食っている。その姿は、まっすぐに嬉しいものであった。

「茶を持ってくる。握り飯には、熱い茶だ」

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